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午前2時30分
都市の眠りは深く、警察署の灯りすらほとんど消えていた
きりやんは静かな住宅街の中、自分のアパートの前に立っていた
パトロール帰り
月明かりの下
肩の温度だけが生身を感じさせていた
鞄の中の鍵に手を掛ける時、なんとなく、視線のようなものを感じた
誰もいないはずの街道
だが、その”いない”という事実が、逆に胸をざわつかせる
「……気のせいだ」
鍵を差し込み、ドアを閉め、チェーンを掛ける
靴を脱ぎ、ネクタイを緩ませ、無言でリビングに入り、
ーー一瞬、呼吸が止まった
部屋の中が、少しだけ違っていた
棚の本の位置
カーテンの閉まり具合
机の上のペン立ての位置
一つ一つは些細だ。それでもそこには「違和感」が確かに存在していた
ーー誰かが入った
確信ではない。ただの直感
けれど警官としての勘は確かに高く胸を打っていた
冷蔵庫を開ける
中のものは微妙に整えられていた
昨日まで手につけていた期限ギリギリだったコンビニ弁当は跡形もなく消えていた
「……ぶるーく」
思わず口にしてしまった名に自分で噛み締めるように歯を立てた
扉に無理矢理開けた痕跡も、窓の鍵が壊された跡も一切なかった
だが奴はーー
ここに入った
理由も方法も不明
ただ、あの気配が部屋に染み付いていた
そしてーーふと、ソファの上に気づく
一輪の黄色い花
その花には、血のように赤いリボンが結ばれていて、メモも添えられていた
『君の疲れた顔、眠ると可愛いんだよ。知らなかったでしょ?それと、キッチンに君の好きなカフェオレ、置いておいたよ。少し飲んじゃったけど』
狂気と優しさが滲んでいた
握りつぶそうとした手が震える
きりやんはキッチンへと入り、無造作に置かれていたペットボトルのラベルを確認する
確かに自分がよく飲むカフェオレ
だが、買った記憶など微塵もなかった
開ける気にも、ましてや触る気にもなれなかった
僅かについていたペットボトルの表面の水滴に思わず、顔が歪む
「気持ち悪い」
吐き捨てるように呟き、リビングの灯りを全灯にした
足元にカチと、何かが当たる
見てみるとそれはよく使う、ヘアピンだった
だがそれは今朝なくしたはずのもの。それが何故床に?
「全部見てるって言うのか…?」
その問いに答えるものはいない
けれどまるで聞こえた気がした
『うん。ずっとみてる』
翌日、きりやんは署内でも、いつになく神経質だった
同僚との会話もそつなくこなすが、どこか浮いていた
ーー最近署の人員が、減っている。理由は様々だが、
「異動」「不審死」が続いていた
きりやんの身近な者ほど、奇妙な運命に飲まれている
それでもきりやんはぶるーくとの直接的な関係は一切語っていない
それが、あの男の望みだとわかっているから
触れれば触れるほど、ぶるーくは喜ぶ
きりやんが苦しむ様子を見て嗤う
「なめんな……」
彼の正義は、未だ冷たく美しく燃えていた
その日、帰宅したきりやんの部屋の扉には、また手紙が挟まっていた
『昨日のカーテン、少し開いてたから閉めておいたよ。君が他の誰かに見られるのは嫌だからね。僕の目だけで、君を映したい。』
感情のない優しさ
静かに侵入してくる狂気
それは音もなく、彼の人生に水を染み込ませていた
数日後ーー
署に新しい顔が加わった
優秀な分析官だというその男は、やけに人当たりがよく、話し方も穏やかだった
「初めまして。よろしくお願いします。情報化の赤嶺です」
「ああ…よろしく……」
握手を交わした時、きりやんはふと目を細めた
どこかで見た気がする
それが誰かはーーまだ、思い出せなかった
『今日、君の手に初めて触れた。』
『僕の方が、ちょっと震えてたかもね』