レイチェルが
静かに震える肩を
抱きしめるようにして
俯いているのを見て
時也はさらに言葉を紡いだ。
「 絶望した魂に
味をしめた不死鳥は⋯⋯
アリアさんの絶望を
より深めようとしました」
その声は静かだったが
その静けさがかえって重く
胸に響いた。
「⋯⋯不死の身体を相伝させず
まるで⋯⋯
生殺しにするかのように⋯⋯っ」
時也の言葉は
鋭い刃のようだった。
その穏やかな顔からは
先程までの優しさが
すっかり消え去っていた。
鳶色の瞳には
怒りが瞬いている。
それは
ただの憤りではなかった。
不死鳥という存在への
根深く絡みついた怨嗟の炎だった。
レイチェルは思わず息を呑んだ。
この人は
ー殺された私よりも
不死鳥を憎んでいるー
レイチェルはアリアを刺した時に
流れ込んだ激情と
前世の記憶を
断片的にだが
思い出していた。
自分の前世は
アリアの劫火に灼かれて
命を落とした。
けれど⋯⋯
その体験を凌駕する程
時也の中に渦巻く憎悪は濃く
深かった。
「⋯⋯僕も」
時也の声が
何処か遠くを彷徨うように
低く響いた。
「僕も⋯⋯
不死鳥に心臓を蝕まれて
少しずつ⋯⋯
わざと時間を掛けて殺されました」
レイチェルの心臓が
痛むように跳ねた。
「不死鳥は
アリアさんが
僕の死に苦しむのを
楽しんでいたのでしょう」
時也は静かに目を伏せた。
「⋯⋯僕の死が
どれ程アリアさんの心を
壊したのか⋯⋯」
時也の声が詰まった。
「⋯⋯今では
出逢った頃より⋯⋯
感情も言葉も
無くされてしまいました」
レイチェルは
あの無表情の深紅の瞳を思い出した。
まるで
感情の欠片すら失ったかのような
空虚な目。
「⋯⋯⋯」
(殺された⋯⋯
時也さんも
転生者なのかしら?)
自然と
そんな考えが浮かんだ。
アリアが不老不死なら
時也もまた
何かしらの方法で
前世の記憶を思い出し
その運命を
現代で背負ったのだろうか。
「⋯⋯いえ」
時也が微笑んだ。
しかし
その微笑みはあまりにも
悲しげだった。
「僕は⋯⋯
魔女の異能を持っていますが
レイチェルさんのような
転生者ではありません」
「⋯⋯え?」
「アリアさんが墓標代わりにと
桜の木の根元に
僕を埋葬してくださったのです」
時也は
遠くの記憶の景色を見るように
窓の外を見た。
外には庭園の桜が
花弁を散らしている。
「彼女は
桜が永遠に咲くようにと
ご自分の血を添えてくださいました」
言葉の意味が
すぐには理解できなかった。
「⋯⋯アリアさんの血は
不老不死の力を齎します。
血と僕の亡骸を吸って
霊樹となった桜の大樹から⋯⋯」
時也は
まるでその情景を思い出すかのように
静かに目を伏せた。
「⋯⋯前の記憶も
姿形もそのままに⋯⋯
不老不死の身体となって
産まれ直しました」
「⋯⋯産まれ直し?」
「ええ」
時也は
ほんの少し苦々しく微笑んだ。
「僕は桜の木に咲いた〝花〟として⋯⋯
再び目を覚ましたのです」
レイチェルの指先が
ぎゅっと湯呑を握り締めた。
「⋯⋯時也さんも⋯不老不死⋯っ」
その言葉は
まるで誰かに向けたものではなく
ただ自分の口から零れた。
この人もまた
死ねないのだ。
愛する人が
絶望の中に取り残されないよう
ただ、共に歩むために⋯⋯
「⋯⋯⋯」
不死の呪縛に囚われた夫婦。
普通ならば
到底信じられる話ではない。
だが
自分の手で滅多刺しにした者が
傷一つなく存在し続けているのを
目の当たりにした今
レイチェルは信じるしか無かった。
ーアリアの不死の呪縛ー
ー不死鳥という神の狂気ー
ー時也自身も
死んで蘇った不老不死の存在ー
次々と明かされた真実に
頭の中が混乱していた。
(⋯⋯この店の人達は、いったい⋯⋯)
ふと
あのぶっきらぼうな
ウェイターの顔が
思い浮かんだ。
ふわりと窓から現れ
同じように
ふわりと 闇の中に消えた
あの異常な身のこなし。
(⋯⋯彼も、転生者なのかな?)
