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──あれから。黒須君の家でまさかあっさりと果てて、気を失ってしまい。最後まで結ばれないと言う。自分の経験の無さを露呈し。恥ずかし過ぎて、死んでしまいたくなるような出来事から三日がたった。


果ててしまう、少し前の記憶はちゃんとある。

自分が何を発言したかも覚えがある。

契約妻の申し出を受け入れ。舌足らずで絢斗と、名前を呼んだ記憶もある。


(でも、果てた後の記憶が曖昧で。黒須君が何か言っていたような気が……)


確かめる術はなく。今度、時期を見て聞きたいとは思うけども。恥ずかしくて聞けないだろうなぁと思ってしまった。


それよりも今後の事も含めて話しがしたいのと、いきなり果ててしまったのも、何だか申し訳なく。せめてものお詫びの気持ちも込めて……一応「妻」と言う事を請け負った手前。


昨日。


思い切って自分から今日の休日を利用して、黒須君の家に行って、夕ご飯を作らせて貰えないだろうかと、提案したのだった。


黒須君は二つ返事で快諾してくれた。


「あの日から仕事が遅番でちゃんと会え無かったし。汚名返上って訳じゃないけど。初回の食事、私が上手く会話出来なかったしね」


そんな事を思いながら、スーパーに向かう道を歩きながら考える。


私のことを忘れていることは確かに寂しい。けれども今の私を黒須君はちゃんと見ていてくれている。だから、もう良いんじゃないかと言う気持ちと。


黒須君に体を触れられ。


誰にも渡したく無いと言う、想いがあった。

黒須君みたいに素敵な人が、独り身で居る方が不思議。

こうしてまためぐり合って、契約妻を申し込まれたのも何かの縁。この縁を繋ぎ止めたい。


もう離れてしまうのは嫌だ。私の頑張り次第では契約妻から本当の妻になって愛される可能性だって、あると思いたい。


「そうなれたら、いいな……」


軽くため息をこぼしてしまう。

それでも、自分が言い出した夕飯作りをきっちり作って、黒須君に喜んで欲しいと思った。

そんな事を考えながら私の地元のスーパーに向かい。買い物をしてから、黒須君の家に行く段取りを考えていた。


少し荷物になってしまうけれども、向こうのスーパーの場所とかはまだ土地勘が無く。

迷うのも嫌だったし、慣れたスーパーを利用する方が食材を揃えやすいと思ったのだった。


辿り着いたお馴染みのスーパーは昼過ぎと言うこともあって、夕方ほど混みあってなくて利用しやすい。

入り口で買い物カゴを手に取り。まずは入り口近くにあるお野菜や果物コーナーを見る。

黒須君の家には食材はほぼ何も無いと言っていたけれども。基本的な調味料や道具はあると言っていた。


「んー。黒須君は好き嫌い無いって言ってたから。何を作ろうかな」


口ではそんなことを言いつつ。

黒須君の名前を出すと自然に、頭の中で三日前の出来事を思い出し。

恥ずかしくも、艶やかな記憶が蘇り。この場でのたうち回りそうだった。


(だって、だって。あんなエッチな事されたしっ、気がついたら黒須君のベッドに寝かされていてっ、一緒に寝て居たんだもんっ)


