ポツポツと傘の生地を叩く雨音が不規則なリズムを刻む。
『今日はいつもと違うことをしよう』
そう思い立って、私は傘を差して雨林を歩いていた。本日ばかりは背中に輝くいくつもの星も、それが必要なところ以外はお休みの予定だ。
傘に合わせてコーディネートも少し変えてみた。雨が降り続く雨林は水のイメージから青色を連想して、雨林に居る精霊さんから貰ったティールケープ。マスクは雨粒を思わせる雫の入ったデザインだ。マスクと持ち物、ケープを変えるだけで今日はいつもと違う日になると予感させるから不思議だった。
いつもならこの背中になびくケープの星が消えるか消えないかの調整をして、小休憩を挟みながらさっさと駆け抜ける様に飛び去ってキャンドルの欠片を集める所だけれど、今日は違う。
普段のキャンドルマラソンでは意識してショートカット出来る最短ルートを飛ぶのだけど、傘を差しているからあえてキャンマラルートを行かず、堂々と道なりを進んでみたり、寄り道をしながら歩いて行く。
ぬかるんだ地面が足を取り、地面から跳ねた雨水が足首をヒタヒタと濡らしていく感覚がする。靴を履いて来れば良かったと一瞬思って、でもこの感覚はこの感覚で良いものだと思い直し、あえて素足を泥に浸して弾むように歩を進める。思いっ切り跳ねた泥水がむき出しの足のひざ下まで汚していくが、私は気にせずステップを踏んで二つに結んだ三つ編みや雨水を跳ねさせた。
普段から飛んだ後の着地や小休憩の際に足をぬかるんだ地面につけているはずなのに、やっぱりそこまで意識していないからか、今日のゆったりキャンマラはいつもと全然違う感覚がした。
音が、景色が、感覚が、全部違って見えるのだ。
先ほども開拓地の晴れ間から扉を一枚通り抜けると途端に雨模様に変わり、打ち捨てられた船が並ぶ他より一等深い水溜まりを腰まで水に浸けて真っ直ぐ歩いて来たばかりだ。
シトシト、ピチャピチャ、ザブザブ、ポツポツ、パラパラ、キラキラ……
それは雨の降る音、私の足が湿った土を蹴る音、深い水溜まりをかき分けて進む音、雨粒が傘を叩く音、木の幹の上に雨が落ちる音、キャンドルの欠片を私の器が収める音、と様々な音が不規則な間隔で奏でるハーモニーだった。
今までの自分の中で決めたルートを飛ぶキャンドルマラソンに特化した道行きではない。
それは私にとって新しい発見半分、自分が雀だった頃は訳も分から端っこにいる精霊さんにも気付かずただただ真っすぐ突き進んでいたなぁという懐かしい気持ち半分のワクワクした新しいキャンドル集めだった。
飛ぶことを極力控え自分の足だけで進む雨林は、先行する星の子達の手によって闇花はとうに燃やされていて、欠片を集めるばかりである意味楽ちんでもあった。
ツリーハウスを左手に眺めながら、大きな木の幹が立ち並ぶ皆が通る場所だけ踏み固められた道を抜ける間に、星の子の光に誘われたマンタがキュウ…と鳴いて体を摺り寄せてくる。
傘を差しているので背中の羽の輝きは失われておらず、光に満ちたマンタからの回復は不要だったが、体を摺り寄せてくるマンタが可愛くてついくすぐったくなってしまう。
そうやってマンタと戯れ、鳥達の群れを観察している内に、三つ目の仕掛け扉の前に来ていた。
まだ私の周りを飛び回るマンタに名残惜しくも小さく手を振ってお別れをすると、マンタもスッと離れて降り注ぐ雨の中へ泳ぐように帰っていく。
扉を開くためのスイッチへ胸元から取り出した白いキャンドルの火を近付ける。スイッチが輝いて回路がスーッと上部へと伸びていく。
伸びて……
伸び…………
……………………
「もー! また扉が開かない!」
私は我慢が出来ず、つい大きな声で叫んでしまった。
扉の回路は上部へ直線に伸びたままで扉はシン…と静まり返っている。ここに来るまでの2つの扉も、最近は接触不良なのか中々開かなかったのだ。
昨日までなら翼を使って飛んでしまえば2つ目の扉だけは門の上を通ることも出来たのだが、今日は出来るだけ自分の足で歩みを進めたい。
