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夜空の下で、竜人の弱冠・サーフィーが手を差し出した。特有の鋭い爪は薄緑で清潔感がある。眼の前に居る竜人の少女・エキドナは彼の手を取り、耳元で囁いた。
「私には弟がいる。だから、その子もお願い……」
絞り出したような声で訴え、お互いに眼をジッと合わせた。その碧眼は揺れることなく、確かにお互いの眸を捉えていた。
「分かったよ。……その弟くんは何処に居るの?」
サーフィーが薄浅葱の睫毛を伏せ、尋ねた。エキドナはフッと彼の正面から離れて、豪邸の周囲を見渡す。巨大な門から中世ヨーロッパを感じさせる家……その隣に、古い倉庫があった。そちらに視線を移す。
「あそこだ。あの倉庫に弟が住んでる。母さんが弟を殺そうとしたから、私が避難させた……」
思い出して、フラリと蹌踉めく。幼少期であった彼女が下した、最善の決断である。サーフィーはそんな彼女の表情を目にして、怒りが堪えきれなくなった。母親に対する怒りの感情は、後に激怒に豹変することであろう。直ぐ様、鷹のような翼を広げて古い倉庫まで飛び立った。花浅葱色の羽根がハラリと舞って、地面に足をつける。指をポキポキと鳴らし、倉庫の扉をキィと開いた。
中には、水色の竜人が眠っている。薄汚れた毛布と、食べかけの野菜が散らばっていた。サーフィーは頭を突っ込んで、毛布をゆっくりと剥がした。やがて、目を疑う。この少年は肋骨が浮き出て、酷く痩せ細っているのである。
それを毛布で包み、抱きかかえるようにし、その場を去った。無論、指紋はきちんと拭き取り足跡も消してから、だ。
「ありがとう、助かったわ」
月の下を飛びつつ、頭を下げる。サーフィーは照れたように頬を染めて、長い巻き毛を掻き上げた。
「どうってことないよ。それより、父親代わりは俺がやるから!」
エキドナは暫くの間、目を丸くした。そして頬を緩める。翼の動きもゆっくりと遅くなった。
「どちらかと言ったら兄貴になれよ。……今、アンブロシア中学校に通ってるから、授業参観とかで来て欲しい……」
神々の食べ物に由来するアンブロシア中学校は獣人が通う学校である。使用言語は基本的にギリシャ語とロシア語で、全国的に学力もかなり上だ。
「アンブロ中なの?! 俺と同じじゃん。センセイにバレちゃいそう」
彼は頬に手を当て、苦悶の表情を浮かべた。
──あの中学校では人を殴ったり、と荒れた過去がある。それが明るみに出たら……と思い、サーフィーは身震いした。
「大丈夫だ。サングラスでも着けておけばバレないだろ。美貌だからそこは心配だけどな」
サラリと出た言葉に、サーフィーの動きが止まる。やがて尋ね返した。
「俺って、美貌?」
「そりゃ勿論」
当り前だと返事して、バサリと大きく翼を広げた。サーフィーも暫くはジィっと止まったままであったが、急ぐように少年を抱え直して、飛び去った。
渺々たる波の間から顔を覗かせる朝日を眺め、眩しさに睫毛を伏せる。まだ太陽の残像はハッキリと残っていた。エキドナは群青色とも、瑠璃色とも捉えられるカーテンをシャッと閉め、背後に目をやる。そこには、疲れ果てたサーフィーが死んだように眠っている。
伏せた透き通る睫毛。清潔感のある巻き毛の髪。全身は花浅葱色で、その美しさは青空が目の前にあるかのようである。真っ直ぐ後ろに伸びる角が唯一ドス黒い褐色だった。
エキドナは髪を撫でようと手を伸ばす。フワリと跳ねた髪に手を突っ込んで、ワシャワシャと撫でた。サーフィーが「ん〜」と声を上げ、蛇のような尻尾をグルリと丸めた。
「ごめん。起こした?」
小声で訊く。サーフィーは眼を開けて、首を横に振る。
「いいや。最初から起きてるから大丈夫さ」
そんな大嘘をついて、起き上がった。
「弟くん起きないね〜。エキドナ、スープでも作ってあげて飲ませてあげたらどう?」
あやす様に少年を揺さぶる。見るに堪えない傷跡なども、毛布がずれて露わになった。
「……ああ、物があれば作れる」
力強く頷く。サーフィーは身を翻して、冷たい目をした。
「なら、ね。作ってよ。俺は少し仕事があるから外に出るよ。弟くんには、もう少し温かい毛布を上げなきゃいけないから」
立ち上がり、シャツの上に焦げ茶のコートを羽織る。カチャリという金属音が響いたものの、エキドナの耳には入っていなかった。
♪
チャイム音が鳴る。豪邸の中で女は清々していた。これで、安心して男と戯れることができる。あの邪魔な小娘が自ら消えてくれて嬉しい限りだった。しかし、警察なんかに通知が届いていたら……? ただ、そこだけが不安でった。
さて、そんな時に鳴ったチャイム音だ。何だ何だと不安を抱きつつ扉を開ける。そこには、紺色の畏まった服にネクタイ。帽子。
何、と訊く前に警察手帳を素早く見せつけられた。
「ロザンデーラ警察のエランティスです。家の中に入らせて頂いても?」
女声にも男声にもならない奇妙な声。淡く光る翠眼で女を睨みつけると、黙って入り込み扉を閉めた。
「何よ……! アタシは悪くないわ!!」
両手を前に出し、涙を浮かべ首を振る。しかし、男は帽子を取り、胸に響くような低い声で笑う。
「何言ってんの? 君が悪いことなんて明々白々。なのに言い逃れしようとするなんてねぇ。俺はさ、親友の為ならテロでも起こせるよ? 君の薄っぺらい男に対しての愛より重たいさ」
注射器を抜き出し、硝子の容器にグッと押し当てる。液体がどっぷりと入り込む。女は震えながら膝をついた。その隙に、頸動脈に突き刺し、液体を全て注入する。女は忽ち、青黒くなり震え始めた。胸が重くなるような感覚を飲み込んで、証拠隠滅を開始した。
これで、良かったんだ。
何度も心で唱えながら。何度も……何度も……。その場を去る頃には、全身の力を抜いて何もなかったことにした。
南の空高くに浮かぶ太陽のように、力強い笑みを。口角をキュッと吊り上げ笑い、ケラケラと笑い声を立てる。もう、長い間の訓練により慣れたことである。家に帰り着く頃には、また、いつものように笑えるだろうと思っていた。
しかし、エキドナの一言により唖然とした。
「母さん殺したの?」
「……え?」
こんなにも、深い絶望を味わったことはない。彼は、ハッと息を呑んだ。エキドナの純粋な眸の奥にある暗い影を見逃さなかったのだ。自分は、罪深いことをしたと呟いて肩をガックリと落とす。思わず漏れた溜め息は、青い煙となり消えた。
「ごめんね」
頭を深く下げて、歯を食いしばる。涙はどうしても流れなかった。寧ろ、死に顔を思い出したら吹き出せる程の余裕さえもある。しかし、彼女の為にも我慢した。
「お前の親切だから、嬉しい。けど捕まるなよ」
ポンと優しく肩に手を置いて、朝のように髪を撫でる。安心感で眼を瞑り、尻尾を大きく振る。その間にサーフィーはふと、心の中で静かに問いかけた。
──神様、これは共犯ですか?