テラーノベル
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あの日以来、俺はますます作品の世界にのめり込んでいった。物語を書いている間、登場人物の口癖が自然に口に出てきたり、生活習慣や考え方が次第に自分のものではない別の誰かのものになっていった。
そんな生活を送っていたある日、僕はある夢を見た。
僕が電車にひかれて死ぬ夢だった。
その夢はやけにリアルだった。最近書いた作品の内容と似ていて、恐怖を覚えた。
――これは、だれの記憶なんだろう。
僕は本当に死んでしまうのか?
その後も、考えがぐるぐると回ったけれど、結局もう考えるのをやめた。
――ホントの自分に戻りたい。
そう強く願ったとき、顔を上げると、見知らぬ路地に立っていた。
少し歩くと、一軒の店が見えてきた。
「…ときのかけら?」
店の扉が開き、中から店の人物と思われる人が出てきた。
「ようこそ、お越しくださいました。『ときのかけら』へ。」
その人物は、深々と頭を下げた。
一目見ただけでは、女性なのか男性なのか、わからない不思議な雰囲気を漂わせていた。
その人は落ち着いた様子で口を開いた。
「どうぞ、中へ。きっと探していたものが、すぐに見つかりますよ。」
その言葉に、少しの疑問を抱きながら店の中へ足を踏み入れた。
中は小奇麗に整えられていて、時計の針が空中に浮いているように見える時計や、ページに問いかけると答えてくれる本など、不思議なものが所狭しと並んでいた。
その中でも、ひときわ目を引いたのは、水色に輝く宝石のかけらのようなものだった。
「――これは……何ですか?」
店員は、まるで僕がそれに興味を示すことを最初から知っていたかのように、ゆっくりと微笑んだ。
「それは、忘れてしまったあなたの“追憶の結晶”のかけら――『追憶のかけら』です」
「追憶のかけら……?」
僕が問い返すと、店員は静かにうなずいた。
彼が説明してくれたのはこうだ。
生物の記憶は、それぞれ「追憶の結晶」と呼ばれる塊として存在しており、新しい記憶ほど強く輝き、古くなるにつれてその輝きを失い、やがて粉々に砕けてしまうのだという。
そして一度砕けたかけらは、もう二度と完全な結晶には戻らない――そんな話だった。
そんな話、聞いたこともなかった。
いや、信じたくなかった。
けれど――目の前にある、その青く淡く光るかけらが、まるで僕自身の一部のように感じられて……否定することはできなかった。
「本来の自分が、わからないんですよね?」
「……!? なんで、それを……」
僕は思わず声を詰まらせた。
この店に来た理由を、まだひと言も口にしていない。それなのに、どうしてこの人は――?
店員は、静かに微笑んだまま、水色のかけらをそっと手に取った。
「かけらが、教えてくれたんですよ。」
驚きの上に、さらに驚きが重なって、もう頭の中はぐちゃぐちゃだった。何がどうなっているのか、まるでわからなかった。
「このかけらは、戻すことができます。ですが――」
「ですが、なんなんですか!?」
僕は少々興奮気味に言ってしまった。
僕の声に驚いたのか、店員は一瞬目を見開いた。だがすぐに静かに表情を引き締めると、低く重たい声で続けた。
「…想像を絶する痛みと、とてつもない嫌悪感が襲います。痛みの場所は人によって異なりますが、失った“かけら”があった部位に現れることが多いんです。…中村さんの場合は、おそらく“頭”でしょうね。」
突然そんなことを言われて、覚悟ができていたわけじゃない。
僕は痛みに強い人間じゃないし、むしろ苦手な方だ。
それでも、不思議と――迷わなかった。
現実と物語の境界が曖昧になっていくたびに、スタッフとぶつかっては後悔していた。
夢に見た出来事が、現実に起こるかもしれないという恐怖にも、もううんざりだった。
友達と話すときも、仕事の時も、一人でいるときでさえ、
いつもどこかで誰かに迷惑をかけている――そんな自分に、いい加減終止符を打ちたかった。
戻らなければ。
本当の“僕”に。
心の奥で確かに何かが決まった。
「それでも……やります」
僕はまっすぐ店員を見つめ、そう告げた。
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