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#先生と生徒
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「……新先生や」
体育館に満ちる、終業式特有の騒がしさと閉塞感。
期末テスト明けの数日間、運悪く美術の授業はなく、俺はあえて屋上へも足を運ばなかった。タバコの匂いのこともあるし、何より、新先生には「彼女」がいる。
偶然すれ違うなんて、運命みたいなものもなかったし、他の先生に新先生への託けを頼まれる事も無かった。
結局、気にしているのは俺だけで、運命なんてどこにも転がってなかったんや。
壇上に並ぶ教職員の中に、ボサボサの髪を無造作に結んだ、あの人がいた。
相変わらず野暮ったい眼鏡をかけ、いつもより少し「新品」らしい真っ白なマスクをつけた姿が、無理やり場に馴染もうとしているようで、不意に愛しさが込み上げる。
「ん、新先生って誰?」
隣にいた優人が、俺の肩に重みを預けながら問いかけてきた。
あかん、こんなところで正体をバラすわけにはいかない。
「……今日の澤本先生、めっちゃかっこよくない?」
俺は慌てて、近くに立っていた保健室の澤本先生を指差して気を逸らした。
「僕は前からかっこいいの気づいてた! いつも白衣やけど、スーツなら八頭身が爆発してるよな」
「どんな表現やねん」と笑って突っ込む。けれど、優人が次に漏らした言葉に、俺の心臓は跳ね上がった。
「……野中先生も、いい線行ってると思うけど」
「えっ」
優人、もしかして新先生の「本質」に気づいてんのか?
「……野中先生なんて、怖いやん。陰気でボソボソ喋るし」
わざと悪いイメージを並べて様子を窺う。けれど、優人の観察眼は俺の想像を遥かに超えていた。
「そうかな? 眼鏡越しの目、めっちゃキラキラしてるし。マスクがズレた時に見える鼻の形も、すごく綺麗やん。猫背やけど、背筋を伸ばしたら絶対スタイルいいって。それに、あの低い声……かっこいいやん」
……まじか。こいつの観察力、えぐすぎる。
誰の懐にでも飛び込んでいける優人のその鋭さが、今は酷く恐ろしかった。
「……優人って、男の人が好きなん?」
もし、優人がライバルになったら。
こいつと一緒にいて楽しくない奴なんていない。もしどこかで新先生と接点ができてしまったら、俺の「秘密の友達」の座を奪われてしまうかもしれない。
少しでも可能性がある芽は、今のうちに摘んでおきたかった。
「ん? 僕は秀太くんだけやで。男の人で好きなのは、秀太くんだけ」
優人は無邪気に笑って、俺の髪をくしゃりと撫でた。
その「好き」が、どの種類の感情なのかが分からない。
もしそれが恋愛感情なのだとしたら――一生叶えてやれない想いなら、傷つけずに親友のままでいられる方法を、俺は死ぬ気で模索しなければならない。
正直、焦ってた。
新先生の本質を、優人以外の誰かも見抜いているかもしれない。
あの大切な屋上さえ、俺以外の誰かに見つけられてしまうかもしれない――。
終業式が終わったあと、俺は優人の誘いを断り、いつもの重い扉を蹴るようにして開けた。
新先生は相変わらず、タバコを燻らせながらこちらを見て微笑む。その瞬間、俺はまた「運命」なんて言葉を信じてしまった。
「……お、来たな。テニスの王子様」
「……見ててくれたんですか?気づかなかったです」
見ていてくれた。それだけで胸がいっぱいになって、顔が綻んでしまう。
「保健室から覗いててん。青春してるなぁって、少し羨ましかったわ」
そう言って、先生は空に煙を吐き出した。
俺がテニスの王子様なら、あなたは星の王子様や。真っ昼間なのに、あなたの周りだけは星が瞬いているように見える。
「……やっぱりカッコいいなぁ」
「ん?」
心に溜まっていた熱が、堰を切ったように溢れ出した。
「……俺、新先生が好きです」
――は?
俺、いま何て言った?
これ、絶対、絶対に言うたらあかんやつやん!!
固まった俺を見つめて、先生は困ったような、それでいてひどく楽しそうな、残酷な笑みを浮かべた。
「……あーあ、言うてしもたな」
その瞬間、俺を包んでいた星の瞬きが、一気に消え去ったような気がした。
新先生はくくっと楽しそうに笑って、タバコを眺めた。
その瞬間、俺と先生を繋いでいた細い糸が、ぷつりと切れた音がした。
「……タバコ、やめるわ。彼女に苦い思いをさせるのも、これで最後にする」
初めは、意味がわからなかった。
けれど、次に込み上げてきたのは、息が止まるほどの絶望だった。
それが、「俺と会うためのこの場所」にはもう来ないという決別であること。
そして――。
彼女に「苦い」と言わせてまで吸っていたタバコという名の『虫除け』が、自分に好意を寄せる人に対して何の意味も成していなかったのだという事実。
それだけは、痛いほどに理解できてしまった。
先生は、灰皿に最後の一本を押し付ける。
じゅう、と小さな音を立てて消えた火種は、俺の初恋そのものに見えた。
もう、この屋上に煙がたなびくことはない。先生が眼鏡の奥の瞳を細めて、俺を「秘密の友達」と呼んでくれることも、二度とない。
俺は一歩後退りし、震える声で「ごめんなさい!」と叫んで、屋上の階段を駆け降りた。
わけがわからん。なんであんなこと言うたんや、俺。
早足で玄関まで降りると、そこには優人が待っていた。
先日、はんちゃんがうずくまっていた、あの場所で。
「……もう、終わった?」
「え……?」
もしかして、優人は俺と先生のことを知っていて、ここで待ってたんかな。
「……一緒に帰ろ。結局、秀太くんには僕しかおらんのやって」
「……うん」
どこまで聞かれていたのか、どこまで知られているのかは分からない。
けれど、今の俺に必要なのは、隣に優人がいるという、当たり前の日常だけやった。
「……優人はさ。俺のこと、好きなんやろ?」
「うん。大好き。これからもずっと一緒にいたい」
「そうか」
でも。俺はきっと、新先生を想ったのと同じように優人を好きになることはない。優人は、大切な幼馴染で、親友やから。
「……だからさ。いつか秀太くんに大切な彼女ができて、結婚して、子供が産まれて。僕も同じように、大切な人ができて結婚して……。今みたいに、お隣同士に住んで、俺らの家族全員集まって庭でバーベキューしたりしてさ。これからもずっと、家族みたいに一緒にいられたら、それが一番幸せやろなと思う」
「……優人」
自分の描く「幸せ」を、そんな涙目で伝えられて、こっちまで泣けてくる。
優人の「好き」が、結局どの種類の感情なのかは分からない。
けれど、優人がそれを望むなら、俺もそうありたいと思う。最後に俺の隣にいてくれるのは、いつも優人しかおらんのやから。
「じゃあ……今度、ナンパでもしに行こか?」
「はぁ!? 秀太くんほどの人が、そんな簡単な出会い方したらあかん!!」
「やったら、どうやって出会えばええねん」
「……実は、同級生にめっちゃ優しくて面白い女子がおって。その子の友達もいい子やねん!今度、ダブルデート誘ってみようかなって思ってたんよ」
なんや、リサーチ済みか。俺の取り越し苦労やったわけやな。
「ははっ、楽しみにしてるわ」
俺らはまだ、高校生や。
大人ぶらずに、背伸びもせず、今はただこの眩しい青春を謳歌しようと思う。
屋上から消えた煙の匂いと、隣にある優人の温もり。
冬の冷たい空気が、少しだけ優しく感じられた。