「こんにちは」
僕はそう声を掛けながら室内に足を踏み入れた。
「こんにちはミナトさん」
事務員さん達は、今日も変わりなく無表情で挨拶を返してくれる。
情報発行の列に並びながら、僕は壁のランキングに何気なく目を向けた。来る度に名前の変動がある週間ランキング、時々入れ替わりのある月間、年間。その横に、ほぼ同じ名前のまま変化の無い総合ランキング。
数字は徐々に増えて行くものの、上位10人の名前は僕がこの世界に来てから変わっていない。
1位のM.J.は8万6932人、2位のKOUは1万2006人。この2人が特に抜きん出ている。
噂ではオーバーアライバーらしく、2人共に懸賞金が掛けられているらしい。
「なあ、俺この前会ったんだよ。マイケルとコウに」
列の前の二人組が話しているのが聞こえて来た。
「おお、凄いな。大丈夫だったか?目が合ったらもうヤられてるって噂だが」
「ああ、ダメだった。他の奴等が狙いに行ってる所だったんだが、たまたま通り掛かっただけなのに巻き添え食って病院送りさ」
「災難だなー」
「本当だよ。懸賞金があっても、あんな奴等倒せる奴居ねーよ」
マイケルと言うのは、1位のM.J.の通称だ。有名なアーティストと同じイニシャルなのでそう呼ばれている。この1位と2位は、常に一緒に動いているらしく、目撃者も多いし隠れている訳でも無いらしいのだが、一向に倒される気配が無い。
僕じゃまだ無理かな?
そう思いながら、僕は少しずつ進む列で周りのみんなを見ていた。
「ミナトさん、先日は条件付きオーバーアライバー、お疲れ様でした。難しい案件を処理して頂き、我々も助かっております」
僕の番になり、事務員さんから話しかけられる。
「お役に立てたなら嬉しいです」
僕は笑顔で答えた。
この世界は、やるべき事を指示してくれる。指示通りに動けば褒めて貰える。給与も貰える。間違いの無い正しい道を示して貰えるので、迷う事無く過ごせる。何も考えなくても問題なく時が進む。
僕にとって、とても過ごしやすく、優しい世界だ。
だから、もっと役に立ちたい。もっと喜んで欲しい。もっと、褒めて欲しい。僕は、そう求めてしまう。
「あの」
僕は言った。
「総合の1位と2位、僕やりましょうか?」
僕の声に、事務員さんは一瞬止まる。そして言った。
「ええと、ミナトさん。只今その償いは他の方が取り組み中です。ですのでミナトさんには他の償いをお願いしたいのですが」
「ああ、そうですか。分かりました」
僕の返事を聞いて、事務員さんは安心したように息を吐き、ハンカチで汗を拭いた。
「では、その方がリタイアされたら連絡を貰っても良いですか?僕待ちますので」
「ええ!あの、ですが、そのぉ・・・」
その時、事務員さんの奥の子機のランプが点滅し始めた。
「ちょっとすみません」
事務員さんはボタンを押し、インカムに向かいメモを取りながら対応する。
「はい、南仲通ですか。リタイア続出、救急隊員の増員ですね。近隣の担当を回します。はい。はい。すぐ対応します」
端末に入力して「よし」と呟き、ハンカチで額を押さえてポケットにしまう。
僕は、事務員さんの会話に出て来た『リタイア』という言葉が気になり聞いてみた。
「もしかしたら、今の総合1位と2位の話じゃないですか?」
「ぅわっ!ミ、ミナトさん!そうでした。話しの途中でしたね。えっと、あの・・・はい・・・そう、です・・・」
再びハンカチを取り出して汗を拭いはじめる。
「じゃあ、お願いします」
僕は、右目の下瞼を捲ってコードを差し出した。固まる事務員さん。
「ミナトさん、本当に行かれるのですか?後悔されても知りませんよ?」
心配してくれているのだろうか。確かに大変そうではある。でも、もしかしたら、僕に償えたら、みんなの安全が守られる。やってみる価値はあるはず。
「お願いします」
僕は、自信を持って言い切った。
用紙に書かれた場所に着くと、辺りは血痕だらけで血生臭く、所々から何かが燻って狼煙のように煙を立ち上らせていた。まるで戦場に来てしまったのではないか?と錯覚する。
しかし、目的の家の門から先は、庭やドアに一切の汚れが無く、そこから先が別世界のように思えてくる。
僕は、何の躊躇も無く呼出しベルを鳴らした。
二階のカーテンが一瞬開いて、中から誰かが僕を見た。女の子のように見えた。僕は会釈する。
すぐにカーテンは閉められ、中で何かの物音がした。大きな物を落とすような音。続いて男の人の叫び声。重なって階段を駆け降りる足音。
『目が合ったらもうヤられてるって噂だが』
さっきの噂話を思い出して、僕は念の為腰に挟んである拳銃に手を掛けた。スピード勝負になるかと思い、いつもの拳銃とは違うダブルアクションの拳銃を用意して来た。ハンマーを下ろす必要の要らない分早いが、誤発砲をしない様に常時トリガーガードに指を置くよう忠告を受けている。
僕は言われた通りにしてドアが開くのを待った。
足音が近づく。ドアの前に着いた。ノブが動く音。そして、勢いよく開くドア。
家の中からは、丸腰の男女が飛び出して来た。女の子が僕に駆け寄る。男の人がそれを止めようとしている。
僕は、危険のない事を確認して拳銃から手を離した。
女の子が僕に抱き付く。強く縋るように。細い手足。小さな体。『小さい者』
男の人は、少し離れた所で膝を付いて項垂れている。
「おかえりなさい」
女の子は言った。
僕は首を傾げる。
女の子の目から涙が流れる。子鹿のような大きな目から零れる大粒の雫。
知らない女の子。でも、何でだろう、懐かしい気がする。暖かいような、愛しいような。
気付いたら、僕は女の子の背中に腕を回して彼女を抱き締めていた。
小さな体。愛しい、大切な人。
僕は、胸の真ん中から、何かが湧き上がって来るのを感じた。
『おかえりなさい』と言われた。ならば僕はこう答えよう。
「ただいま」
完
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