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第一印象は結構可愛い子だなぁ、ぐらいだった。男にしては小柄な自分よりも小さくて、制服の袖から見える腕や足は自分のよりも一回りほど細く、今にも折れてしまいそうだった。こんな子が、呪術師なんて危険な仕事を全う出来るのか、と思ったのをよく覚えている。
入学して四日目。その日は彼女と二人での任務があった。五条先生からは「あの子のサポートよろしく」と頼まれていたので、何かあったら助けるつもりではいた。しかしそんな自分の心配は杞憂だった。運動が得意なのか壁を上手く利用し、パルクールで呪霊の攻撃を避けていた。そして隙をついては確実に呪霊を祓っていく。
自分が出る幕も無かったな、と”帳”から出ようとするもそれが上がる気配は無い。事前にここには呪霊が三体いると聞かされており、それらは全て彼女が祓った。なのに何故?隣で彼女も「あれ?”帳”上がらないね」と呟く。
もしかして自分達がここに来る前に増えていたのか?と警戒して辺りを見回す。すると、建物の奥の方に何かが蠢いている気配がした。否、何かではない。呪霊だ。気配を消すのが上手いらしく、今までそこにいるのに気付かなかった。しかもコイツは二級レベル。三級の彼女には荷が重いだろう。
そう判断し、口元を覆い隠していたネックウォーマーを顎下まで下げると、俺は呪言を使った。
「潰 れ ろ」
そこそこの強さだったようで、声がガサガサになってしまったが一発で祓えたから良しとしよう。
帰りにのど薬買って行かないとな、と考えながら彼女の方を見ると、目をキラキラとさせて俺を見ていた。しかし、すぐにハッとすると、何故かものすごく申し訳なさそうな顔で「ごめんね」と謝られた。謝られた理由が分からず、俺はただただ首を傾げていた。
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その日を境に、彼女とは度々話すようになった。人を不用意に呪わないために語彙をおにぎりの具のみに絞っているにもかかわらず、彼女は俺の表情や仕草で何が言いたいのかを理解してくれるため、話すのがかなり楽だった。だから自然と彼女の傍にいることが多くなった。
「好き」なのかは分からなかったが、気にはなっていたと思う。それが明確な「好き」という感情へと変わったのは六月。彼女との三回目の任務のことだった。
その日行ったのは数年前に廃校となった学校。かなりの数の呪霊がいるため、気を付けるようにと言われていた。実際に現場に着くと、弱いとは言え想像以上に呪霊がいてドン引きした。彼女も「うわ…」って言ってたし。
気を引き締め直し、二人で協力しながら呪霊を祓っていく。だが残り一体となったところで、彼女は不意を突かれて攻撃されそうになっていた。すぐさま彼女を抱えて避ける。左手に攻撃を受けてしまったがそこまで深い傷ではないし大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせて痛みを我慢し、呪言を使い呪霊を潰した。そして彼女に無事であるかを確認し、二人で補助監督が待つ校門へと向かっていた時だった。
「それ見せて!」
彼女が、酷く焦った顔でこちらを見ていた。怪我をしているのはバレていないと思っていたが、普通にバレていた。彼女は俺の左手の傷を見て、可愛らしい顔を歪めて今にも泣きそうな顔をしていた。彼女は普段、俺といる時は笑顔でいることが多かったから、そんな顔を見るのは初めてで少し驚いた。
彼女はスカートのポケットに手を突っ込むと、レースの刺繍が施された淡いピンク色のハンカチを取り出し、そして何の躊躇いも無くそれで俺の左手の傷口を縛り上げた。それを見て俺は目を見開く。
(な、んで…だって、そのハンカチは……!)
