テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第十七居住区。
その言葉を知ってから、ハルは地図の数字が全部違って見えた。
24。
31。
8。
12。
ただの記号ではない。
そこに、自分たちと同じように人が暮らしていたかもしれない。
「全部残ってると思う?」
歩きながらハルが聞く。
「分からない」
「一個くらい残ってるかな」
「期待しすぎない」
「でも煙あった」
「人とは限らない」
「足跡も」
「だから警戒する」
ミオは地図から顔を上げない。
旧道は途中から細くなった。
崩れた橋を避け、斜面を回る。
地図では真っ直ぐなのに、実際には倍近く歩く。
「昔の人、楽だったな」
「車があったから?」
「道も壊れてない」
「その代わり、外で人が死ぬような時代だった」
「そっか」
過去を羨ましがるのも簡単ではない。
午後、二人は水を半分近く使った。
「思ったより早い」
「今日は暑い」
「川探す?」
「飲まない」
「見るだけ」
「寄り道しない」
ハルは黙った。
夕方近く。
地図の印と同じ場所に、高い塔が見えた。
途中で折れ、上半分が斜めに傾いている。
「中継施設?」
「たぶん」
建物は小さい。
周囲を金網が囲んでいるが、一部倒れている。
入口の看板。
『中央通信中継所 北部第三』
その下に、複数の番号。
C-17。
C-24。
C-31。
「ここでつながってた」
ミオが言う。
二人は周囲を確認してから中へ入った。
内部は暗い。
古い機械。
壁いっぱいの配線。
端末。
ほとんど動かない。
「これ全部、村と外をつないでた?」
「通信だけじゃない?」
「声?」
「文字とかデータとか」
ハルには想像しにくい。
村では、遠くにいる人と話す必要がない。
遠くに人がいないからだ。
「もしこれが動いたら」
「31に連絡できる?」
「今も31があれば」
二人は使えそうな記録を探した。
引き出し。
棚。
床に散らばった紙。
多くは読めない。
だが、壁に貼られた路線図は残っていた。
中継所を中心に線が伸びる。
南西、C-17。
東、C-24。
北東、C-31。
「距離」
ミオが指で測る。
「31まで、ここからまだかなりある」
「ソウさんはここ通ったかな」
「地図通りなら」
日が落ち始める。
今日はここで泊まることにした。
床が安全な小部屋。
入口を簡単に塞ぐ。
火は焚かない。
煙を見た誰かがいるなら、自分たちも見つかる。
暗くなる前、ハルは建物の裏を確認した。
そこで足を止めた。
壁に傷がある。
自然な割れではない。
文字。
刃物か何かで刻まれている。
『17』
その下。
『S』
「ミオ!」
声を抑えながら呼ぶ。
ミオが駆けてくる。
二人で見る。
「Sって」
「ソウ?」
「決めつけない」
「でも17と一緒」
「可能性はある」
さらに下に矢印。
北東。
31の方向。
ハルの胸が高鳴る。
「ここまで来たんだ」
「ソウさんならね」
「生きてた」
「ここまでは」
ミオの言葉が慎重なのは分かっている。
それでも大きかった。
ソウは境界を出た。
そして少なくとも、この中継所までたどり着いた可能性が高い。
村で語られた「外へ出て帰らなかった人」。
その人の足跡が、五十年近く経って目の前にある。
二人は建物内をもう一度探した。
Sの文字を見たことで、見落としていたものに気づく。
端末机の下。
錆びた金属箱。
鍵は壊れている。
中に、湿気で膨らんだ記録紙。
最初は施設職員のものだった。
通信状況。
停電。
中央回線停止。
その後、筆跡が変わる。
正式な記録ではない。
誰かが余白に書いている。
『南から来た』
『17』
ハルの手が震える。
「これ」
ミオも息を呑む。
続きは汚れて読めない。
次の紙。
『道は残っている』
さらに。
『外は、聞いていたほど――』
そこから破れている。
「聞いてたほど何?」
「分からない」
次。
『北東に人の痕跡』
『31を確認する』
最後に一文字。
『S』
ハルは紙を握りそうになり、慌てて力を抜いた。
「ソウさんだ」
ミオも今度は否定しなかった。
「たぶん」
「外で死んだんじゃない」
「少なくとも境界を出てすぐには死んでない」
それで十分だった。
ゲンがずっと言っていた。
帰ってこなかったことと、死んだことは同じじゃない。
その意味が、今ここに残っている。
「持って帰ろう」
ハルが言う。
「全部はだめ。壊れる」
ミオは読める部分を紙に写す。
原本は箱へ戻す。
「ゲンじいに見せたい」
「うん」
夜。
二人は小部屋で並んで座った。
外では虫の声。
遠くで何かが鳴く。
村の夜よりずっと音が多い。
「怖い?」
ミオが聞く。
「うん」
「帰りたい?」
ハルは考えた。
「帰りたい」
「私も」
「でも、31も気になる」
「それも」
二人は笑った。
帰りたいことと、先を知りたいことは同時に存在する。
どちらか一つではない。
ハルは地図を広げた。