ここでこうして自分の力だけではどうしようもない部分で時間を取られることが三回も続くと、やっぱりイライラの芽は出てきてしまう。
接触不良の原因を何となく察しているから(私は絶対すり抜けしない様にしよう。雀ちゃんのためにも)と新たに決意を固めるのだ。
イライラしても仕方ないと自分に言い聞かせながら、扉が開くのをじっと待つ。
自分を落ち着かせるために、雨粒が奏でる演奏に耳を傾けた。
時間にして数秒。
けれど何も出来ずにただ待つだけの数秒ほど時間は長く感じるもので。
突然回路からヴォ…ンっと低い音がして扉と回路が繋がった音がした。
(あ、やっと開いた)
扉を見上げると、ふいに私の耳にポロン…とピアノの旋律が届いた。
どうやら他の星の子が『現れた』らしい。
この世界では突然闇花が全て燃えたり、キャンドルに火が点いたり、目の前や遠くにいきなり見知らぬ星の子が現れることがよくあるのだ。逆にフレンドが突然消える、という現象もよくあるのだが。
カラカラカラ…とゆっくりと開いていく扉を背に、私はピアノの旋律の出所を探るべく耳を澄ませた。
(深い水溜まりのほう……?)
正確な音の出所はまだ分からないけれど、その美しい曲は今来た2つ目の扉の向こうから聞こえていた。
せっかく扉が開いた所だけど、今はこの音色の下に向かってみたい。
『いつもと違うことをしよう』と決めたのだから、気の赴くまま元来た道を戻ってもいいのだ。
私は扉の前の屋根の下から出ると、畳んでいた傘を開いて先程歩いていた道を引き返し始めた。
このスイッチのある扉は不思議なもので、行きの回路起動は簡単に出来たり中々出来なかったりする癖に、戻りの回路は難なく起動出来る。基本皆進むばかりで、戻る星の子の方が稀だからだろうか? 接続回数が多い方が消耗してしまうこともあるのだろう。
2つ目の扉を今回も翼を使って飛び越えることもなく楽々通り抜けると、一段とピアノの音色が近くなった。
この場所は四角く箱庭の様に仕切られていて、右手側に船着き場? と打ち捨てられた船があり、船の出入りのためか中央に広く空間が取られている。その広い空間にいつしか雨水が溜まって出来たであろう水溜まりが、先程腰まで水に浸かってかき分けるように進んだ道のりだった。
左手には四角に区切られた壁に沿うように石かレンガか精巧に組み上げられた石造りのアーケードがあって、この屋根のお陰で石畳の歩道を歩くだけで今の私達も扉と扉の間を濡れないで往けるようになっている。
見渡した範囲で、楽器を奏でる星の子は見えない。けれど最初の扉の更に向こうから音が聞こえている訳でもない。
となれば、心当たりは一つだった。
左手に見える石造りの歩道には不思議と高さがあって、高くなった歩道の壁面にはひらけた空間から入れる横穴が設けられている。
石畳の下には別の空間が広がっている設計だった。
横穴から入った空間は真っ直ぐ進んで突き当りを右に曲がればもう行き止まりなのだけど、奥にはロウソクの祭壇があるのだ。祭壇のロウソクに火を点けると、何か意味があるのだろう壁画がトンネルの壁全体を覆い、神秘的な空間になる。
ずっと響き続けるメロディーを辿るように、ザブザブと深い水溜まりの中を歩いて石畳の下のアーチをくぐる。すでに祭壇にロウソクが灯っているようで、壁には薄く発光する壁画が描かれていた。
どんどんと音が近くなってくる。
完全にトンネルの中に入ったら邪魔になってしまった傘を畳んで壁の影に身を潜めると、そっと行き止まりの壁画とロウソクの祭壇を覗き見る。
そこにはやはり、壁画と祭壇を前に楽器を弾く星の子が居た。
トンネルの中だから、その星の子が奏でるピアノの音色は美しく反響していた。
一度自分の存在を主張するために小さく「パポ」と鳴いてみるも、演奏家の星の子の手が止まることはなく、旋律は途切れない。
しばらくは壁の陰に隠れながら聴いていたけど、いつまでもコソコソと聴いているのもどうかと思って、私は少し小高くなったロウソクの祭壇の前で曲を弾く演奏家に近付く。流石に相手の星の子も気付くだろう傍に静かに座った。
