テラーノベル
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遅番の水瀬に引き継ぎをしたら、今日の業務は終了だ。
怒濤の毎日も、心に迷いがあると、なんとなく長く感じてしまう。思わずため息をこぼしていると、水瀬に「店長お疲れですね」と言われてしまい、苦笑いを返した。
それから花斗のお迎えに、保育園へ向かう。
園内へ入るや否や、「あ!」と顔を合わせこちらに視線を向けたのは、あまり話したことのない先生だった。
「花斗くんのママさん、再婚するんですか!?」
「はい?」
なぜか目を輝かせる彼女に、首をかしげる。
「花斗くんが言ってましたよ。パイロットさんと一緒に住んでるって」
おそらく、花斗が保育園中に壱月と同居を始めたことを言いふらしたのだろう。
再婚もなにも、私は未婚の母だと内心自嘲しながら、「そんなわけないじゃないですか~」と愛想笑いを浮かべる。
「あ、ママ~!」
花斗はお迎えにやってきた私に気づき、珍しく自ら駆け寄ってきた。すると、姉もこちらに寄ってくる。
それから、姉は私に心配そうな顔をした。
「大丈夫なの? 同居……」
私にしか聞こえないくらいの声量。それに彼女なりの配慮を感じて、私は申し訳なくなってしまった。
壱月が花斗の父親だと知っているのは、壮馬の他には姉だけだ。
つい、うつむいてしまう。すると姉は、小さな声のまま続けた。
「なにもないなら、いいんだけどさ。……なにか事件が起こる前に、ちゃんと頼ってよ? 愛音、ひとりで抱え込む癖があるんだから」
「うん、ありがとう……」
姉の優しさに、胸がじわんとなる。
けれど、頼れるわけがない。
同棲したての姉と榎田さんの愛の巣に、「やっぱりこの子の父親と上手くいきませんでした」と、未婚の母が子連れで乗り込むなんて、できるわけがない。
私の心の内を悟ったのか、姉は「たまには連絡してよ?」と眉を下げた。
*
のんびり花斗と手を繋いで帰る。だが、マンションのエントランスについたところで、花斗は私の手を離して走り出した。
エントランスをくぐる壱月が見えたのだ。
「いつきー!」
すると壱月が足を止めて、こちらを振り向く。
「お、今帰りか」
「うん、ただいまー」
そんなやりとりをしながら、花斗はぴょんと壱月の足に飛びついた。壱月はそれを受け止めながら脇を抱えて、だっこの体勢へ持っていく。
ふたりの笑顔が、近くで交わる。その光景を、私は背後から眺めていた。
……好き、か。
かつて私は、彼のことが好きだった。
でも今、その言葉を口にすれば、その先にあるのは、〝家族〟という未来だ。
私が母親で、壱月が父親。そんな家族の光景を、私はまだ上手く思い描けない。
花斗は、私が育てた。花斗の親は、私だ。
そんな思いが、〝家族〟という光景の中から、壱月を排除していく。
「ママ、はやくー!」
花斗の声に、はっとした。
慌てて壱月の隣に並ぶと、壱月は困ったような笑みをこちらに向けてくる。
「お疲れ」
「ん、壱月も」
そんな短いやり取りも、今日はなんだかぎこちなくなってしまった。
帰宅後、大窓に張りついた花斗を見守りながら、持ち帰りの仕事をリビングでさせてもらう。
「いつき、きょうのごはんは?」
「今日は、手巻き寿司だよ」
不意に、そんな会話が聞こえてきた。
「おすし?」
「そう。自分で巻くんだ」
「へえ……」
それから、花斗はたたっとダイニングに走ってゆく。
そのままそちらに目を向けると、桶のご飯を混ぜる壱月と、椅子に座ってそれに見入る花斗の姿があった。
――〝家族〟。
胸に、そんな言葉がよぎる。
つい手を止めて、ふたりをじっと見てしまう。すると私の視線に気づいたのか、壱月がこちらを向いた。
「愛音、サーモン好きだったよな?」
「うん」
すると、壱月はふっと笑った。
「……高校から変わらないな」
あれ、このやり取り、どこかで……。
脳裏に浮かんだのは、一度目の再会を果たした時の、居酒屋での一幕だ。
確かあの時も、お刺身を頼んだ私にそう言った。壱月は私の好みを覚えていてくれたのだ。
あの時は、それが無性に嬉しかった。だから私は、あの夜彼と――。
考えていたら、黒い感情がモヤモヤと胸に現れる。それで、私は慌ててふるふると首を振り、目の前の書類に視線を戻した。
「ぼく、イクラがすき!」
「もちろん、イクラも買ってあるよ」
「わーい!」
そんなやりとりが始まり、ダイニングに視線を戻してしまう。
花斗はバンザイをして、椅子の上でお尻でぴょんぴょんさせて跳ねていた。
そんな花斗の素直さが、羨ましい。
私も両手をあげて、思いっきりジャンプして喜べば、こんなモヤモヤなんてなかったことにできるのだろうか。
壱月に慕われているらしい。
壱月は、私を喜ばせたいらしい。
それは伝わってくるのに、「この人に恋してはいけません」と、心が止めにやってくる。
私は彼の、なにが好きだったんだっけ? どこが好きだったんだっけ?
――好きって、どういう気持ちだったっけ?
コメント
1件
いやもうね…読んでて胸がぎゅーーってなったよ😭💕 保育園の先生の「再婚するんですか!?」からの姉の心配、そしてエントランスで花斗が壱月に飛びつく光景…一つ一つのシーンが愛音の心情を浮き彫りにしてて切なくてたまらなかった…! 特に「好きって、どういう気持ちだったっけ?」って最後の一文、なんでこんなにエモいの…?好きだったあの頃と、今の家族みたいな距離感で揺れる愛音の心が痛いほど伝わってきて、もう一度読み返したくなったよ😢🌸 壱月がサーモン好き覚えてたのも「変わらないな」って言ったのも、あの居酒屋の夜を思い出させる伏線っぽくて最高だった…続き待ってるよ〜!!