今回の任務に行く前、彼女がパンダと話しているのが聞こえたので、話終わるまで俺は少し待っていた。その時彼らが話していたのは、そのハンカチについて。彼女の母親が中学の入学祝いに買ってくれたもので、たいそう気に入っている、という話だった。
それを、俺が、俺の血で汚してしまった。これだけ血が着いてしまったら洗っても落ちない可能性がある。どうしようどうしようどうしよう。
上手く回らない頭で必死に考えていると、彼女が泣いていることに気が付いた。彼女は俺の左手を、俺よりも一回り小さい手で握りながら小さな声で謝っていた。
「ごめん…ッ、私の、せい、で…。ごめん、ね」
両目からポロポロと大粒の涙を零し泣く彼女を見て、俺は場違いにも「綺麗だ」と思った。それと同時に嬉しくなった。俺の怪我の応急処置をするためにお気に入りのハンカチを何の躊躇いも無く使う優しさが。彼女は悪くないのに「私のせいだ」と自分を責めてしまう優しさが。怪我をした俺のために泣いてくれている彼女の優しさが。どうしようもなく嬉しかった。そして同時に「愛しい」とも感じた。彼女が好きなのだと、気付いてしまった。
好き、だから、いつもの笑顔でいて欲しい。そのためにも泣き止んで欲しいのに、自分を責めないで欲しいのに、俺はそれを言葉にすることが出来ない。「泣かないで」とすら言ってやれない。彼女に呪いをかけてまで言いたくない。そんな自分の無能さが酷く悔しかった。
彼女のことが好きだと気付いてから、俺はすぐに行動に移すことした。まず、彼女のことをよく知るためにお互いに任務の入っていない休日に一緒に出掛けようと誘うことを決めた。と言っても、これまで女子と二人きりで遊びに行ったことなんて無いから、どこに誘えばいいのか全く分からない。ベッドの上で枕に顔を埋めて考えていると、ふとあることを思い出した。彼女が無類の猫好きであることを。そう言えばこの近くに猫カフェがあった。そこに誘おう。でも、なんて言って?
(いきなり「一緒に遊びに行かない?」だとチャラいって思われそうで嫌だ……)
とりあえずスマホを取り出して彼女とのトークを開き、文字を入力しては消してを繰り返した後、ようやく震える指で送信ボタンを押した。
《明日って任務無いよね?高専の近くに○○って猫カフェがあるんだけど、1人じゃ行きづらいから一緒に来てくれない?》
なんともまぁ素直じゃない誘い方である。「確か猫好きだったよね?一緒にどう?」ぐらい言えよ。こんな誘い方じゃあの子も嫌だろ。と思っていたが、全然そんなこと無かった。
《私で良ければぜひ一緒に行きたいな!😸》
嬉しすぎて思わずベッドの上でガッツポーズした。そして何時に高専を出るか、とかお昼はどうするかなどを簡単に決め、「おやすみ」と送って会話を終了させる。その後は、一時間半かけて着ていく服を選んだ。普段はパパッと決めてしまうのに、こんなに悩んだのは初めてだ。けれどそれはちっとも苦ではなかった。むしろ、ちょっとでもいいから男として意識してくれないかな、なんて考えながら服を決めるのは楽しかった。
翌日。着替えと準備を済ませて共有スペースに行くと、彼女はソファに座って真希と話をしていた。話の邪魔をするのは悪いな、と思いつつもそろそろ約束の時間なので、彼女の肩を軽く叩き自分が来たことを知らせる。俺の姿を見ると、ぱぁっと花が咲いたように笑う彼女。うわ…めちゃくちゃ可愛い。元々可愛かったけど、好きだと気付いてからさらに可愛く見える。恋ってすごいな。
高専を出て猫カフェまでは十五分ほど歩く。自分の隣を歩く彼女をチラッと横目で見る。普段は下ろしている髪は丁寧に編み込みされていて彼女の器用さが伺える。服は胸元に猫の肉球が描かれた白のTシャツにパステルピンクのカーディガン、茶色のキュロットにタイツ、足元はいつも履いているものとは違うオシャレなスニーカー。そして極め付けに、彼女は化粧をしていた。自分に似合う格好がきちんと分かっているのか、髪型も服も化粧もすごく似合っていて、まるで彼女のためだけに存在しているように見えた。
普段から私服はこんな感じなのかな。それとも俺と出かけるからちょっとオシャレしてくれたのかな、そうだといいな。なんて考えながら彼女の歩幅に合わせて歩く。自分がいつも歩くペースよりは少しばかり遅いが、これはこれで悪くないと思った。
「最近暖かいね〜」や「どんな猫ちゃんいるかな」と話しかけてくる彼女に、なるべく会話を途切れさせないように相槌を打つ。