どれだけの時間が経ったかは分からない。私は目の前の演奏家の星の子が奏でる曲のタイトルも知らないし、初めて聴く旋律だったから。
ただただ静かに拝聴しているだけだった。
それでもメロディラインが次第に盛り上がりに向かい、最高潮の部分を超えて、少し緩やかな余韻を残す楽調になったのは分かった。
楽調通り、切りの良い所まで弾き切ったのか満足したのか、演奏家の星の子がカランッと奏でていた楽器を背中に背負う。
私は曲が終わった時点から惜しみない拍手を送った。それだけ良い演奏だったから、心からの賛辞を込めて。
楽器を背中に背負った演奏家の星の子は一度ペコリとお辞儀をすると、胸からロウソクを出してきた。私も同じく胸元からロウソクを取り出すと、お互いに火を灯し合う。
火を灯して浮かんできた演奏家さんの姿は裏地がピンクの白ケープに袴を合わせ、桜の髪留めで二つに結んだ清楚な印象の方だった。
(あ、お揃い……)
マスクは私とお揃いの雫型の仮面で、同じマスクのはずなのに演奏家さんの方が数倍お洒落に見える。
髪留めの桜と裏地がピンクなこともあって、すっかり演奏家さんのイメージが桜になってしまった。
桜さんは姿が見えた後再度ペコリと一礼してくれたので、私も慌ててお辞儀を返した。
お互いに挨拶が終わると、桜さんは背負った白いピアノを再度取り出して、また流れるような手付きで曲を演奏し始めた。
まだ聴けるんだと嬉しくなった私は、桜さんのすぐ傍で腰を下ろす。桜さんは私が傍に座ることを気にもかけていないのか演奏の手は止まらなかった。
桜さんの奏でる曲は全て私の知らないものだった。
私自身音楽に疎い自覚があるので、私が知らないだけで他の星の子からしたら有名な曲もあったりするのかもしれない。
だから普段の他の星の子の演奏だと、曲を知らないから一曲終わったのかが分からなかったりする。演奏が終わった後、直ぐに次の曲に入られると特にさっぱりだった。
(曲調が変わった?)と思うことがあっても、違う曲になっているのが分からない。周りの星の子が拍手やクラッカーを鳴らすから、一曲終わったのかと察することもあった。
けれど桜さんは一曲奏で終わる毎に二拍くらい間を置いてから次の曲に移ってくれる。お陰で私は曲が終わる毎に拍手とクラッカーで演奏に対する称賛を送ることが出来た。
なんだかお互いに会話やエモートを使わなくてもコミュニケーションが取れているようで、こういう方法もあるんだ、と胸が温かくなる。
短い曲と長い曲を織り交ぜつつ、洞窟の外から聞こえる雨音も音楽の一部としながら2~3曲続いた頃だろうか。
また新しい星の子が現れた。
その星の子は『パ、ポ、プ、ポ、ポ……』とずっと鳴き続けながらトンネルへ入ってくると、桜さんに密着し桜さんの様子を少し観察すると、その場でいきなりジャンプをし始めた。ちょうど桜さんの白いピアノの真上の位置だった。
「なッ!?」
この世界では相手の使う持ち物へ干渉するには条件を満たさなければ出来ないから、実質的に桜さんへのピアノの損害は0だろう。けれど端から見ていて演奏妨害に匹敵するような行為は気持ちのいいものではない。あんまりな行為に思わず声が出てしまう。
一方桜さんは、尚も気にせず演奏を続けている。
桜さんが気にせず曲を奏でているので、私は新しく来た星の子に抗議の意味を込めて鳴くに留めた。
それでも反応がない事にエスカレートしたのか、野良の星の子も楽器を背負っていたらしく、楽器を取り出すと無茶苦茶な音を掻き鳴らし始めたのだ。
「何するの! やめてよ!」
流石に堪らずカッとなって私は声を上げた。
もちろんロウソクを交換し合っていない星の子相手では、私の声なんて聞こえていないのだけど、それでもムカついてしまったのだ。
そんなことしちゃ駄目! をエモートで表現するも、元からそういう悪意や害意を持って行動を起こしている野良には効く訳もなく……。
