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週末、私は陸翔兄さまにも手伝ってもらい、新しいマンションに引っ越した。
陸翔兄さまは、私の部屋に言いたいことはいろいろありそうだったが、何も言わずに手伝ってくれた。
「セキュリティが甘いことが気になるな」
そう呟いたが、聞かなかったことにした。
芳也と大学時代に住んでいた家は、それすらなかった。
帰り際、子供に諭すように、「鍵はきちんとかけろ」とか「何かあったらすぐに連絡をしろ」だの、私の年齢を忘れているのかと思うほど過保護だが、こんな風に誰かに気にかけてもらうことなど、ずっとなかった私は少しだけ嬉しかった。
「両親にもきちんと話に行くから」
毎日父と顔を合わせているのに、私の気持ちを優先してくれていた陸翔兄さまにそう伝える。
「俺も一緒に行こうか?」
「どうしてですか? 一人で大丈夫」
あまりにも心配する彼に、私は苦笑しながらそう言うと、「そうだな。もう大人だもんな」そう言い残して、陸翔兄さまは帰って行った。
早々に離婚できたことも、あの場所から抜け出せたのも、陸翔兄さまのおかげだ。
陸翔兄さまに小さく手を振り、彼が帰っていく背中を見送った。
翌日の日曜日は、初めての部屋でぼんやりとしていた。
会社の近くにあり、家賃はそこそこだが、すぐに住める場所で気に入っている。久しぶりの一人の生活で感じたことは、思った以上に精神的に芳也との生活に疲れていたことだ。
芳也にも、お義母さんにも、そして美咲さんにも、散々な目に遭わされた。しかし、もう関わらなくていてくれるのなら、それでいいような気もしてきた。
私が裏で彼をサポートし、仕事を回して、私が処理をしたから、芳也の会社はここまで大きくなった。それをばらして、芳也の地位を落としたい。そんな気持ちももちろんあった。
いや、今でもその思いがなくなったわけではない。あれほど見下され、虐げられたのだ。
「どうしようかな……。とりあえずは芹那に状況を確認しよう」
久しぶりにのんびりとした一日を過ごし、明日からの仕事に備えて早く寝ることにした。
翌朝、目覚ましの音で目を覚ますと、窓の外からは清々しい光が差し込んでいた。リビングのカーテンを開けると、光が降り注いだ。
「よし、頑張ろう」
自分にそう言い聞かせて、スマホの画面を何気なく見た。
「なに、これ」
画面に表示されたバナーの数に、ついひとりなのに言葉が出ていた。相手は芳也で、着信履歴は二十件を超え、メッセージもかなり来ていた。
「終わったはずでしょう?」
かなり狂気じみた内容に、私は背筋が凍る気がした。
そのメールのせいで、一気に食べる気がなくなり、私は簡単にハムとレタスとトマトのサンドイッチを作る。
今日から、芳也の仕事の処理も含め、芹那の元で仕事をすることにしたし、それほど時間がない。
結婚していたころは、芳也より一時間は早く起きて、出汁から味噌汁を作り、バランスも考えて朝食を作っていた。
しかし、もうそんな必要はない。コーヒーとサンドイッチだけを作るなら、こんなにも時間がかからないんだ。そう思いながら、私は二人掛けのダイニングテーブルにそれを置いた。
昨日までは離婚が成立したことで、かなりスッキリとした気がしていた。芳也がこれからどうなろうが、関係ないと思っていた。しかし、朝、スマホを見て一気に気持ちが暗くなる。
不倫をして、私をあれほど虐げ、手まで上げたのに、どうしてすんなり離婚しないのか、まったく意味がわからない。
お義母さんだって、きっと喜ぶはずなのに。確かに美咲さんは家庭的なタイプではないが、それでも彼女の華やかさやステイタスに惹かれたのだろう。
本当に今更だ。
私が今まで反抗をしてこなかったのは、陸翔兄さまの結婚が決まりそうだと聞いて、優しい恋に逃げた負い目があったからだと思う。でも、少なからず芳也のことは大切に思っていたし、ずっと芳也を支えてきたーーー。
そこまで思って、私は小さく息を吐いた。やはり一番最低なのは私だ。
傲慢な考え方をしている。好きになれない代わりに、彼を支えているからいいだろう、そんなこと許されるわけはない。確か陸翔兄さまの婚約者は明日香さんという方だっただろうか。いかにもなお嬢様タイプの傲慢な人なら、私ももしかしたら諦めなかったかもしれない。
でも、仕事ができて、美しく気品がある人だった。二人が並ぶ姿はとても眩しくて、他の誰かが入るなんて想像もつかなかった。
一度だけ、陸翔兄さまと一緒に、父の元へ来ていて会ったことがある。私にもとても優しく話してくれた。
もう、私はずっとひとりで生きていく。芳也は他に好きな人を見つけたのだから、その人と幸せになればいいのに。
私から離婚を切り出したことが気に入らないのだろうか。
そんなことを思いつつ、初日からかなり気が重く、私は久し振りのパンツスーツに袖を通した。