ふと湧いた疑問に
自分でも驚いた。
けれど
それが妙に
腑に落ちる気がした。
「時也さん」
恐る恐る声を上げると
時也は湯呑を持ったまま
穏やかに顔を向けた。
「私が〝第1号〟だって……
さっきの彼が言ってましたよね?
あの人も……
もしかして転生者なのですか?」
時也の表情が
僅かに曇った。
「⋯⋯彼の名はソーレン。
ソーレン・グラヴィスです」
「ソーレン⋯さん」
「貴女の言う通り
魔女の転生者ですよ」
「⋯⋯やっぱり」
レイチェルは静かに頷いた。
「彼の能力は、重力操作。
強力な力です」
「重力⋯⋯?」
重力⋯⋯
どんな原理かは分からないが
それであの身のこなしなのだろうか?
「僕が蘇る前に
青龍がソーレンさんを見つけて
育てたのですよ」
「え?青龍⋯くん、が?」
その事実が
さらに理解の範疇を超えて襲い来る。
「青龍くんって⋯⋯あの子供の?」
「ええ」
時也は微笑んだ。
「青龍は子供の姿をしていますが
人間ではありません。
式神、という存在なのです」
「⋯⋯しき、がみ⋯?」
再び知らない単語が飛び出し
レイチェルの頭はさらに混乱していく。
「⋯⋯もう、ほんと
信じ難い話が多くて⋯⋯
まだ理解が追いつきません」
思わず溜息を吐くと
時也は優しく微笑んだ。
「無理もありません。
今は、無理に理解しようとせず
少しずつで構いませんよ」
その言葉に
レイチェルは一度深く息を吸った。
「⋯⋯そうですね。
先ずは⋯私の中の問題から⋯⋯」
彼女は目を閉じ
自分の内側に意識を向けた。
ーアリアを傷つけた記憶ー
ー前世の怨嗟の叫びー
それらが胸の中で燻っていたが
思いの外
今は静かだった。
(⋯⋯さっきまでの
あの抑えきれない殺意は⋯⋯
消えてる)
あの深紅の瞳を思い出しても
胸がざわつく事はなかった。
「⋯⋯とりあえず
私にはもう
アリアさんへの殺意は無いようで
そこはホッとしてます」
その言葉に
時也は小さく微笑んだ。
「きっと
アリアさんに報復を行った事で
魂の怨みが和らいだのでしょうね」
「⋯⋯そうかも⋯しれませんね」
確かに
胸の奥にこびりついていた
黒い澱のような感情が
薄くなっている気がした。
「でも⋯⋯」
レイチェルは
また一つの疑問を口にした。
「⋯⋯ソーレンさんは
どうだったんですか?
彼も⋯⋯初めはアリアさんを
私と同じように⋯⋯?」
「傷付けるより質が悪いですよっ!」
時也の声が
突然強く響いた。
レイチェルは驚いて顔を上げた。
さっきまでの穏やかな表情が消え
時也の鳶色の瞳には
不死鳥の事を思った時とは
また違う苛立ちが滲んでいた。
「⋯⋯え?」
「あの人の前世
アリアさんに横恋慕してたんですよ!?」
「よ⋯横恋慕⋯⋯?」
「しかも⋯この現代でもっ!!」
時也が拳を握り締める音が
微かに聞こえた。
隠そうともしないその感情の昂りが
レイチェルにまで伝わってくる。
あの人の存在が
どれだけ
時也の神経を逆撫でしているのか
直ぐに理解できた。
「⋯⋯だから、あんなに?」
先程の二人の
皮肉の応酬のような睨み合いを
思い出す。
「⋯⋯⋯ええ」
時也は息を吐くように答えた。
「おかげで
ソーレンさんとは⋯⋯
どうしても馬が合いません」
アリアへの愛が深すぎるが故に
ソーレンの存在が許せないのだろう。
時也のその感情が
ありありと伝わってきた。
「⋯⋯それにしても⋯⋯」
レイチェルは
湯呑の中で揺らぐ茶葉を
ぼんやりと見つめた。
「本当に、このお店は⋯⋯
不可解なことが多すぎますね。
何だか私の悩みが
小さく思えてきましたよ」
笑い混じりにそう呟いた。
時也はレイチェルの言葉に
穏やかな笑みを返した。
けれど
その瞳には
微かに複雑な影が揺れていた。
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