皆さんは芥川龍之介著「トロッコ」は知っていますか?
国語の教科書にも載っていることがあるのでご存知の方は多いでしょう。
私はそのトロッコの物語のような出来事を体験したことがあります。
これから語るのは私のちょっとした過去のお話です。
とある昼の事でした。同じ部活に所属している友人達と一人の友人の家へ向かい、そこで各々が楽しい時間を過ごしていました。勿論私も例外ではありません。
その友人の家は自宅からとても遠く、行くだけでも精一杯でした。
とある友人と一緒に向かい、着いた頃にはだいぶ疲れていましたが、友人全員が集合した際には疲れも忘れて楽しんでいました。
楽しい時間はあっという間に過ぎるものです。夕暮れの光が辺りにたちこめ、そろそろ帰ろうかということになりました。
行きに通った道を引き返そうとしたのですが、少し経って別の友人が
「○○ちゃんの家ならこっちの道のほうが近いよ!」
と提案したのです。
すぐに皆は元の道へ戻りました。私もそれに付いていきました。
全く知らない道。どんどん夕闇の気配が濃くなり、辺りには街灯の光が点々と着いていました。
全く知らない道を通るのには多少の躊躇いはありましたが、道を知っている友人が居たため後を付いていきました。
日は既に落ち、闇が宙に溶けていた頃。
時刻は十八時を過ぎ、焦心していました。
今まで帰宅時間が十八時をまわったことが無かったのです。
急ぎ足で帰りたかったのですが、私の目の前では悠々と話ながら歩く友人が。
友人を置いて帰るのもしのびなく、暗闇の中歩いていきました。
家の近くの駅まで着きました。早く、早く帰りたいと心の中で叫んでいました。
ここで、私はあることに気付いたのです。
別の友人が言った言葉。
『○○ちゃんの家ならこっちの道のほうが近いよ!』
すなわち、私を早く家へ帰すより○○ちゃんを早く家へ帰すことを選んだのです。
私のことわりをいれずに。
私の心が狭いのでしょうか。寛容に受け入れるべきだったのでしょうか。
それでも、怒りが沸々と沸いてくるのがはっきりと感じられました。
○○ちゃんを優先するのはわかります。私より皆から好かれているような人でしたから。私もその一人でした。
それでも。
私はなんの情も無しに切り捨てられるような人間だったのでしょうか。
そんなにとるに足らない友人だったのでしょうか。
悔しくて思わず俯いてしまいました。
ただ一人、私の怒りを聞いて受け止めてくれた友人だけが救いでした。
その友人と家路を走っていきました。
しかし、友人は私と反対方向の家。私の家まで同行させるのは申し訳ありませんでした。
同行を申し出る友人を断り、私は一人で暗闇の中走っていきました。
いつも通ってる道。しかし昼間とは見違えるほどの暗闇。親が心配しているのではないか。遅いと怒られるのではないか。
走りました。走って、走って、走りました。
上手く呼吸が出来ず、身体中が軋み、涼しい風が吹く中吹き出る汗。
走っていたからなのか、私の不安を体現しているからなのか、心臓が肥大化したようにばくばくと音をたてて暴れていました。
不安と焦りに包まれながら明かりのついた家に着きました。
切れた息を落ち着かせる暇もなく、鍵の開いていた扉を開き倒れ込むように家へ入りました。
「お帰り」
いつもの母親の声。
安心させるためか、強がりのためか大きな声で「最悪だ!」と声を荒げました。
その時には私の眼からは涙がぼろぼろと零れ落ちていました。
「トロッコ」でも主人公が家に着き泣きじゃくる場面があるでしょう。
主人公の気持ちがなんとは無しに解った気がしました。
何故泣いているのかわからないのです。
無事に帰れて安心したのか、友人にがさつに扱われて悔しかったのか、はたまた理不尽な目に合わされて心が折れたからなのか。
こうしてこの体験をここに書き記してはいますが、人生においてはこんな体験、要りませんからね。
皆さんはお友達を大切に。嫌いな奴はバサッと切り捨てましょう。
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ぽえぇ?