コロコロ変わる彼女の表情や、柔らかな聞いていて心地の良い高さの声、「棘くん」と呼んでくれるその瞬間どれもが愛しくて堪らなかった。隣を歩いていて話しているだけなのに胸が締め付けられるほど苦しくて、嬉しくて、幸せだった。
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猫カフェに到着してからの彼女は、いつも以上に可愛かった。床に座り、寄ってきた猫に対して「にゃ〜お」と猫撫で声で話しかける彼女。実家で猫を飼っているからか、猫が撫でられると嬉しいところを把握しており、彼女に撫でられる猫は喉をゴロゴロと鳴らしてとても幸せそうな顔をしていた。そんな猫を見て、彼女もとても幸せそうだった。いつもの笑顔とは違い、眉を下げて頬を赤く染めて笑う彼女。…初めて見る表情だった。それが自分に対してではなく猫に対してなのが少し悔しい。
でも、彼女のこの顔を知っているのは高専では俺だけなんだ。そんな優越感が、心の底から湧いてきた。気が付くと、猫と戯れる彼女を隠し撮りしていた。うわ、マジか。さすがに気持ち悪すぎだろ俺。…でも綺麗に撮れてるし消すの勿体ないし、一枚くらいならいいか。バレなきゃ大丈夫。スマホをポケットに仕舞い、膝の上に乗っかってきた猫を、彼女の見様見真似で撫でる。あ、気持ち良さそう。掌に頭を押し付けてくる猫。ソイツを優しく抱き上げ顎下を撫でると、なんとも幸せそうな顔でゴロゴロと喉を鳴らす。ふふ、可愛いな。彼女にもこうやって気安く触れたらいいのに。たぶん無理だけど。
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時間が経つのはあっという間で、時刻は既に午後六時を回っていた。そろそろ帰ろうか、と声をかけると「うん、そうだね」と頷く彼女。
帰り際もまた、彼女と話しながら帰った。「猫ちゃん可愛かった〜!」とか「お昼に食べたパスタ美味しかったね」とか、ほとんどが今日の感想だったけど。そしてふと、彼女はこう言った。
「今日は本当すごい楽しかったよ!棘くん、誘ってくれてありがとう。また休みの日が被ったら出掛けたりしようね」
その言葉に、思わず息を飲む。また、誘ってもいいのだろうか。社交辞令とかじゃなく?あぁ、でも、せっかくそう言ってくれるならまた出掛けたいな。次はどこに行こうか。
その日の夜は、猫カフェで撮った一枚をスマホの壁紙に設定してから寝た。翌朝、スマホを見て昨夜のことを思い出した俺は、深夜テンションでなんてことをと自己嫌悪に苛まれ、パンダに部屋の扉をノックされるまでスマホに向かって土下座していた。
あの後も、彼女と何度か遊びに行った。「デート 定番」で検索して出てきたものを見て、彼女が喜びそうな所をいくつかリストアップし、お互い任務が入っていない休日の前日に誘いのメッセージを送る。ちなみに誘い方だけはいつまでたっても進歩しなかった。
二回目のお出掛けは水族館。俺も彼女も来るのは小学校以来だったため、ものすごくはしゃいだ。今思い出すとすごく恥ずかしいけど。水族館から出た後は、お昼はどうしようかと話していた。俺は魚を見た後なのに寿司が食べたくなっていたのだが、さすがにそれを言ったら引かれると思い黙っていた。だが彼女が「……お寿司食べたくなったな」と呟いたのを聞いて、自分もそうだと伝えると「同じ思考回路してるね」と言われて二人して笑った。その後ちゃんと寿司食べた。美味しかった。
三回目は動物園。こちらも小学校以来だったのでまたはしゃいだ。特にウサギの餌やりやモルモットとのふれあいコーナー。彼女自身、小動物みたいなところがあるからものすごく可愛い空間だったとだけ言っておく。退園前に、お揃いのモルモットの人形を買った。思っていたよりも触り心地が良くて、二人して撫で回しながら帰った。高専の敷地内で真希にそれを見られ、ものすごくニヤニヤされた。ほっとけ。その日の夜は、大好きな子とお揃いの物を買えたのが嬉しくてなかなか寝付けなかった。
他にもカフェに行ったり、駅前のショッピングモールで買い物をしたりと、互いに任務が入っていない休日は必ず出掛けるようにした。誘うのはほとんど俺からだったけれど、たまに彼女からも誘ってくれることがあって、お誘いのメッセージが来た時は毎回ガッツポーズしていたのは彼女には秘密だ。
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彼女とのお出掛けで特に印象に残っているのが、九月。彼女とクレープを食べに行った時のこと。五条先生から高専の近くに新しくクレープ屋が出来た、と聞いていたので彼女を誘って行くことにした。オープンしたばかりにもかかわらず既に行列が出来ており、三十分ほど並んでようやく買うことが出来た。まぁ並んでいる間はずっと彼女と喋っていたから体感的には五分ぐらいだったけど。
