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#パワハラ上司
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「違う、私が本物、いっいや、刑事さん、違うんです! 私、この人のフリをしてただけで!」
支離滅裂な私の叫びは、冷淡な刑事たちの耳には届かない。
それもそのはずだ。私の目の前で
可憐に肩を震わせ、今にも消えてしまいそうな儚い表情で泣いている「彼女」こそが
SNSで何十万人ものフォロワーが熱狂し、崇拝してきた、あの美しきサヤそのものなのだから。
「落ち着いてください。話なら署でゆっくり聞きますから」
屈強な刑事に両脇を鉄の万力のように抱えられ、私はズルズルと無様に引きずられていく。
ふと、濁った意識の中で振り返ると
サヤが床に転がっていたタクヤのスコップをそっと拾い上げ
刑事の死角で私に向かって、冷ややかにウインクをした。
「……幸せなら、いいんでしょ。ミキさん」
私の名前。一度も名乗ったはずのない
私の本名を、彼女の唇が確かに形作った。
その瞬間、氷水を浴びせられたようにすべてを悟った。
サヤは、最初から私が自分を病的に模倣していることを知っていたのだ。
自分が引き起こした組織的な投資詐欺の罪
彼氏からの逃れられない暴力、そして雪だるま式に膨れ上がった巨額の借金。
そのすべてを背負わせる「無垢な身代わり」が
熟して自分の元へ落ちてくるのを、彼女はあの暗いクローゼットの中で
画面の向こう側で、蜘蛛のようにじっと待っていたのだ。
パトカーの、鉄格子のはまった窓越しに、遠ざかるマンションを見上げる。
そこには、彼氏を上手く言いくるめたのか
あるいは彼さえも「ストーカーを撃退した献身的な協力者」に仕立て上げたのか
窓際で優雅にコーヒーの湯気を眺めるサヤのシルエットが見えた。
◆◇◆◇
一ヶ月後───
私は、陽の光さえも拒絶された、冷たいコンクリートの壁に囲まれた留置所にいた。
接見に来る肉親も友人もいない。
ただ、差し入れられた古いスポーツ新聞の片隅、芸能欄に小さな記事を見つけた。
『人気インフルエンサー・サヤ、凶悪ストーカー被害を乗り越え活動再開!「本当の自分」をさらけ出す新スタイルで支持急増』
新聞の粗い写真の中のサヤは、私が鏡の前で一万回練習した
あの「完璧な聖女の笑顔」で笑っていた。
でも、その耳元に光るピアスは、私が自らの肉を裂いて奪い取ったはずの
あの三日月ではなかった。
もっと高価な、もっと光り輝く、新しい「偽物」だった。
「……ふふっ」
私は、ひび割れた独房の手鏡をそっと見つめる。
そこには、無惨に髪を短く刈り込まれ
頬はやつれ果て、でもどこか狂気的な満足感を湛えた顔をした「私」がいた。
「……見てよ、サヤ。今の私、あなたよりずっと…ずっと深い『絶望の匂い』がしてるでしょ?」
私は、サヤの運用マニュアルに書かれていた「不幸なエピソードを小出しにして同情を誘う」という項目を反芻していた。
今、日本中で私の……
いや、「サヤの狂信的なストーカー」である私の物語が、最高に刺激的な悲劇として消費されている。
私は、サヤにはなれなかった。
でも、サヤという煌びやかな物語における
「一番残酷で、一番美しいスパイス」にはなれたのだ。
私は指先で、カサブタになった耳たぶの醜い傷跡を、愛おしそうになぞった。
鉄格子の嵌った暗い部屋で一人、私はサヤと全く同じ、甘ったるい声で幸せそうに囁いた。
「幸せなら、いいよね」
画面の向こう側の、次なる獲物に向かって。