あの日、果てた後。気がつくと早朝だった。

起きると黒須君が『真白、おはよう』と。

名前の呼び方が変わっていて。黒須君の中では契約妻として、私を迎え入れてくれたと思った。


でも、私はまだ恥ずかしくて『絢斗』と呼べないでいた。胸中で『黒須君』呼びがしっくりと馴染んでいたせいかも知れない。


それでも。名前の事も含めて、私が果ててしまったことを咎められることもなく。

逆に身体を労って貰い。早朝から家に車で送って貰って、黒須君の家の鍵まで渡されたのだった。


黒須君が言う『契約妻』は決して体目的じゃ無いと分かった。

しかも『俺にゆっくりと慣れてくれ』と、甘く別れ際に囁かれた。


「く、黒須君に慣れるようにって……て、難易度が高いような……てっ、それは置いといてっ」


最後まで結ばれてないとはいえ、好きな人と触れ合えたのは嬉しい。

こうして、思い出しては独り言が多くてなってしまう。


少し落ち着かなければと、気持ちを切り替えるように野菜の陳列棚を見ながら、そろそろと歩きながら母のことも思う。


母は今も少し迷っているけれども。家のパソコンで色々と簡易裁判や示談の実体験とかを検索しているようだから、きっと近い内に重い腰を上げてくれるだろう。


今は様子見がちょうど良いと思う。


「お母さんのことは見守りつつ。おばあちゃんのケアもして。ひとまず、今日は黒須君に美味しいもの作る。楽しい食事にする。うん、それで大丈夫なはずっ」


一先ず、言葉に出すと少し落ち着いた。

何よりこれからまた、黒須君に会えると言うのが楽しみだし。今日の為に綺麗めなワンピースを着ていた。


色は紺色。スキッパー襟のデザインでデコルテが綺麗に見えて抜け感もある。シルエットも女性らしいものを選んだ。


前回よりもちゃんとオシャレ感はある。

だから今日は料理とか会話とか失敗しないようにと、ワンピースの裾を翻しながら買い物を続ける。


くるっと野菜コーナーも回って見たところ、今日の特売品はネギとキノコ類が安かった。


「うーん。よし。すき焼きを作ろう。すき焼きだったらきっと、どこの家庭もそんなに味が大きく変わらないだろうし……お肉のグレードに違いはあるかもだけど」


カゴの中にネギ、椎茸。榎茸を入れる。

その足で精肉コーナーに向かい、いつも買うお肉のより、少し良いものを選んだ。


その後も順調に必要なものを買い揃え。ついでに緑茶の茶葉も購入して、食後にお茶の用意をしたら黒須君は喜んでくれるかなと、お会計を済ませ。


スーパーを出てこれで食事の準備は万端。

いざ駅に向かおうとしたら。

スーツを着たサラリーマン風の中年男性に「すみません」と、声をかけられ。思わず立ち止まった。


「櫻井真白さんですよね。少しお時間よろしいですか」


良く通る声。アナウンサーみたいな活舌の良さ。しかし風貌は猫背気味でどことなく、怪しいセールスの勧誘を彷彿させる男性。その男性が私と視線があうと、にたりと。嫌らしく笑った。


その笑みに何となく嫌悪感を覚え『何で私の名前を?』と、言い出したくなるのをギリギリ堪えた。


しかし、不審に思いながらも「なんでしょうか?」と眉根を寄せながら反応してしまった。


相手はそんな私のあからさまな反応に気にする様子はなく、そのまま喋り掛けて来た。


「そんな顔なさらないで下さい。私は怪しい者じゃありません。九鬼様の代理で参りました。九鬼史郎様の顧問弁護士、|宇喜田《うきた》と申します」


「っ!」


九鬼と言う名前に思わず身構える。

しかし宇喜田と名乗った弁護士はまた、にたりと笑ったのだった。



「そんなに怯えなくても大丈夫ですから。すぐにお暇します。早速、九鬼様のお気持ちをお伝えしますね」


「そ、そんな急に」


突然の事で戸惑っている間に、その男はペラペラと喋り出した。


「九鬼様は今回の事故に対して。そちら様が車の修理費をご一括で支払うことで、示談にして平和的な解決をと仰っています。あぁ、さすが九鬼様です。とても寛容なご判断をされています、が。しかし、櫻井家は女家族。失礼ながらお支払いは少々負担になるのではと、九鬼様は懸念されております」


勝手な言い分が終わり、またにたりと笑う男性に不信感しか募らなかった。


「本当に失礼ですね。不愉快です。地元の名士である九鬼さんの考えや行動には、不満しかありません」


それに母じゃ無くて、なぜ私にものを言うのか。なんだか不気味だった。


「まぁ、そう言わずに。だから九鬼様はあなた。真白さんにご提案を、とお考えです」


「……提案?」


「一週間後。市内のホテルにて食事をして、ゆっくりと二人っきりで話し合おうと」


「!?」


「貴女の母親は華道の先生です。これからも無事に華道を続けれるように。揉め事は互いに不要。九鬼様もお忙しい身。互いに良い道を探れないか、お年を召した母親だと柔軟に考えれないかもしれないと、九鬼様は思案した結果。娘の若い貴女なら、柔軟に対応出来るのでは無いかと思ってのことです」