口いっぱいに頬張り、幸せそうな顔をして食べる彼女はまんま小動物みたいで思わず笑ってしまった。それを伝えたら「そ、そんなことないし!」と怒られてしまったが。モグモグと食べる彼女の隣で、俺もストロベリー生クリームのクレープを食べる。生クリームの甘さとストロベリーの甘酸っぱさが上手く合わさってとても美味しい。思わず無言になって食べていると、「棘くん」と彼女に声をかけられた。何?と聞きながらそっちを向くと、彼女は自身の口の右端を指さして言った。
「クリーム、付いてるよ」
「!?」
「全然気付かないで食べてたね」
ふふっ、と彼女に笑われ、顔が赤くなる。うっわ、めちゃくちゃ恥ずかしい。照れているのを誤魔化すかのように少し乱暴にティッシュで口元のクリームを拭き取る。そして残っていたクレープを口に放り込んで咀嚼するが、恥ずかしさのせいか味がしなかった。
その後は雑貨店を見て回ったり、ゲームセンターに立ち寄ったりして楽しんだ。そして午後五時を回り、そろそろ暗くなってくる頃だから帰ろうか、と彼女と並んで高専に向かう。
しかし、人通りが多くなってきており、このまま歩いていると彼女とはぐれる可能性がある。離れないようにした方がいいよな。そう考え、俺は彼女に「人が多くなってきたね」と伝えさりげなく手を取る。少し低い位置から「棘くん、手…」と戸惑う声が聞こえてきた。それに対し俺はなるべく冷静に見えるように微笑み「はぐれないように、ね」と伝える。実際はこんなカッコいいセリフじゃなくておにぎりの具なんだけど。おまけに好きな子と手を繋いでいるという事実に平静を装うので精一杯だった。手汗ヤバくないかな、大丈夫かな。
自身の手にすっぽりと収まってしまうほど小さい上に、俺と違って乾燥もゴツゴツもしていない綺麗な手。そのことに、彼女は呪霊とやり合えるほどまぁまぁ強いと言っても俺よりも小さな女の子なのだということを改めて認識させられる。彼女一人を余裕で守れるくらい、五条先生くらい強くなりたい。
そう心に決め、俺は握る手にギュッと、軽く力を込めた。
紆余曲折を経て、ようやく彼女と付き合うことが出来た日の夜。数時間前まで一緒にいたのにもう会いたくなってしまって、気が付くと彼女の部屋の前まで来ていた。扉をノックしようとすると、「棘くん」と俺を呼ぶ声が聞こえる。声のした方を見ると、スキンケア用品を抱え小走りでこちらに向かってくる彼女。何か用か、と尋ねられ思わず肯定しかけるが、特に用があってきたわけじゃない。ただ、会いたくて来たのだ。だから「おかか」と否定すると、「もしかして私に会いに来たとか?」と言われた。なんだ、バレてたのか。
彼女の腰に手を回し自分の方へ引き寄せ、そしておでこをくっ付ける。彼女といると、すごく安心する。ずっとこうしていたいくらいには、俺は彼女が好きだった。閉じていた目を開き、彼女と視線を合わせる。その瞬間、彼女の顔が真っ赤になったのが分かった。それはもう、今まで見たことがないくらい赤かった。
以前、五条先生の無茶ぶりに付き合わされて疲れ果てた彼女に「癒して欲しい」と頼まれたことがある。その時に頭を撫でるだけでなく思い切って抱き締めてみたのだが、少し驚いてはいたもののここまでの反応は見せてくれなかった。ずっと見たかった反応がようやく見れた。
口パクで「可愛い」と告げると、「あ」とか「う」と声にならない言葉を出す彼女。赤い顔が更に赤くなる。…あぁ、やっと男として見てくれた。遅いんだよ、ばーか。
でも、これじゃ足りない。もっと、もっともっともっと意識して欲しい。俺は彼女の前髪をかき上げると、顕になったおでこに優しくキスをした。何か言おうにも言葉が出ないのか口をパクパクとさせる彼女。ゾクッ、と体の奥底で何かが疼くのが分かった。
彼女の頭を軽く撫で口パクで「おやすみ」と告げるとその場を離れる。いいものが見れたな、と自然と口角が上がった。
ねぇ、俺はさ、本当はすごい我儘なんだ。だからこれからは遠慮なんてものしない。それに俺は君が思ってるほど良い奴じゃないし、君に対する感情だって、今まで表に出さなかっただけでとても綺麗とは言い難い。たくさんたくさん甘やかして、俺無しじゃいられないようにしてやりたい。それくらい。大好きなんだ。
今まで俺は散々君に振り回されてきた。だから、今度は。
「 」