テラーノベル
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1週間も経たないうちに、
なつの身体はあざだらけで、
背中にはベルトの痕がまだ熱を
帯びて残っていた。
心のほうはそれ以上に壊れていた。
朝起きるのもつらい。
息するだけで胸がぎゅっと
締め付けられる。
何もしていないのに涙が出る。
父親がいない時間を狙って、
なつはよろよろと立ち上がる。
背中が痛くて丸まってしまうけど、
それでも前に進んだ。
手には茶色の封筒。
重さなんてないのに、手が震えるほどの
重さを感じる。
「……最後に、だけ……いるまに、
会いたい……」
小さく誰にも聞こえない声で呟いて、
なつはゆっくり家を出た。
歩くたびに肋骨がズキッと痛む。
足も引きずって、
顔色は死人みたいに青白い。
病院に着いた頃には、
なつはもう立っているのがやっとだった。
エレベーターの鏡に映る自分は、
目の下にクマをつくり、涙の跡が乾いて
白く残っていて、髪も服もボロボロで……
だけど──
いるまにだけは会いたかった。
最後に、それだけは。
病棟の廊下をふらつきながら歩く。
手すりにつかまりながら、
何度も息を整えて。
病室の前に立つと、
心臓がぎゅっと痛んだ。
「……いるま」
ドアの前で足が止まる。
もし、また嫌われたら?
もし、“誰ですか”って言われたら?
メンバーがいたら絶対止められる。
そんなの分かってる。
分かってるのに、会いたい。
それだけが支えで、
ここまで来れた。
震える手で、
そっと病室のドアをスライドさせる。
ギィ……
ベッドの上には包帯だらけのいるまが
横になっている。
その姿を見ただけで、
なつの胸の奥がぎゅうっと
締め付けられて、 涙が一気に込み上げた。
足がふらついて、
思わず壁に手をつく。
「……いるま……っ」
声が震えて出ない。
茶色の封筒がくしゃっと手の中で歪む。
いるまはまだ気づいていない。
眠っている。
その寝顔が、
あの日一緒に飛び降りる前に見た顔と
重なる。
「……ごめん……っ
ごめんね……っ」
声を押し殺して泣きながら、
なつはベッドの横まで歩いた。
最後に。
本当に最後に。
全部言いたかった。
なつは泣き腫らした目で、
そっといるまの肩に触れた。
指先は震えすぎて、触れているのか
触れていないのか自分でも
分からないほど。
「ごめん…起こすね……っ」
囁くような声で言って、
ほんの少しだけ揺らした。
けれど、いるまは微動だにしない。
「……いるま……?」
呼吸はしている。
けれど深く眠っているのか、
触れても反応がない。
胸の奥が急に冷えていく。
「いるま……お願い……起きて……っ、
ひとりにしないで……時間ないのッ…ねぇ」
声が途中で詰まる。
喉が痛いのに、涙が勝手にあふれる。
なつはもう、立っているのも
やっとだった。
片手でベッド柵を掴みながら、
弱々しい指でいるまの頬に触れる。
「ごめん、ごめんね……っ
会いに来て…ごめん……っ
でも……どう…しても」
涙がぽたぽた落ちる。
いるまの病衣に小さな染みが広がる。
その時──
ガラッ。
突然、病室のドアが開いた。
「…ッ…ぇ?」
なつの肩がびくっと跳ねる。
勢いよく振り返ると──
そこに、
目を大きく見開いたみことが立っていた。
白い紙袋を両手で持って、
その場に固まっている。
「……なっちゃん……?」
みことの声が震えていた。
なつは呼吸が止まる。
涙だらけの顔のまま固まって、
言葉が一文字も出てこない。
みことは一歩、
ゆっくり慎重に近付いてきた。
「……どうして……ここに……?」
驚きと、怒りと、悲しみと、
混ざった声だった。
なつの手から震えながら落ちそうになる。
「……っ、いるまに……どうしても……
最後に……」
声を出した瞬間、
なつの喉がひっく、
とつまって言葉が続かなくなる。
みことはぎゅっと拳を握って──
そのまま、なつの前に立ちはだかるように
しているまのベッドを守るように
位置を変えた。
「なっちゃん…その顔……どうしたの……?」
震える声で尋ねられ、
なつの心臓が痛いほど鳴る。
回答を求められているのに、
息が苦しくて言えない。
いるまは寝ている。
目を覚まさない。
もしかしたら──もう、
なつの声なんて届かない。
なつの足がガクッと崩れ、
ベッドの横にしゃがみ込む。
「……みこと……お願い……っ
いるまを……起こしたいの……
最後に話したいっ」
なつの声は、完全に泣き声だった。
みことは一瞬、
なつのその姿に胸が痛んだように表情を
ゆがめた。
「最後って…まだあるでしょ、?」
けれど次の瞬間、
まっすぐで、揺れない瞳で言った。
「……なっちゃん。
無理に起こしたら……いるまくん、
もっと痛いよ。」
その言葉が、なつの胸に刺さる。
「っ……でも……ッ!」
みことは一度、強く息を吸い込んでから