「ふ、ふざけないで下さいっ、それって」


ホテルに呼び出されて食事。

いくらそう言ったことに疎い私でも分かる。


お金の代わりに九鬼氏は、私に──セックスを持ちかけてきたと思った。

私が体を差し出す代わりに穏便にしてやると、笑う九鬼氏が容易に想像出来て。思わず目の前の人物を睨む。


「あぁ。そんな風に睨まれても困りますねぇ。私は伝言を伝えるだけの者ですから。では、場所と時間指定を書いた九鬼様の名刺を渡します」


そう言うと。懐からさっと名刺を取り出し。ぱっと、私の買い物袋の中に名刺を入れて「貴女も子供じゃないんだから、よく考えなさい」と、言われた。


その諭すような口振りと蔑んだ目に、バカにしないでって言いたくなった。でも。


ここはスーパーの前の歩道。


変に騒いで注目を浴びたくなかった。それは目の前の男も同じようで。

名刺を袋に突っ込むと直ぐに私から離れ。車道に停めていたタクシーに乗り込み、あっと言う間に姿を消した。


タクシーが視界から消えるまで、その場を動くことが出来なかった。

宇喜田という弁護士から聞いた言葉は、胸に刺さり。先ほどまでの華やいだ気持ちが霧散して行くようだった。


買い物袋に突っ込まれた名刺は、気持ちが動転していてまだ見れない。


それでも、いつまでもこの場所でじっとしている訳にはいかず。

黒須君の家に行かなきゃと思い、とぼとぼと駅に向かった。

電車に乗り、降りた駅の近くにお花屋さんを見つけ。吸い寄せられるように、つい花をぼうっと見てしまい。

声をかけてられて、花を幾つか買ってしまっていた。


両手に荷物がいっぱいになり、歩くのが大変だったけれども。先程言われてしまった事の方が重く感じて、心にのし掛かり。

マンションに向かうまでずっと、どうしようと、考え込むばかりだった。

今、母に言っても動揺させるだけ。警察に言ってもどうしようもない。


(やっぱり、まずは黒須君に相談してからだよね……)


そんな事を考えていたら、あっと言う間に黒須君のマンションに着いた。


マンションは相変わらずのラグジュアリーさ。

しかし、予め黒須君から家の合鍵を渡されていたので怯む事なく。

ホールに佇むコンシェルジュの人に動揺を隠しながら挨拶をして、黒須君の部屋を目指す。


最上階にたどり着き。ちゃんと部屋番号を確認してから鍵を使い。そっと鍵を回すと、かちゃりと小さな音がして瀟洒なドアが開いた。


お邪魔しますと、小さく呟いてから玄関に入る。


黒須君は仕事で夕方ぐらいに帰って来る予定。だからそれに合うように先に食事を用意したかった。そんな私のお願いごとを黒須君はあっさりと了承してくれていて。書斎以外は好きにして良いと、言われていた。

スーパーの前で起きた出来事が無かったらもっと、軽やかな気持ちでそわそわして部屋に入ったと思う。


でも今は一人で静かに落ち着ける場所を求めていて、黒須君のこの家はとても最適だと思った。


中に入りしっかりと玄関の鍵を掛けて。

まずはリビングのキッチンに向かい、冷蔵庫に食材を入れさせて貰い。

広いアイランドキッチンの上にお花を横たわせると──やっと落ち着いた。


「はぁ……一体どうしたら」


ここなら人の目を気にしなくても大丈夫だと、大きくため息を付いて肩を落とす。


あの宇喜田と名乗った弁護士が押し付けて来た名刺を、ちゃんと見る気持ちになり。


袋から恐る恐る、名刺を取り出すと。

そこには『九鬼史郎』と言う名前と会社の名前。

電話番号が記載されており、表は至って普通の名刺。

それを忌々しい気持ちでじっと見る。でも、その裏には。


一週間後の日付とホテル名。食事場所のレストランの名前、時間が記されていた。


その他に何も書かれてないのが、余計に私に求められているものが『体』なのだと伝わってきた。


私がこれに応えないと、きっと家や母に嫌がらせをするんじゃないかと言う。確信めいた予感がして。


また大きくため息を吐いてしまうと、広い部屋に寒々と広がった。


広い部屋に一人。

ふっと息を吐いて、ため息ばかりだとしんどくなると思い。


「誰が行くもんか。嫌がらせなんかに負けない」


そんな風に言葉にして弱気を吹き飛ばす。それに私は曲がりなりにも、黒須君の契約妻を請け負った。

しっかりしなきゃと深呼吸する。


「えっと。落ち着いて」


名刺を磨き抜かれたキッチンの上に置いて、ゆっくりと気持ちを整える。


「大丈夫。私には黒須君が居る。だから、お母さんに言う前に黒須君に相談した方がいいよね。迷惑なんかじゃないよね」


これは個人的な相談ではなくて、弁護士としての黒須君への相談になったとしても。


「うん。ちゃんと黒須君に話そう。それからお母さんに言って……」


家族二人に打ち明けるにも勇気がいると思った。でも、黙ってる訳にもいかない。


少しずつ冷静になって来たけれども。同時にこんな事が無ければ、もっと華やいだ気持ちで食事を作れたのにと言う、悔しい思いも胸に広がる。


「……昔のことを黙っている罰かな。自分に都合の良い、契約妻っていう立場を利用しようとした罰……」


それとも両方かな。

なんて思ってしまった。胸がまたちくりと痛くなり。俯いてしまうのを頬をぱちっと叩いて気合いをいれた。


「お家まで来たんだから、まずはご飯ちゃんと作ろう。エプロンだって持って来たんだし。そうだ、お花も活けなきゃ」


前回、食事に誘ってくれたのに会話が上手に出来なかった。

同じ轍を二度も踏みたくはない。

どのタイミングで言うか迷いどころだった。


せめて食事中だけでも、楽しいものにしたいと言う気持ちもある。早く相談したいと言う思いもある。


黒須君は今日の食事をとても楽しみにしていると言ってくれていた。


「食事の用意をちゃんとしよう。折角楽しみにしてくれているんだから」


これ以上悩んでも良く無いはず。

頑張ろうと思い。

何とか気持ちを入れ替えるのだった。

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