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パーティ会場の隅で、ハルはひとり立ち尽くしていた。耳をつんざくような音楽。大声で笑い合うクラスメイトたち。
紙コップの中のビールは、泡が消えかけ、ただのぬるい液体に見える。
誰も自分には話しかけない。
いや、そもそも話しかけてほしくないと心の奥で思っているのかもしれない。
「おい、新入り」
不意に肩を叩かれ、振り返るとアメフト部の大柄な男──マッドが立っていた。
筋肉で膨れあがった腕にコップを握りしめ、ニヤついた笑顔を向けてくる。
「なんでそんな隅っこに突っ立ってんだ? 友達いねーのか?」
背後で取り巻きたちが笑い声を上げる。
ハルは返事をせず、ただ小さく首を振った。
マッドが一歩近づく。アルコールと汗の匂いが混ざり合い、息苦しくなる。
「答えろよ。せめて『はい』くらい言えよな?」
笑いが大きくなる。
心臓が耳元で鳴り響くように鼓動する。
耐えきれず、ハルはコップをテーブルに置き、会場を飛び出した。
夜風が顔に当たる。冷たいのに、どこか甘くて切ない匂いを含んでいた。
潮の香り。街灯が途切れると、そこからは海沿いの道だった。
歩道の先にベンチがある。そこに、一人の影が座っていた。
黒いジャケットに細身のデニム。
短く切りそろえた黒髪が、街灯の下で青白く光っている。
その人物は煙草を指に挟み、火をつけた瞬間、ふっとこちらを見た。
「……なんで、この街はクソみたいな奴ばっかなんだろうね」
唐突すぎて、ハルは言葉を失った。
「え?」と間抜けな声しか出ない。
彼女は煙を吐き出しながら、口角を上げた。
「ごめん、独り言。あんたも追い出されたクチ?」
「……え、いや」
「図星だ」
その女の子は、夜風に長い煙を流しながら立ち上がった。
近づくと、年齢は自分とそう変わらないように見える。
けれど瞳の奥には、十年分も二十年分も多く生きたような影が宿っていた。
「名前は?」
「……ハル」
「へえ、春ね。いい名前じゃん」
彼女はそう言って、ギターケースをトンとベンチに置いた。
古びたケースの角は擦り切れ、黒いテープで補強されている。
「私はクロエ。蝶の名前」
「蝶……?」
「そう。どこにでも飛んでいけるでしょ。誰にも縛られずに」
彼女はギターを取り出し、何も言わずに弦を爪弾いた。
夜の海に、乾いたコードが響く。
ハルは息を呑んだ。
それは粗削りで、不器用な音だった。
だけど、胸を締めつけるほどの切実さがあった。
クロエの歌声が乗る。
低く、ざらついていて、でも真っ直ぐで。
まるで心の奥底に直接触れてくるような響き。
気づけば、ハルの頬を涙が伝っていた。
自分でも理由がわからない。ただ、涙が止まらなかった。
クロエは歌い終えると、ギターを抱えたままこちらを見た。
「……なんで泣いてんのさ」
「わからない。でも……なんか、心に刺さって」
クロエはしばらく黙って、やがて笑った。
「気に入った。今日からあんた、あたしの仲間」
そう言って煙草をくわえ直す。
その瞬間、夜空を一匹の蝶が横切った。
月明かりを浴びた羽は、青く光っていた。