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僕はまっすぐ店員を見つめ、そう告げた。
店員は一言、「わかりました」とだけ言い、静かに店の奥へと歩き出した。
その先の部屋は、驚くほど簡素だった。
窓がひとつ。ベッドがひとつ。それだけ。
「では、今から“かけら”を、あなたに還します。準備はよろしいですか?」
僕は、言葉の代わりに、ゆっくりと頷いた。
店の奥にある、がらんとした簡易な部屋。
空気はしんと静まり返っていて、まるで時間すらここだけ止まってしまったかのようだった。
店員がかけらを掌にのせ、ベッドのそばに立った。そして僕をベットに座らせた。
「目を閉じて、深く息を吸ってください。抵抗しないで……ただ、自分を受け入れるだけです」
僕はそっと目を閉じた。
意識を研ぎ澄ませると、掌の中のかけらが微かに震えながら、青白い光を放っているのを感じた。
次の瞬間、その光がふわりと浮かび上がり、ゆっくりと僕の額へと吸い込まれていくのがわかった。
そして――
痛みが、走った。
ガツン、という鈍い衝撃が頭の奥で爆ぜたかと思うと、焼けつくような熱が脳を這い回る。
「っ……あ……ッ!」
呼吸が乱れ、意識が浮き上がる。
目を閉じていても、まぶたの裏が閃光のように明滅した。
過去の記憶が、走馬灯のように流れ込んでくる。
誰かと話している。
机に向かって必死に物語を書いている。
泣いている。怒鳴っている。笑っている。
現実だったのか、作り話だったのか――曖昧だった記憶の一つ一つが、色と感情と匂いを持って俺の中に戻ってくる。
そして、それらすべてを、もう一人の自分が否定し、拒絶し、喉の奥から反射的な嫌悪感が湧き上がる。
「…っ…ぅ…!」
俺はとっさに口を押えた。
自分自身が、自分の記憶を拒絶している。
まるで何年も忘れていたトラウマを無理やり見せられているような感覚。
それでも――俺は逃げなかった。
この痛みの先にしか、“本当の自分”はいないと、どこかで知っていたから。
そして、最後のかけらが還った瞬間。
ふっ、とすべての感覚が抜け落ちた。
頭の奥に静寂が戻り、鼓動の音が、遠くから戻ってくる。
俺はゆっくりと目を開けた。
さっきまで浮かんでいた青白いかけらは、もうどこにもなかった。
店員は静かに微笑み、そして言った。
「……おかえりなさいませ、中村一真さん」
頭の中にあった靄が、まるで朝焼けに溶ける霧のように、すっと晴れていた。
視界が明るくなったわけでもないのに、すべてのものがはっきり見える気がした。
一息ついてから、俺はベッドから立ち上がろうとした。
その瞬間、膝ががくんと崩れ、床に倒れそうになった。
「うわっ……」
驚いた拍子に、視界が少し揺れる。
店員が慌てて駆け寄ってきた。
「立ち上がってはダメです!記憶が戻った直後の体はとても不安定なんですよ!」
思わず大きな声に、俺の体がびくりと震えた。
店員は、はっとしたように表情を変えた。
「……すみません。驚かせてしまいましたね」
今度は、先ほどの落ち着きを取り戻した声だった。
「今日は、もう一日このベッドで休んでください。体が完全に馴染むまでは無理は禁物です。
何かあれば、すぐ呼んでくださいね」
そう言って、俺を優しくベッドへと戻すと、店員はそっと部屋を後にした。
残された部屋は静かだった。
ただ、風が遠くのどこかで、ページをめくるような音を立てていた。
その音に身を任せていたらいつしか意識が遠くなっていって、俺は眠りについてしまった。