鳴き声もエモートも気にせず演奏を続けていた桜さんが、遂に演奏の手を止めて楽器を背中に背負ってしまった。一度肩を竦めるエモートだけすると、私の方を向いてペコ、と一礼だけして座り込む。笑うエモートを始めた野良の星の子に怒りの地団駄で返す私の横で、桜さんはホームに帰っていった。
悪意を持って火灯しに応じない星の子に構うのも馬鹿らしくなって、私は急いで素敵な演奏をしてくれた桜さんの後を追ってホームに向かう。
既に別のエリアに向かっていたらもう会えないかもしれない、そもそも花鳥郷の方に戻っていたらその時点でお別れかもしれないとも思ったけれど、幸運なことに桜の演奏家さんはホームの星座盤の上で夜空を見上げながらロウソクを出していた。フレンドに欠片を送っていたらしい。
再会できたことにホッとして「パッポ……」と一鳴きした。
鳴き声で私の存在に気付いたのか、桜さんは一度「パポ」と鳥の声で鳴くと、クローゼットへ走っていく。
持ち物をピアノから椅子に持ち替えると、私の元へと駆けてくる。
(お話かぁ……。言葉、通じるかな。でも良い演奏に『ありがとう』は言いたいな……)
この世界では生まれ落ちた段階から言語系統がバラバラなのだ。一応言葉でも意思疎通が取れないこともないが、言葉同士があやふやな意味になってお互いに誤解が生じることもある。
桜さんが椅子を背負った時点で会話を望んでいるのは明らかで、案の定目の前に二人掛けのテーブルが置かれた。
桜の枝が添えられたローテーブルの前に正座をして桜さんが座る。服装も相まって、このローテーブルととても似合っていた。
私はきちんと対話ができるか不安を感じつつ、ドキドキしながら目の前に湯気の立つお茶が準備されたテーブルの前に座った。
『Hi こんばんは』
「! こんばんは!」
耳慣れた言葉にハッと顔を上げて挨拶を返した。同じ言葉ならそこまで手間も掛からず受け答えもお礼も言えるはずだ。
『おや、同じ言語系統の方。ふふ、ご清聴ありがとうございました』
「いえ! こちらこそ、とっても素敵な演奏でした! ありがとうございます!」
『音楽で良いコミュニケーションが取れました』
私が勝手に聴いていただけなのに、まさか桜さんもあの時間がコミュニケーションの一環だと思ってくれていたとは思わなくてビックリしてしまう。
『それに、さっきは怒ってくれてありがとうございます』
「いえいえ、だってあんな事を目の前でされたら不快ですもん! むしろ途中まで動じないで弾いていたから、貴方は気にならないのかと思ってました」
『あー、いえ、それは単にあの段階ではまだ悪意があると確証を持てなかったので……』
「え!? あれは演奏妨害じゃないですか!?」
『流石に楽器を無茶苦茶に弾くのは悪意でしたねぇ。でもそれより前の動きについては確証が持ててなくて』
「そうなんですか?」
『ええ。星の子によっては『一緒に盛り上がろう!』を良しとする子も居て、邪魔する意図が一切なく、一緒にダンスしたり鳴いて盛り上げようとする星の子も居るんですよ。なので今回も距離が近すぎるそういうタイプの子の可能性を捨て切れなかったので、確信が持てるまでは弾いてましたね』
「えー! そんな星の子も居るんですね、初めて知りました」
音楽は静かに聴くものだと思い込んでいた私は、桜さんの意見を聞いてそういう星の子や考え方もあるのかと純粋に驚いてしまう。自分の考えが一般的なマナーだと捉えてしまっていたので、そういう視点があることを知ったのはまさに目から鱗だったのだ。
『あの子は悪意ある子でしたけどね』
桜さんは困ったように笑う。私も「確かに酷い子でしたね」と先程の悪い記憶を吹き飛ばすように笑った。
私と桜さんの笑い声が落ち着いてくると、少しシン…とした間が出来た。
『貴方は素敵なオーディエンスでした。聴いてくれてありがとう』
「いえいえそんな! こちらこそ素敵な演奏でした! 音楽に詳しくないんですが、私も良いコミュニケーションが取れて嬉しかったです! ありがとうございます!」
姿勢を正した桜さんが私の目を見て再度ぺこりと頭を下げた。まさかそんな姿勢を正してまで礼をされてしまうと、こちらも恐縮してしまう。
