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#ローファンタジー
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17-1◆女王の唯一の法則◆
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、クラスの喧騒は一気に高まった。
その喧騒の中、久条亜里沙は数人の取り巻きの女生徒たちと共に迷いなく教室を後にする。
彼女たちが向かうのは、学園の奥まった一角にある茶道部室『祥雲庵』
そこは、表向きは部室だが、Elysionの精鋭たちが私的に集う「特別室」であり、その日も既に豪華なケータリングが運び込まれ、昼食の準備が整えられていた。
亜里沙は優雅に奥の座布団に腰を下ろすと、結城莉奈が淹れた香りの良いお茶に口をつけた。
「まさか演劇になるなんてね。亜里沙、本当は喫茶店にしたかったんでしょ?」
莉奈が、困惑したように亜里沙に問いかける。
他の取り巻きたちも、戸惑いを隠せない様子で久条亜里沙を見つめている。
久条亜里沙は「ふ」と微かな息を吐いた。
その顔には昨日、音無 奏に「空気」を覆されたことへの、微かな苛立ちが宿っている。
だが、彼女はすぐに完璧な笑顔を完成させた。
「ええ。でも、仕方のないことだわ」
久条亜里沙は、湯気の立つカップを両手で包み込みながら、静かに、そして言い聞かせるように語り始めた。
「昨日、私は天宮くんのバスケ部の練習が終わるのを待っていたの。そのあと天宮くんと一緒に帰ったんだけどね。文化祭の出し物について、少しだけ私から聞いてみたの」
彼女の言葉に莉奈たちの視線が集中する。
天宮の言葉はこのElysionにおいて、亜里沙の言葉以上に絶対的な力を持つ。
「天宮くんは言っていたわ。『どちらでも構わない。でも演劇も挑戦としては悪くない。どんな役割があるんだろう、少し面白そうだ』と」
久条亜里沙はそこで言葉を区切り、一瞬、遠い目をした。
「天宮くんがそう言うなら、逆らうことはできないわ。彼の意思は絶対だもの」
久条の表情からは苛立ちが完全に消え去っていた。
天宮の言葉が彼女の「譲歩」に絶対的な正当性を与えたのだ。
「天宮くんがクラスの可能性に期待しているなら、私たちも応えなければ、ですものね」
久条の声は穏やかで、そして確信に満ちていた。その言葉は結城莉奈たちを納得させるに十分だった。
(音無奏。あなたの反逆は天宮くんの一言によって、かろうじて押し通されたに過ぎない。所詮、ただの石ころ。私の盤石な体制を本気で乱すことなどできはしないわ)
久条は、淹れたてのお茶を一口飲む。その瞳には、すでに音無 奏への軽蔑と今後の盤上操作への冷徹な意志が宿っていた。
17-2◆王の不在と狐の謁見
翌日の昼休み。
教室の空気はどこか弛緩していた。
絶対的な太陽(天宮)とその惑星(バスケ部員)たちが遠征で不在。
その僅かな力の空白を、誰もが無意識に感じ取っていた。
その時だった。
教室の入り口に、一人の見慣れない女子生徒たちが現れた。
おそらく一年生だろう。
彼女たちは、小さなラッピングされた箱を胸に抱きしめ、おずおずと教室内を見渡している。
その視線に、気づいた結城莉奈が冷たく言い放った。
「何? あんた?一年が二年の教室に何の用?」
「あ、あの」
一年生たちは、その威圧的な空気に完全に怯えている。
「天宮先輩に、これを渡したくて」
その言葉を聞きつけた三好央馬が、待ってました、とばかりに自分の席を立った。
彼は一年生の前に立つと、わざとらしく大きなため息をついてみせる。
「はあ。お前、何も知らねえのか?天宮くんは、今日から遠征だっつーの」
そして彼はまるで王の側近か何かのように、慈悲深い声で続けた。
「まあ、しょうがねえな。そのプレゼント、この俺が預かってやる」
彼は少女の手から、その小さな箱をひったくるように受け取る。
「天宮くんには、俺から渡しといてやるよ。『熱心なファンからだ』ってな」
「俺から話を通せば、天宮くんも悪い気はしねえだろ。感謝しろよ?俺は天宮ファンクラブの公式窓口なんだからな」
その滑稽なまでの権力の誇示。
俺は観客席からその全てを観測していた。
スカウターが無慈悲なデータを表示する。
【Target: 三好 央馬】
【感情:自己顕示欲の充足による快感(90%)】
【対天宮 蓮司との実際の関係性:ただの取り巻き(Dランク)】
(哀れな道化だ)
俺は心の中で、静かに呟いた。
(そうだ。最初の生贄はお前しかいない)
17-3◆聖域の侵犯者、そして英雄の歪んだ復活◆
その日の放課後
俺は、あの図書室の前の廊下で待っていた。
何を待つでもない。
ただもう一度、あの聖域の空気に、触れたかったのかもしれない。
やがて古い扉が静かに開く。中から現れたのは白瀬ことり。
その手には一冊の古い文庫本が、大事そうに抱えられていた。
彼女は、俺の存在には気づかない。
ただ静かに、本館へと続く渡り廊下を歩き始めた。
その小さな背中を見送る俺の心は、奇妙なほど穏やかだった。
その静寂を破壊したのは、いつだって同じ男だ。
「よう白瀬。相変わらず暗いなー」
渡り廊下の向こうから、三好央馬が二人の取り巻きを引き連れて現れた。
彼はことりの前に、仁王立ちすると下品な笑みを浮かべる。
ことりは足を止め、ただ無表情に彼を見つめ返した。
三好は、彼女が抱える本に目をつけた。
「何だよ、その本。お前みたいな根暗が読む本か? ちょっと見せてみろよ」
彼はそう言って、無造作にその本へと手を伸ばした。
ことりの肩が僅かに震える。
彼女は、その本をさらに強く胸に抱きしめた。
三好「しょーもない本、読みやがって!」
(ダメだ)
(同じだ。また同じことが、繰り返される)
(お前が、それに触るな)
気づいた時、俺は走り出していた。
思考ではない。本能だ。
三好の指先が、ことりのその本に触れるそのコンマ1秒前。
俺はその腕を鉄の万力のような力で、掴んでいた。
「ぐっ!?」
三好が驚愕と苦痛に顔を歪める。
廊下の視線が、俺たち三人に突き刺さる。
俺は三好のその醜い顔を、真っ直ぐに睨みつけ、そして言った。
俺の人生で最も冷たく、そして最も熱い声で。
「――その本から手を離せ。三好」
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