「あのさ……」
その声に、みんなの視線が集まった。
一瞬ひるんだけれど、いつになく大きな声で言うことができた。
「わたしがおばあちゃんとこの店を続けるよ」と。
その言葉に、母は驚いて目を見張った。
「あなたは仕事があるでしょう。あんなに苦労して入った会社なのに」
「仕事は……やめる」
「やめるって」母はあきれた顔をした。
「優紀、そんな簡単に言わないで」
「でも、わたし、おじいちゃんの本屋を潰したくないから」
「だからって、お前が会社やめることはないだろう」と兄も口をはさんできた。
母と兄二人に頭ごなしに否定され、カチンときたわたしは喰ってかかった。
「じゃあ、お兄ちゃんはあの店がなくなってもいいの!」
子供のころの、大切な思い出がたくさんつまった店なのに。
わたしとお兄ちゃんと、そして玲伊さんの。
「優紀、でもな……簡単に継ぐっていうけど」
まだ、わたしを説得しようとする兄を伯父が制した。
「優紀ちゃんの気持ちはありがたいけど、今すぐに結論を出すことはないだろう。家族でよく話し合ったらいい」
横に座っていた祖母は、わたしの肩をぎゅっと抱いて、言った。
「ありがとうね、優紀。おじいちゃんの店を大切に思ってくれて」
その目は少し涙ぐんでいた。
祖母の顔を見たとき、わたしの胸に小さな罪悪感が萌《きざ》した。
なぜなら、わたしが店を手伝うと言ったのには、もうひとつの理由があったから。
もちろん、店を潰したくないという気持ちに嘘はなかった。
昔から三度の飯より本が好きというのを地で行くタイプの人間で、子供のころ、食事中も本を手放さず、親によく叱られていた。
そんなわたしには祖父の家が本屋というのは、ものすごく自慢だった。
でも、実のところ、店を継ぎたいという想い以上に、そのころ、人間関係でトラブルを抱えていた会社をやめたいという気持ちの方が強かった。
当時勤めていたのは、大手出版社の子会社で、ビル管理を中心とした不動産会社。
話し下手で面接が苦手なわたしはなかなか内定が得られず、伝手をたどって、ようやく入社できた会社だった。
数少ない短大卒の女子同期のひとりに、親会社の重役令嬢がいた。
桜庭乃愛《のえ》という、まるでアイドルのような名前を持つ彼女は、言ってみれば同期内の女王的存在。きつい性格だと評判の人物だった。
父親の威光はこの子会社まで及んでいて、上司でさえ、入社したばかりの彼女のご機嫌をうかがっているようなところがあった。
彼女のようなタイプが苦手だったわたしは、極力関わりを持たないように気をつけていた。
まあ桜庭さんの方も、取り立てて特徴のないわたしは眼中になかったらしく、初めのうちは特に問題なく、日々を過ごしていた。
けれど、研修が終わり、彼女と同じ課に配属されて半年をだいぶ過ぎた頃、状況は一変した。
課内で手がけていた大きなプロジェクトがひと段落し、心機一転と、営業とアシスタントの組み換えが行われた。
わたしが担当することになった田辺さんの前任者が、その、桜庭さんだった。
「いやあ、担当が加藤さんに変わって、本当に良かったよ」
田辺さんは、桜庭さんがいないときを見計らって、わたしにそう耳打ちした。
「乃愛《のえ》ちゃん、電話対応でクライアント怒らせるし、書類不備も多いし、本当、大変でさぁ」
「……そうですか」
一言、そう答えただけで、わたしは決して彼に同調して、桜庭さんを揶揄《やゆ》したりはしなかった。
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