不格好で拙いながらも素敵な演奏だった事、こちらも良いコミュニケーションが取れていて嬉しかったことをたどたどしく伝えていると、どうしても相手のお名前を呼べないことに不便を感じてしまった。
「あのぅ、お名前お聞きしてもいいですか?」
『名前……、そうですね、常識の範囲内でお好きに呼んで頂ければ』
「えっ!? お名前、無いんですか?」
『自分で自分の名前は呼ばないので、特に決めてないですねぇ。他の方からも思い思いに呼んでもらってますし』
「え、え、じゃあ髪型やケープの色から勝手に桜さんだと思っていたので、そのまま桜さんと呼ばせて頂きます!」
『桜、桜……、良い名前ですね。貴方のお名前は?』
桜さんは今しがた自分に名付けられた名前を舌の上で転がすように呟いてニコリと笑ってくれた。そのまま流れるように私の名前を訊ねてくる。
「うー、この流れなら私の名前も好きに決めて頂きたいかも、です」
『ふふ、そうですか?』
穏やかに微笑む桜さんへ「そうです!」と大きく頷く。
私の勢いに押されたのか、桜さんは私の姿をちらと一瞥して考え込み始めた。
『それなら【雫さん】と呼ばせて頂きますね。あまりセンスがなくてすみません……』
「いえ、全然! 【雫】だなんて、綺麗な名前だと思います! むしろ名前負けしてません!?」
『してませんしてません。えーと、雨林で出会ったことと、傘を差していること、それにほら、お揃いのお面! 安直ですが、雨を連想してその名前にしました。名前負けなんてしていませんよ』
自分のお面を指差してお揃いだと嬉しそうに語る桜さんは、一つ一つ丁寧に私の名前の由来を語ってくれる。
私はケープの色味と髪留めの桜からそのまま取った名付けだったから、安直と言うなら私の方がよっぽど安直だったと思う。むしろそんなイメージだけで付けた名前に申し訳なくなってしまう。
もう一度ちゃんと考えて桜さんの名前を決めようかと悩み始めると、当の桜さんは胸の灯りから白いロウソクを出して、私に差し出していた。
私からロウソクを出すべきなんじゃないだろうかと一瞬思ったものの、まだまだこれから再訪する精霊さんへお渡しするロウソクのことも考えて、本当にありがたく受け取ることにした。
ロウソクを受け取る前に、感謝の意味を込めて何度もペコペコと頭を下げてからロウソクを受け取る。
桜さんのロウソクが、私の中の火に溶けていく。
相手、もしくは自分のロウソクが他の星の子の器に溶けると、その火を通して星の子同士は繋がるのだ。お互いに溶けたロウソクが多ければ多い程、チャットテーブルを使わずとも言葉が通じるようになったり、二人だけで出来る行動が増える。
桜さんのロウソクを受け取ると言う事は、確実に桜さんと繋がりが出来たという証拠だった。
一つロウソクを受け取って、また感謝の意味を込めて頭を下げようとしたところ、桜さんはもう次のロウソクを出していた。
今度は私からと思っても、既にロウソクを出されていては受け取ってからでないと自分からロウソクを出せない。そうこうしている内に桜さんは次々にロウソクを取り出して、怒涛のロウソク攻めが始まった。
なんとかこちらからロウソクを出そうとしても、桜さんの動きの方が早く、私がロウソクを出す暇もなく、結局全て受け取る形になってしまった。
だいぶロウソクが溶けたことで言葉が通じるようになった桜さんが満足気に一つ頷くと、目の間に出してあった桜の枝が挿してあるローテーブルを片付けた。
『ふふ、これでお話ができるようになりましたね』
「あの、あの、ロウソクありがとうございます。全然私からロウソク出せませんでした……」
背負っているローテーブルから着替えるためにクローゼットへ向かった桜さんの後について歩きながら、私からロウソクが出せなかったことをお詫びする。
『いえいえ、こちらはロウソク沢山あるのでこれくらい平気ですよ。むしろフレンドさんが増える(こういう)時くらいしか使わないので……』