中継所から北東へ伸びる線。
C-31。
ソウはそこへ向かった。
五十年近く前。
そして今。
道の途中には、新しいかもしれない足跡と煙がある。
「明日は戻る?」
ハルが聞く。
ミオは約束を思い出すように頷いた。
「戻る」
「31には行かない?」
「今回は」
「今回は、ね」
「まずゲンさんたちにこれを見せる」
正しい。
それでもハルは、地図の31から目を離せなかった。
夜が深くなる。
その頃。
中継所からさらに北東。
暗い場所で、小さな灯りが一つ動いていた。
誰かが道の上にしゃがみ込む。
地面に残る二人分の新しい足跡。
その人物はしばらく跡を見つめた。
そして、北東へ向かって歩き始めた。
夜になる前、ミオはソウの記録を写した紙を三つに分けた。
一枚は自分の袋。
一枚はハルの袋。
もう一枚は小部屋の目立たない隙間へ入れる。
「何で三つ?」
「どっちかが濡らしても残るように」
「三枚目は?」
「もし私たちが戻れなくても、次に来た人が見つけられるかもしれない」
ハルは嫌な顔をした。
「戻るって言っただろ」
「戻るために、戻れない時も考える」
「それ嫌い」
「私も」
ミオは紙をしまった。
ハルは反論できなかった。
ソウも戻るつもりだった。
それでも戻らなかった。
だからこそ、残した文字が五十年近く後の二人へ届いた。
「ソウさん、これ誰かに読ませるつもりだったのかな」
「自分用かもしれない」
「ゲンじいに?」
「分からない」
壁の『17』と『S』。
北東への矢印。
少なくとも、自分がどこから来て、どこへ向かったかは残している。
「帰り道の印だったのかも」
ハルが言う。
ミオは少し考えた。
「それなら、帰るつもりだったって話とも合う」
ハルは壁を見た。
ソウはここまで来て、31へ向かった。
それから何があったのかは、まだ分からない。
生き延びたと決めることも、死んだと決めることもできない。
その未完成の答えを、ゲンへ持ち帰る。
夜中、ハルは一度目を覚ました。
建物の外で、何かが鳴った気がしたからだ。
隣でミオも起きている。
「聞こえた?」
「うん」
二人は息を潜めた。
足音のようにも聞こえた。
枝が落ちただけかもしれない。
しばらく待つ。
何も続かない。
「見に行く?」
ハルが囁く。
「行かない」
「だよな」
朝まで入口を開けなかった。
夜明け後、周囲を確認しても、人影はない。
ただ、建物から少し離れた泥の上に、自分たちが昨日つけた跡とは別の乱れがあった。
形は崩れていて、靴跡と断定できない。
ミオは位置だけ記録した。
「帰ろう」
ハルも頷いた。
この中継所には、五十年前の人の痕跡と、今のものかもしれない気配が重なっている。
二つを混ぜてはいけない。
帰って大人たちへ伝え、改めて確かめる。
それが今の二人にできることだった。
北東へ向かう道には、二人の知らない足跡が残っていた。
朝食を取りながら、ハルは地図の17と31を何度も見比べた。
「同じ紙の上だと近く見える」
「歩くと遠いよ」
「分かってる」
「それに、道が残ってるとも限らない」
ミオは帰路を指でなぞった。
「今日は南へ戻る。昨日と同じ目印を確認する。途中で新しいものを見つけても、まず帰る」
ハルは頷いた。
31へ向かいたい気持ちは消えていない。
けれど、ソウの記録を見つけたことで、むしろ急いではいけないと思うようになった。
五十年近く答えがなかったものを見つけたのだ。
ゲンには、自分たちの興奮ではなく、読めた文字をそのまま渡したい。
「ゲンじい、何て言うかな」
「喜ぶとは限らない」
「なんで?」
「ここまで来てたって分かったら、その先がもっと気になるから」
ハルは黙った。
知らない方が楽なこともある。
それでもゲンは、ずっと「死んだと決めるな」と言ってきた。
なら、この記録はきっと必要だ。
答えではない。
答えに近づくための事実だ。
二人は中継所を出る前に、壁の傷をもう一度見た。
17。
S。
北東への矢印。
ハルは指で触れず、目だけで形を覚えた。
「次に来ても残ってるかな」
「五十年近く残ったんだから、たぶん」
「じゃあ、また来られる」
「許可が出ればね」
「そこ大事?」
「一番大事」
ミオが先に歩き出す。
ハルも追った。
背後の中継所は、再び静かな廃墟に戻る。
けれど二人にとってはもう、ただ壊れた建物ではない。
第17居住区と第31居住区の間に残された、途切れた道の途中だった。
コメント
1件
**美月ゆめか🌸の感想** よかった……!めっちゃ静かな興奮がずっと続く話だった〜! 壁に刻まれた「17」と「S」、ソウさんの痕跡を見つけた瞬間の高鳴りがこっちにも伝わってきて、もうドキドキが止まらなかったよ😭💕 「帰りたい」と「先を知りたい」が同時にあるっていう二人の会話、めっちゃリアルで刺さった……五十年越しの足跡を追うって、それだけで尊すぎる展開。 ラストの「知らない足跡」の伏線も気になる!続き待ってるよ、あさひん先生!✨📖