コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「カナタ、あなたはね、 本当はあのとき、 死んじゃったんだよ」
奏多の体からは大量の血がとめどなく溢れ出している。
その血溜まりは夕日に照らされ、より一層赤みを増していた。
その光景を舐めるように賞翫していた吸血鬼は、やがて半ば独り言のように語り始めた。
「俺、襲う奴は女だけって決めてたんだよ。
肌は柔らかいし、何より力が弱い。
……だが、どれだけ女の血を飲んでも満たされなかった。
どいつもこいつも血が薄くてうんざりしてたんだ」
目をギラつかせながら、吸血鬼はさらに続けた。
「だがなぁ奏多、お前は違った。
男のくせに……女みてぇに貧弱なお前は、他とは違ったんだよ。
……ずっと触れられなかった。
極上な血が目の前にあるのに……。
あの奇妙な十字架のせいで……お前に触ることすらできなかった……!!
……お前に食事を見られたとき、正直がっかりしたよ。
今まで築いてきた信頼が見事に崩れちまった。
……けどな。同時に思ったんだよ。
『あぁ、今日はツイてる』って。
ようやくお前に触れるときが来たって。
ようやく……俺のものにできるってなぁ……!!
……だからさぁ」
明確な殺意のこもった目でイブを突き刺すように睨みつけた。
「邪魔すんじゃねぇよ、ガキが」
しかし少女が怯む様子は一切なく、ただ一言呟いた。
「かわいそう」
思いがけない一言に、吸血鬼は呆気にとられた声を発した。
「……は?
何を言ってやがる」
「愛しちゃったんだね、カナタのこと。
仕方ないよね。この子はわたしたちを惹きつけちゃうから。
けど……ざんねん。
今までどおり、我慢してればよかったのに。
ずっと、女の子の血で我慢してればこんなことにならなかったのに。
わたしと出会うことも、カナタを失うことも、無かったのに。
……かわいそうな子」
殺意のこもった目を恐れるどころか、イブは顔色を変えず吸血鬼を憐れんだ。
イブの言葉を聞いた吸血鬼は、屈辱に震え始めた。
「……ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。
ガキだから大目に見てやろうと思ってたが……もういいわ。
どうやら殺されたいようだしなぁ。
お望み通り、ここで殺してやるよ……!」
吸血鬼が少女の目の前に立ち、鋭い爪を立てた右手を振りかざした。
「そっか。なら──」
刹那、吸血鬼の右腕は鮮血とともに宙に舞った。
イブの頭上に血の雨が降り注ぎ、灰色の髪を赤く染め上げた。
吸血鬼の右腕は血溜まりに落下し、飛沫を上げた。
切断面からは滾々と赤黒い液体が流れ出ている。
一瞬の出来事に理解が追いつかず、吸血鬼は目を見開くことしかできなかった。
やがて切断された右腕を見て、声を荒らげた。
「あっ……あぁぁッ!?
てめぇ……今何しやがったッ!
さては人間じゃねぇなお前……!何者なんだよ!!」
切羽詰まった声を出す様子を見て、イブは薄ら笑いを浮かべた。
「知りたい?」
しかしその笑みはすぐに消え去り、無表情で吸血鬼を見据えた。
そして後退りする相手の距離をゆっくりと詰め始めた。
「あなたには、教えてあげない」
そう答えたイブは、目にも留まらぬ速さで吸血鬼の腹部を貫いた。
その腕を引き抜くと同時に、吸血鬼は声にならない声で叫んだ。
「んぐ……ぅ……!」
吸血鬼は痛みに耐えかね、膝をついた。
「これは、あなたがカナタに与えた痛みだよ」
しかし腹部の穴は痛みが消える前にみるみるうちに塞がっていく。
「かわいそう。簡単には死ねないね。
それも、レアブラッドをたっぷり飲んじゃったせいで」
蹲る吸血鬼の周りを、ゆっくりと歩き始める。
そのたびに、ピチャピチャと血溜まりが揺らいだ。
雪のように白いイブの素足は、真っ赤に染まっていた。
すると吸血鬼は、レアブラッドという単語にすかさず反応を示した。
「なんだよ……それを知ってんなら……お前も同種だよなぁ……??
望みはなんだ……こいつの血か??
なら取引しようぜ……
レアブラッドを俺とお前で分けるんだよ……
3:7……いや、2:8でもいい!!
お前にレアブラッドの大半を渡す代わりに、残った身体は俺が持って帰ってやるからさ……!!
お前は血を受け取るだけで済むんだぜ!?
なぁ……?悪い話じゃねーだろ!?」
自分の焦りを隠すために、口角を上げてまくし立てる。
「……それだけ?」
「……は?」
「わたしには、それっぽっちしかくれないのに、あなたは……カナタを独り占めするの?」
「こいつの身体もほしいのか……?だったらそれも分けてやるよ……!
