5月の連休明け。
ビルの隙間から見える空は晴れ渡り、風も心地よい午後。
自転車で近所の小学校へ教材の配達を終え、職場である書店に戻ってきた、わたしの名前は加藤優紀《ゆうき》。
現在、25歳。
この書店で働くようになって、今年で3年になる。
前職は都内の不動産会社で営業事務していたのだけれど。
店がある場所は青山の裏通り。
青山と言えば、昔から〈最先端ファッションの発信地〉として知られる街であり、表通りには、国内外の有名なアパレル会社やその旗艦店がひしめきあっている。
また、その合間を縫うように、おしゃれな店構えのカフェやレストランもあり、街行く人はみな、ファッショナブルな人たちばかりだ。
だが、道路一本裏に入ると、半世紀前にタイムスリップしたかと錯覚してしまうほど、昭和味たっぷりの商店街が現れる。
古い建物が立ち並ぶ通りの真ん中あたりの、文字の消えかかった看板を掲げた店が、曽祖父の始めた、開業して77年になる〈高木書店〉であった。
書店といえば聞こえはいいけれど、かつて、どの町にも一軒はあった、雑誌や漫画ばかりの小さな本屋である。
「ただいま」
「おかえり、ご苦労さん」
レジ前に座っていた祖母が、さて、と言いながら立ち上がる。
「ごめん。教頭先生と話しこんじゃって。お医者さんに間に合う?」
「ああ、まだ大丈夫だよ」
わたしと一緒にこの店を切り盛りしている祖母は現在75歳。
いわゆる団塊の世代の生まれで、デビュー当時からの熱狂的なローリングストーンズ・ファンである。
気持ちが若いというだけでなく、見た目もとても若々しい。
グレイヘアをなびかせて街を闊歩するスナップが、シニア女性向けの雑誌に載ったほど。
この、いつまでも友達みたいな祖母が、わたしは大好きだ。
今から4年前の12月。
会社から家に戻ると、祖父が倒れたという知らせが届いていた。
家族で病院に駆けつけたけれど、手厚い治療の甲斐もなく、祖父は帰らぬ人となった。
心臓発作だった。
慌ただしく通夜、告別式を終え、少し落ち着いてきたある日、親戚が集まった席でこぞって「これを潮に店を売って、老人用のケア付きマンションに移ったほうがいい」と意見しても、祖母はがんとして譲らなかった。
「そうやって、よってたかって年寄り扱いするんじゃないよ。まだ人様の世話になるほど老いぼれちゃいないんだから」
根っからの江戸っ子で気丈な祖母は、そう啖呵《たんか》を切った。
「そんな簡単に潰してたまるか。たとえ一人でもうちで本を買ってくれる客がいる間はこの店を続けたいって、じいさんと頑張ってきたんだ」
そう訴える祖母に、そこにいた親戚やうちの親はみな、困り果ててしまった。
「そうは言ってもねえ」
伯父や叔母、そしてわたしの母は眉をひそめて、祖母をどう説得しようかと思案している。
たしかに、書店の仕事は力仕事も多い。
小さな店だとはいえ、祖母一人では荷が重い。
かといって、とてもじゃないが、人は雇えない。
「母さん、そんなわがままは言わずに……」
伯父がそう言うと、祖母はますますへそを曲げてしまった。
しばらく沈黙が続いたが、それを破ったのはわたしだった。