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Original Story 沈黙の星 囁きの剣 〜Whispers Beneath the Silent Stars〜
第一話 星の沈黙
「星はいつも光っている」
だから、想いに応える人が輝くんだ。
空の都セリオスでは、星々が語る運命の声を頼りに人々が生きていた。 しかし、とある日の夜、リュナは星の声が途絶えたことに気づく。代わりに現れたのは、黒い彗星。 それは「終わりの予言」を告げるものだった。
リュナは仲間たち——空の魔導師シエル、月の癒し手ルナ、地上から来た魔法使いミコト——と共に、 星の声を取り戻す旅に出ることを決意する。
その鍵は、ジュリが守る“記憶の図書館”にあるという。
だが、図書館の文字はジュリにしか読めないのだ。
しかもその記憶は誰かの命と引き換えに開かれるという噂も…。
空の都セリオスは、夜になるとまるで呼吸を始めるかのようにその輪郭を浮かび上がらせた。
大小、大きさの異なる浮島が連なり、橋や階段で縫い合わされたような、街灯の光みたいにに輝く結晶が風に揺れる。下方には雲海が広がり、遠い地平線に地上の灯りが滲んでいた。人々は星の声を聞き、星の示す小さな道標に従って暮らす。街の中心にある円形の星祭壇は、昼も夜も訪れる者が絶えない聖域だった。
その祭壇にひとり、リュナは立っていた。肩にかかった淡い銀糸の美しい衣が、夜風にそっとなびく。彼女の掌には小さな水晶盤があり、そこに散らばる星屑の光を指先でなぞると、かすかな囁きが返ってくるのが常だった。
リュナは人々から「星の声を聞く者」と呼ばれ、未来の欠片を拾う術を持っていた。だが今夜は違ったのだ。
星はいつも光っている。
ただ、その光が語りと想いを失っていた。いつもは零れ落ちるように降り注ぐ断片的な映像や言葉が、今は風や水に溶ける儚い泡のように消えてしまう。
「……聞こえない。」
彼女は自分の口から漏れたその言葉に自分でも驚いた。
リュナは目を閉じ、いつもの瞑想を深く試みた。
静寂を掘り進めれば、ほんの一筋の声が見つかるはずだった。
だが深く探し求めて、深く潜るほどに沈黙と静寂が濃くなり、胸に冷たい圧迫が広がるようで辛かった。
祭壇の背後にある古い石窟で、かすかな鈴の音が響いた。石の影が揺れ、古い木の葉が一枚落ちる。リュナは目を開け、手の中の丸い水晶をぎゅっと力強く握った。視線の先に、師の顔が浮かんだ
——ジュリ。図書館管理人であり、リュナを最初に星の読み方へ導いた人物だ。ジュリは数多の記憶を守る者であり、知識と静寂の住人であった。
「どうした、リュナ。そんな顔をして」
ジュリの声はいつもより低く、しかし落ち着いていた。彼の手には古い巻物があった。巻物の端には見慣れぬ黒い煤が付着している。リュナはゆっくりと歩み寄り、祭壇の縁に手をついた。
「星が、声を失ったんです。色はあるのに、言葉が消えました」
ジュリは巻物を広げ、そこに記された古い予言文を指でなぞる。文字は波のように揺れて見えたが、目には読めない音だけが過ぎる。
「古い記述の中にも、完全な沈黙の記録はない。だが、黒い彗星の記述がある。彗星はしるしをもたらす。善にも悪にもなる。しかし、そのしるしが星の声を根こそぎ断つことは、私の知る限り初めてだ」
言葉の終わりに、祭壇の上空を暗い影が横切った。空を見上げると、細長く黒光りする彗星が低く尾を引いていた。尾の先からは冷たいような灰色の光が流れ、星の光を霞ませていく。
遠くの広場から人々の囁きが伝わってきた。子供が泣き、商人たちが声を濁す。星の声に導かれ日々の糧や決断を補っていたこの都に、不安の波が立ち上り始めていた。
リュナは師ジュリの目を見返した。ジュリの瞳にさざめく不安を見たが、彼女の口元はすっと硬く結ばれていた。
「調べる必要がある。ジュリの図書館に行こう。あそこには、この街の記憶が保存されている。だが、覚えておきなさい、あの図書館に記される文字は、常人には読めない。記憶は人の命と深く結ばれているという……」
ジュリ。リュナの唇に、名前が落ちた。ジュリはこの街の秘密の守り手、図書館の管理人であり、古い文字を解く者だった。だが彼女の図書館は普通の書物だけを収める場ではない。そこには、町の記憶、人々が忘れてしまった過去、消えた約束が保存されていたという。記憶を引き出すには代償が必要だと、古くから囁かれてきた。
「ミコトは地上から来ている。もしこの現象が地上にも及ぶなら、彼の知るところがあるかもしれない」
ジュリが続ける。
「そしてシエルとルナに知らせよ。彼女らの力が必要になる」
その名を聞いて、リュナの胸に微かな期待が灯った。
シエルは冷静沈着な魔導師で、空の魔法に長けている。
ルナは月の癒し手で、心の痛みを和らげる力を持つ。
ミコトは地上の魔法使いであり、まだ粗野だが忠誠を宿していた。彼らはそれぞれに異なる「星の声」を受け止める器だった。
夜の街を歩き回るうちに、リュナは小さな広場で一人の少女と出会った。
風に踊る短い髪、風が吹くような気を感じる。
ミイと名乗るその少女は、風の精霊と契約しており、空を駆けることが好きだという。