言動や恰好からなんとなく予想はついていたけれど、桜さんはやっぱりこの世界に生まれて長いのか、ロウソクが沢山あるらしい。
再訪精霊さんの来訪が近付く度、ロウソクのやりくりとキャンドルマラソンに追われる私とは大違いだった。
クローゼットの前で桜さんはクルリと体を一回転させると、背中のアイテムは一瞬で白いピアノへと変わる。
『雫さん、この後お時間はありますか?』
「? ありますね……?」
流れるように今後の時間の予定を訊かれ、私も今後特に予定もなかったのでそう返すと、桜さんはスッと私に手を差し出してきた。
『まだ弾き足りないんです。よろしければ、雫さんにも聴きに来て欲しくて』
「いいんですか!? 行きます!」
素敵なお誘いの言葉に、私は桜さんの手を取る前に思わずビシッと一つ敬礼を取ってしまった。
(凄い、自然に誘われちゃった)
相手を待たせるわけにはいかないと、敬礼を解いて桜さんの手を握る。
『ふふ、お時間頂いてありがとうございます。素敵なオーディエンスが居ると、こっちも嬉しいんですよ』
桜さんは私の手を引くと舞い戻りの像の前まで歩き出す。
『流石にもうあの子は居ないでしょう。雫さんと出会った記念に雨林がいいなと思って』
一言そう言うと、桜さんは目の前の舞い戻り像の前に座る。徐々に小さくなる足元の光が消えてしまう前に、私も急いで舞い戻り像の前に座った。
視界がホワイトアウトしたと思うと、次の瞬間には周りがじっとりと湿った空気の中に居た。
桜さんと並んで戻ってきた場所は先ほどの雨林で、深い水溜まりと箱庭を囲うように石畳がある通路の上だった。背後を振り返れば一枚目の扉がある。
隣で立ち上がった桜さんがまた私に手を伸ばしてくる。
その手を握り返して立ち上がると、私は背負っていた傘を開いた。これで桜さんも雨に濡れなくなる。
私の手を握った桜さんが雨降る雨林の中を背中の翼でまるで雨粒を切る様に飛び立つ。
桜さんと握った手から微かにトクン…トクン…と器の中の火が脈打つ音がする。その微かな音を打ち消すかのようにヒュッと雨風を切る羽の音と、パラパラと傘が雨粒を弾く音が連なる。
不意に私の手を引いて前を飛ぶ桜さんが口を開いた。
『……久し振りに、傘を差してもらいました。この音も良い音ですね』
桜さんの声音は優しい程に温かかった。
まさか同じことを考えていたなんて、とまた考えが被ったことに驚いてチラリと桜さんの表情を伺うと、気持ち良さそうに微笑んでいる。
「はい、良い音です! ……あの、今日は普段と違うことをしようと思って傘を差して歩いていたんです。そうしたら綺麗な音が色々と再発見出来て、本当にやって良かったです」
思わず今日の私の出来心からの行動を語ってしまう。
なんとなく、桜さんにきいて欲しかったのだ。
仕掛け扉を一つ飛び越えて木の幹が並ぶ道の上を低空飛行していたかと思うと、雨が避けれれる大きな倒木の根本で一度立ち止まる。
『ふふ、いいですね。それならこちらも、傘の音とか、鼓動の音とか久々に色々聞けちゃって、おこぼれに預かってますね』
桜さんは穏やかにそれだけ言うと、また私の手を引いて飛び立つ。
私は桜さんが手を引いて向かう先を知らない。
けれど、なんとなく。
なんとなくだけれど桜さんがこれから行く所は、きっとどんなところでも綺麗な音がする予感がした。雫が降る音も、雨粒を弾く傘の音も、桜さんならそれら全部も含めて調和のとれた音楽にしてしまう予感がしたのだ。
「私、桜さんがこれから弾く音が楽しみで仕方ないです」
『おや。ふふ、ご期待に添えるかは分かりませんが、楽しんで弾きますね』
風を切る音や雨粒の音、傘に遮られる水音に隠れるように、私の鼓動がこれからの期待に弾む音がした気がした。
終わり
こちら雫の星の子はフレンドのめんちゃんに、桜の星の子は同じくフレンドのお嬢さんにビジュアルのコーディネートを考えて頂きました!
ありがとう!
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