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砂原 紗藍
#再会
『髪、綺麗すぎ。触っていい?』
彼は、そう言いながら既に私の髪を掴んでいた。
初めてプールの授業があった日。
お団子にして帽子の中に仕舞っていた髪を解いて、肩にタオルをかけて授業を受けていた。
その時、後ろの席だった『なんちゃら一矢』くんに、言われたのだ。
授業中で、先生が黒板にチョークを走らせている音が響く中、彼の声はクラス中に聞こえていた。
『あ、やべえ。授業中だった。風のせいでシャンプーの匂いなのかな、いい匂いが飛んでくるんだよなー』
ごめん、ごめんって悪びれもなくそういったっけ。
次の日から、私は君を好きな女子たちから『色目を使った』と攻撃の的になるというのに。
――なのに。
つまんない意地悪や嫌がらせが吹っ飛ぶぐらいの、極上の笑顔で彼は私の髪に触れていた。
もし髪の一本一本に神経があったら、私は触れられた瞬間にドキドキで死んでしまっていたに違いない。
ただ、髪を切られた日は違った。
特別なのだと勘違いしていた私のプライドごと、ぽきっと綺麗に折れた。
髪が床に落ちる瞬間、振り返る。
――彼の握った手の中に私の髪があって、それから記憶が曖昧だ。
ただ雷のような落ちてくる大きな音が、私の悲鳴だと気づいたのはスローモーションで倒れていく最中、自分で気づいた。
綺麗だと言ってくれたのに、ぐちゃぐちゃにしたのも彼だった。
「いつまで寝ているの? 何時だと思ってるのかしら。さっさと開けて頂戴」
早口でまくしたてられ、私の久しぶりの休日が朝から潰れることが確定した。
何度も何度も一階からインターフォンが鳴り続け、携帯にも着信ががんがんかかってくる。
「どうぞー……」
興奮した母親がインターフォンの向こうで腕を組んで立っている。
嫌な予感しかしなかった。こんな時はヒステリックに自分の要望が押し通されるまで怒鳴るんだから。
「貴方、何時まで眠ってるの?」
寝癖がついたままで珈琲を作っていたら、腕を組み足を優雅に組みなおしながら母が言う。
私を私立の女子校に転入させるぐらい、行動力がある人だ。というか、母の母校だったっけ。
祖父が歯科医で、母は祖父の病院で受付をしている。
昔からお嬢様として大切に育てられた母は、自分の意見が通らないのは許さない。
「何時って、私の休日なんだから勝手でしょ」
子どもじゃあるまいし。
連絡なしで現れたのは、母の方なのに。
「私ならもう起きて、朝食も済ませているから驚いたのよ」
「そう。私はお母さんがいつ起きようが、御飯食べてようが気にしないから、私のことも気にしないでね」
珈琲をテーブルに置くと、母は深い溜息を吐いた。
てっきり嫌味の一つや二つ、まだ飛んでくると思ったのに。
今日はそれだけで終わった。
「貴方に、とても素敵なお話をもってきてあげたのよ」
母がカバンから、有名な高級ホテルのパンフレットを取り出した。
そこの豪華絢爛な庭は、日本だけじゃなく外国からも評価が高いとか。
でもなんだろう。
祖父の祝賀会でもするのかな。
「私も急に言われたので、写真がないんだけど。でも貴方には一度、言ってるって言っていたから」
「何が?」
「要は南城グループの長男とのお見合い」
南城グループの長男?
珈琲を飲みながら、母は淡々と言ってのけた。
「あら、安い豆ね」
「お母さんも知ってるとは思うけど、私、男の人とお付き合いする気は全くないの」
「お付き合いじゃなくて、結婚よ、結婚。親同士が決めた愛のない結婚とでも思えばいいんじゃないの?」
愛のない結婚って。
親が子どもにそんな説明するの、一般的にどうなの。
成人しているとはいえ、私は男の人と添い遂げるのが嫌って分かってるのに。
「それに、彼の方が貴方にご執着みたいだし」
「彼って――」
「南城一矢さん。昨日、わざわざうちの医院に来てくださったのよ。好青年でいい人、おまけに家柄、顔、器量よし。何が不満?」
パンフレットを渡され、次の休みに食事会をするとまで説明された。
「……お母さんは覚えてないだろうけど、南城さんって」
「貴方の髪を切った子らしいわね。当時、私がものすごい剣幕で刑事事件にするって騒いで、南城さんのおじい様と、私の父が交流があったおかげで貴方を転校する形だけで収めたけど」
知っていて、その犯人を私に薦めるって私の親はいったいどうしたの。
何を考えているのか本当に理解できない。
「あのね、貴方のおじいさまの医院が経営が上手くいっていないの」
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