彼女の存在は、静まり返った街にいたずらめいた風の音を持っていた。
ミイは彗星を見上げると、舌をぺろりと出してから、ぴょこっ。と水が跳ねるように言った。
「なんだか、空が怒ってるみたい。面白くなるね!」
リュナは呆れた顔をしながらも、ミイの手を取って仲間のもとへ向かった。
街は重苦しい。今にも押しつぶされそうな雰囲気に包まれているのだった。
でも、仲間が集まれば希望の火も灯るという思いを抱いていたのは忘れられなかった。
まず彼らが向かったのは図書館のある古い島だった。
そこは石造りの塔が並び、窓には星図がはめ込まれ、星の記憶を守る場所として知られていた。
塔の扉の前に立つ人物
——ジュリがゆっくりと扉を開け、彼らを迎えた。
ジュリは中性的で落ち着いた風貌をしており、その目は遠い記憶を映すように深かった。彼女の周りには波紋のように浮かぶ小さな文字があり、言葉にならない記憶を守っているようだった。
「来るとは思っていたわ」ジュリの声は図書室の静謐さに溶けていった。
「星の沈黙は、表面の異変にすぎない。もっと深いところで変化が起きている。だが、読むには代償が必要⋯」
「代償」
その言葉一つで、リュナの胸が強く締めつけられる。
図書館の記憶を引き出すためには、何かを差し出さねばならないという。
だが仲間たちの表情は険しく、誰もが覚悟を感じさせた。
「何を差し出すんですか」
ルナの声は震えていなかった。
彼女は人の心を読む力を持つが、今夜は自らも安らぎを求めているように見えた。
ジュリは目を閉じ、小さな符を描くように手を動かした。
「記憶そのものには様々な結びつきがある。ある者の記憶は、また別の者の未来と繋がっている。求める記憶の深さに応じて、代償は増す。最も純粋な記憶は、与える者の一部を奪う。失ったものは、戻らない⋯」
沈黙が落ちた。
ミコトが覚悟を固める。シエルは冷静に事態を計算している。リュナは水晶を胸元に押し当て、思考を巡らせた。星の声を取り戻すためには、何かを失う覚悟がいる——しかし何を失っても取り戻す価値があるのか、それを誰が決めるのか。
そのとき、図書館の奥から振動が走った。
石造りの床を通じて、冷たい震えが彼らの足元を横切る。天井の隙間から、微かな灰色の粒子が舞い込み、空気に粘りを与えた。ジュリの目が鋭く開かれる。
「来た」
彼女の一語は凍るようだった。
窓の外、黒い彗星がより低く、そして明らかに近づいている。
尾の灰色は星の光を吸い込み、周囲の星座が一つずつ薄れていった。
人々の息の音があらわになり、街全体が恐怖に包まれる。
「ノクティルカの印だ」
シエルが静かに言った。彼女の声は冷たく、だが確信を帯びていた。
「黒い羽根の仮面をつけた者たちだ。彼らは運命を手に入れようとする。星を封じる技術を持っている」
「ノクティルカ」
リュナはその名を聞いたことがあった。
伝説のような存在
——選ばれし者だけが運命を決めるべきだと唱える秘密組織。
彼らの手が、今この街の星に伸びているのだとしたら。
「私たちに時間はないわ」ジュリが言った。
「図書館から、まず手がかりを得る。そして行動だ」
決意は静かに、しかし確かに結ばれた。
仲間たちはそれぞれに用意を始める。
ミイはふわりと浮いてはしゃぎ、レンは物静かに装備を整え、ミコトは杖を磨く。
リュナは水晶盤を修め、胸中で星に問いかけた。
星の声は戻るのだろうか。
もし戻らないのなら、この世界はどう変わるのだろうか。
塔の扉が閉まる前、ジュリは柔らかく告げた。
「記憶を読むとき、あなたたちの内の一つが欠けるかもしれない。だが欠けた部分は、新しい理解と出会い、別の形で返ってくることもある。覚悟があるなら、導こう」
リュナは深く息を吸い、うなずいた。
胸に痛みが走る。どの部分が欠けるのか、見当もつかなかった。
しかし今は選ぶ時間ではない。
仲間たちとともに進むしかないのだ。
星が沈黙した夜、彼らの旅は始まった。
外では彗星の尾が空を裂き、人々の灯が瞬き、セリオスの夜がいつもとは違う色を帯びていた。
だが灯りを守る者たちは立ち上がる。運命を読む者、癒す者、剣を携える者、そして風と記憶に触れる者。
彼らはそれぞれの理由と覚悟を胸に、まだ見ぬ答えへと足を向けた。
風が祭壇の周りを通り過ぎ、星の光の欠片がひとつだけ、かすかに震えた。
それは、まだ完全には消えていない証だった。リュナはその微かな震えに耳を澄ませ、仲間の顔を見渡した。見上げると、彗星はゆっくりと尾を翻し、暗く冷たい光を撒き散らしながら遠ざかっていった。だがその背後には、より深い影が迫っているように思えた。
彼らの旅路は長い。だが第一歩は確かに踏み出された。
星の沈黙という喪失に、彼らは一つの問いを抱えた
──失われた声はいかに取り戻されるのか、そしてその過程で何を失い、何を得るのか。
夜は深まる。セリオスの空は、幾重にも重なる静寂を抱えながらも、どこかでまた微かな囁きを灯そうとしていた。リュナは水晶を胸に当て、ゆっくりと目を閉じた。小さな祈りにも似た独白が、夜風に溶けていく。
「星よ、どうか、声を戻して」
そう言うことしか。できなかった。
1話 星の沈黙 End