なつの隣にしゃがみ込んだ。
いつもの優しいみことのままだけど、
“守るべきものがある人”の目をしていた。
「なっちゃん……お願いだから
落ち着いて、 いるまは……今、
ちゃんと治療してもらってる。
だから無理に起こすのはだめ。」
優しい声。
だけど、拒絶の重さが含まれている。
なつは唇を噛んで、
声を出す前に涙がこぼれ落ちる。
「……でも……ほんとに……最後なの……」
ぽたり、ぽたり。
茶色の封筒の上に涙が落ちた。
みことはその封筒に目を落とし、
胸の奥でぎゅっと何かを押し殺すように
眉を寄せた。
「…ねぇ…最後って……どういう意味?」
なつは顔を上げられなかった。
代わりに震える声だけが漏れた。
「……もう……生きるの……無理で……
だから……ちゃんと……けじめ、だけ……」
言葉としては弱い。
でも、その裏にある決意は重すぎて──
みことの指先がわずかに震えた。
「なっちゃん……それ、
ほんとに言ってる?」
「ごめん…、うん……」
なつの声は、
悲しみじゃなくて“諦め”そのものだった。
みことは唇をきゅっと結び、
一瞬だけ天井を見上げて感情を抑える。
そして──
「……いるまは、どうするん?」
「っ……」
「置いていくの? ひとりで?」
その問いが
なつの胸にズドンと刺さった。
なつの喉が震え、
重い呼吸が漏れる。
「……俺……だって……いるまだって……
一緒に……死のうって……約束……
してたのに……全部……俺のせいで……」
みことはその言葉を聞いた瞬間、
大きく目を見開いた。
「……一緒に……って……なに……?」
みことは“知ってはいけないこと”を
今、理解しつつあった。
なつはもう隠す力も残っていない。
涙でぐしゃぐしゃのまま、少しだけ笑った。
「……俺といるま……一緒に……
死ぬつもりだった……」
みことの肩がわずかに震える。
空気が一瞬で変わった。
「……それで……あの日、
飛び降りたの……?」
なつは小さく、コクンと頷いた。
みことの表情は怒りでも
泣きそうでもない。
“何かが決壊する寸前”のような
危うさがあった。
なつの呼吸が止まる。
みことは立ち上がり、
ベッドのいるまの手をそっと握った。
「なっちゃん…どれほど苦しいかは…
きっと誰よりいるまが分かってた。
でもね……」
ゆっくり、なつを見る。
「これ以上、いるまくんを“死ぬ側”に
連れていかないで。」
なつの胸が、
張り裂けそうに痛くなる。
みことが続ける。
「いるまくんは…なっちゃんに
生きてほしくて飛び込んだんだよ。
死ぬためじゃなくて。」
その言葉は刃物みたいに鋭く、
でも本当のことだった。
なつは崩れ落ちるように
両手で顔を 覆った。
「……そんなの……言わないでよ……
俺……どうすればいいの……っ」
みことは、ほんの少しだけ優しい声に
戻って言った。
「まず……いるまくんの手を握ってあげて。
なっちゃんがここにいるって、
それだけで……きっと安心するから。」
なつの震える手が、
ゆっくりとベッドの方へ伸びていく。
みことは立ち尽くしたまま、
なつといるまの距離を見て、
そして茶色い封筒を握りしめて
震えるなつの姿を見て…
一瞬だけ表情を揺らした。
「……なっちゃん?」
喉が痛くて声が出ない。
ただ、手に持つ封筒が震え、
落ちそうになっていた。
みことはその封筒に目を落とす。
「それ…まさか遺書?」
なつの肩が大きく跳ねた。
「……ちが……う、けど……っ
ちが……わない……かも……」
やっと絞り出した言葉は、泣き声で
くぐもっていて、すぐに喉がひゅっと
詰まった。
みことは大きく息を吸い込んだ。
「なっちゃん、ダメだよ。
そんなの絶対に…」
「もう…俺、無理なんだよ……っ
こさめにも来るなって言われた、
らんにもすちにも怒られた、
家もどこにも逃げ場なんてなくて…っ」
なつは崩れ落ちるように床に座り込んだ。
手に持った封筒が、膝の上に落ちる。
「いるましか…俺、なくて……っ
ごめん……ほんとに、もう…」
声にならない声で泣いていると、
ベッドの上からかすかな動きがあった。
「……な、っ…ちゃん…?」
みことが息を呑む。
なつの顔がゆっくり上がる。
震える瞳の先で、眠っていたはずの
いるまが薄く目を開けていた。
「……なつ…さん…?なんで……
そんな……泣いて…………」
まるで夢を見るような弱い声だった。
なつの目から、ぽろ、ぽろ、と
涙があふれる。
「……っ、ごめん、ごめん……いるま……っ」
みことは小さく息を吐き、
そっと部屋の外へ向かう。
「……二人で 、話しなよ」
そう言い残して、静かにドアを閉めた。
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次回最終回
死ネタあります
ごめんね🤐
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