それなら不満ないだろ??なぁ?」
必死な顔で説得を試みる吸血鬼に、イブは思わず笑みを漏らした。
そんな取引に応じるつもりは一切なかったからだ。
「この子はね、わたしにとっても大切な存在なの。
血も、カラダも、何もかも。
だから……あなたになんてあげない」
「くっ……そがぁぁぁぁぁ!」
即座に再生した右腕を闇雲に振り回し、少女との距離を取ろうとする。
しかしその行動は再び両腕を切断されたことで無意味に終わった。
「あ……あぁ……!!」
切断された両腕を交互に見つめながら、化物は頼りない声を上げた。
「嫌だ……死にたくない……奏多……奏多……!」
這うようにして、血を流し倒れている奏多に縋り付いた。
「奏多ぁ……助けてくれよぉ……!」
当然ながら目を開けることはなかった。
イブは赤く濡れた小さな右腕を、うつ伏せになった吸血鬼の背中に伸ばした。
「ばいばい。
吸血鬼になっちゃった自分の運命を呪ってね」
そして手前で何かを掴むような仕草をした。
その瞬間、鈍い破裂音とともに吸血鬼の上体は跳ね上がり、そのまま灰と化して崩れ落ちた。
「……ごめんね、おそくなっちゃった」
イブはうつ伏せに横たわる奏多の隣で膝をついた。
返事が帰ってくることは無く、途切れ途切れの呼吸音が静かな廊下に響いていた。
彼の体の向きを変え、上半身を後ろから優しく抱きしめた。
冷たくなった頬を撫でながら、イブは耳元で囁く。
「ごめんね、カナタ。
今からあなたは人じゃなくなるの。
けど、こうするしかあなたを救えない。
わたしのためにも、カナタ自身のためにも
今からすること、ゆるしてね」
小さく息を吸って、言霊を吐いた。
汝、生き血を捧げ
生命の理を断ち切り時の流れを逆行せよ
名はイブ・ロストブラッド
字は失われし血縁
彷徨う悲しき魂よ
ここに契を結ばん
契とともに口づけを交わした途端、奏多の体は淡い光に包まれた。
流れ出た血は、時間が巻き戻るかのように奏多の体に吸い込まれていき、
ポッカリと空いた傷口も同様に塞がれていく。
奏多の冷たく硬かった体は、次第に暖かさを取り戻していった。
「これであなたは
わたしの、わたしだけの
かわいい不死身の眷属」
遠くで懐中電灯の光が廊下を照らした。
それと同時に足音がこちらへ近づいてくる。
眠りについた奏多の体を倒し、イブはその場を後にした。
「僕が……死んだ?……ありえない……そんなの……」
信じたくない。信じられない。
この少女は何を言っているんだろう。
ここにいる時点で、死んでいるわけないじゃないか。
嘘に決まってる。
イブは、困惑する奏多をじっと見つめた。
やがて追い打ちをかけるように言葉を放った。
「“人間”のカナタはもう死んだの。」
その言葉に、もはや笑うことしかできなかった。
「はは……じゃあ人間じゃないなら今の僕は何?」
イブはゆっくりと歩み寄り、震える奏多の両手を取った。
「だいじょうぶ。カナタはもう死なない。わたしがそうしたの。」
「え……」
「何度貫かれても、何度裂かれても、決して尽きることのない、不死身の力。
……あのとき、カナタは望んだでしょ。
“死にたくない”って。
わたしはそれに答えてあげた」
「そんな力……望んでなんか……」
「生きてもらわなきゃ、困るの。あなたのためにも、わたしのためにも」
奏多の両手を握る小さな手に、いっそう力が込められる。
「きみは……いったい……」
イブはその言葉を待っていたかのように、赤く輝く瞳を細めて微笑んだ。
「わたしはあなたを守る吸血鬼。
カナタを守るために、ここに来たの」
「僕を……守る……ために……?」
イブが頷く。
話の理解が追いつかない。
けど、なぜだか奏多はイブを信じなければならないと感じた。
なんの根拠もないはずなのに。
彼女の底知れない魅力が、そうさせたのかもしれない。
「だから、ね」
イブは奏多をベンチに追いやり、両足の隙間に片膝を立てた。
そして彼の首に両腕を回し、耳元で囁いた。
「わたしのお願い、聞いてほしいの。
わたしがカナタを守る代わりに
あなたの血を、わたしにちょうだい」
その声は催眠を帯びていた。
意識に靄がかかり、全身の力が抜けていく。
灰色の長い髪が奏多の耳にかかり、こそばゆい。
シャツのボタンを2つほど外され、鎖骨があらわになる。
イブは白い肌に小さな牙を立てた。
熱い吐息が直接肌にかかる。
牙が食い込み、そのまま皮膚を突き破った。
一瞬の痛みに奏多は思わず顔を歪めた。
耳元でコクンと喉の音が聞こえ、本当に今、血を吸われていると実感する。
体から血の気が引いていく───はずなのに、身体は逆らうように熱を帯びていく。
そのふわふわとした未知の感覚に、思わず声を漏らした。
「っ……う……」
するとイブは顔を上げて笑みをこぼした。
「ふふっ……甘い」
今度は首筋に顔を近づけて、優しく口づけをした。
そして再び小さな口を開け、咥えるように首筋に吸い付いた。
「ちょっと……待って、イブ……何か……っ」
両手でイブの肩を掴むが、やはり力は入らない。
目の前の少女にすべて支配されているような、不思議な感覚に囚われる。
「何か……変な、感じが……」
痛い、はずなのに。
止めてほしいはずなのに。
どこか、気持ち良さを感じている気がする。
「だめ……まだ足りない」
そう呟いて、イブは再び首筋に咬みついた。
鋭い痛みが、明確な快楽へと変わっていく。
奏多は抗えず、イブが満足するまでそのまま身を委ねるしかなかった。
半ば夢現の状態の奏多に、イブはまた耳元で囁いた。
「これからよろしくね、カナタ」
「──そう、あの子が。残念ね、上手くやれていたと思うのに」
暗い教室で、少女は静かに呟いた。
「けれど……ふふふっ……楽しみだわ……ついにレアブラッドに近づける日が来るのね……」
少女は天井に向けておもむろに両手を広げ、恍惚な笑みを浮かべた。
「早く、会いたいわ……そして──
私のものになって」
第一章『始まり』 完結