テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
思い出したのは高二の夏。何も知らなかったあの頃とはまた少し違った時間を過ごしていた。
────八月九日。
十七時前の帰り道。
夏と言うだけあって、空の色は変わり始めているものの明るさはまだ充分にあった。
駅前に新しく出来たショッピングモールに楽器屋が入っていると聞いて、課題の息抜きがてら偵察に。
「品揃え結構良かったね。また今度ちゃんと見に行こうかな」
若井の言う通り種類も値段も中々良いものだった。
「んね。モール自体結構広さあったし」
そんな会話を続けながらいつもの道を往く。
交差点の前まで来て、信号が青に変わるのを待っている時。ふと。
ぽつりと一雫が頬を打った。空を見上げれば天候は全くと言っていいほど悪くない。
夏の夕暮れに染まった空は明るくて、それでも雫はぽつぽつと数を増していく。
「………あ、雨?」
若井も同じように空を見上げる。アスファルトを叩く雨音の大きさが段々と大きくなっている気が。
その場違いな程明るい空を見て思わず眉を顰めた。
にわか雨。夕立か。
「………若井。ちょっと走ろう」
「え、わっ」
若井が返事を返す前にその手首を掴んで来た道を引き返す。
その判断は間に合ったのか間に合わなかったのか。
数歩進んだ所でタイミング良く雨粒の勢いが強まった。随分と大きな音を立てて。
「やば!めっちゃ降ってる!!」
手を引かれながら若井は楽しそうに笑っている。
こんな大雨でよく笑えるな、と思ったけど自分自身そんな姿に口元が緩んでいたから人の事は言えない。
冷たさの中で、掴んだ手から伝わる体温がじんわりと熱を伝えていた。
「うわー、濡れた……」
隣に立つ若井が濡れたシャツを見下ろして呟く。
漸く雨風を凌げる場所へ。
結局駅まで戻って勢いが弱くなるまで雨宿る事にした。
自分の服も見下ろせばしっかり濡れていて。
肌に張り付く冷たい布地の感覚がどうにも気持ち悪い。
雨が降った所で夏の暑さは消える訳でもなく、じっとりとした気温が余計に心地悪い。
アスファルトを叩く雨粒の音は強さを増すばかりで、構内はいつもより人気が少なかった。
聞こえるのは時折誰かが改札を通る音と濡れた足音。
隣を見れば止みそうにない雨を見上げる静かな横顔。
湿った前髪が額に張り付き、睫毛が頬に影を落としている。
濡れたその姿が何処か色っぽくて、どうしてか無防備に見えて。
綺麗だと思った。また、目が離せない。
頬を伝って滑り落ちる一雫を手の甲で拭いながら若井がこちらに目を向けた。
視線がぶつかって交わる。見ていたことを見透かされてしまいそうなその瞳から目を離そうとして、離せなくて。
「雨、強いね」
小さく笑うその表情は困っていると言うよりこの状況を楽しんでいるようにも見えた。
「強すぎる。全然帰れないんだけど」
そんな言い草とは裏腹に、自分自身帰りたいと思っていなかった。
この時間が嫌だとは思わないし、あわよくばもう少しだけ、なんて。
思いっきり濡れてしまった髪に指を通してかきあげる。そこから垂れた水滴が額を滑って少し冷たかった。
若井はまた降り続く雨を見ていたが、不意に指先で手の甲に触れてきた。
若井の手が触れた瞬間、息が詰まったような感覚。僅かに肩が揺れる。
「冷たい?」
悪戯っ子みたいに笑いながら指先でなぞったり手を包むように小さく握ってきたり。
生憎、こんな事されて余裕なふりを出来る程器用じゃない。
器用じゃないから、困ってる。
この胸の奥の音が聞こえてしまわないか、指先に募った熱が伝わってしまわないか。
残念なことにそれらを治める術は何処にもなくて。
触れられている手に視線を落としながら、いつも通りに繕って返事を返す。
「…そうでもない」
その手に触れ返したい、指を絡め返したい衝動を呑み込んでただそれを見ていた。
「そうでもない?なんだ、冷えてるかと思った」
するりと指が解かれて触れていた温度が消える。
名残惜しいような感情と鼓動の音、指先の熱さだけが残った。
これは友達としての距離感。
目の前の若井が何も知らない限りこのままの関係で居られる。
その事実に安心すると同時に全部伝わってバレてしまえばいい、と馬鹿なことを思う自分も居て。
そう思う程強い気持ちを抱いているのに、自分から伝えることは出来ない弱さを持っている。
まぁでも。いつか言えるその日まで、隣に居させてよ。
その隣が他の誰かで埋まってしまわぬように、ずっと居させて欲しい。
伝えられるその日が来たら自分だけを見てくれるかな、なんて。ちょっと幼稚かな。
手を伸ばして人差し指の背を若井の頬にそっと当てた。これ以上気持ちが溢れ出さないように抑えながら、その指で少しだけ目元をなぞるように。
「冷たい?」
若井は僅かに目を開いて、それから笑った。
「ちょっとだけ。」
コメント
2件

あら、あらあら....。 雨さんいいことしてくれましたね( *´艸) 二人の距離感に、私は叫んでばっかりですが....。笑 若井さん本当に....、貴方本当に........。 人をドキドキさせてばっかですね( ;∀;) いちさんは本当に言葉選びがお上手で....。私の胸にささった言葉が抜けないです........。 続き、楽しみにしております❣️
#5、読み終わりました……。 雨宿りのシーン、すごく好きです。高校生の距離感がリアルで、ちょっと胸が苦しくなりました。特に「冷たい?」って若井に聞いた言葉を、後で若井が返すところ、反復が効いててキュンとしました。手を握りたい衝動を呑み込む主人公の心情、すごくわかる……。友達のままじゃいられないのに、伝えられないもどかしさが切なくて。でも最後の「ちょっとだけ。」って笑う若井が、何か気づいてる感じがして、続きが気になります。いちさんの紡ぐ言葉、静かで綺麗です。次話も楽しみにしてますね🌙
#mtp
ひより
76,642
kurara
4,130
kurara
4,820