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宮本に峠の釜飯を奢ってもらい、お腹も気分もほくほくした状態で、橋本はインプのハンドルを握りしめていた。
「いつも通りに運転してみてください。タイヤの違いが、すぐにわかりますよ」
「ああ、わかった」
本当はレストランまでの道のりを運転して、それまで使っていたタイヤとの違いに気づいてはいたが、宮本の忠告を素直に聞き入れた。
アクセルを踏み込んだ瞬間に感じるエキゾーストノートに酔いしれながら、適度な傾斜のある三笠山を法定速度で登っていく。
「やっぱり、前のタイヤより振動がある分だけ、ノイズもすごいな」
「その内にきっと慣れます。距離をそれなりに走ればタイヤの表面が剥けるので、今よりも断然落ち着きます」
「雅輝が今みたいに、絶え間なく喋ってくれたら、タイヤの音は気にならないかもしれないな」
日頃、自分よりも話をしない宮本だったが、車に関しては饒舌になるので、橋本なりに誘導してみた。
「はぁ、そうですか……」
夕飯を共にしたレストランで、時折思いつめた雰囲気を醸し出したりと、どうにも様子がおかしかったからこそ話題を振ったというのに、宮本は一言喋っただけで、むっつりと口をつぐんでしまった。
つづら折りのコーナーが終わり、直線区間に入ったので、助手席を横目で確認してみたら、顔を俯かせて着ているセーターの袖を両手でもじもじ触り、落ち着きのなさを発揮している宮本の姿が目に留まった。
「山頂に着いたら、そのままUターンしようと思ったんだけど、トイレに寄ったほうがいいか?」
「へっ? なんで?」
「トイレに行きたいけど言い出せない感じが、雅輝から伝わってきたからさ」
橋本が言うなり、宮本は車内に響くような大きな声で違いますと同じ言葉を繰り返し言って、激しく否定した。
「だったら俺の運転がつまらなくて、暇を持て余していたとか?」
あからさまなそわそわした感じは、間違いなくトイレだと思ったのにと考えながら、当てはまりそうなことを口にしてみた。
「そんなんじゃないんです。俺は陽さんがす――っ!」
言いかけて言葉を飲み込んだ宮本の態度に、橋本は思わずイラッとした。
「さっきから何なんだおまえ。この急なコーナーをすげぇスピードで突っ込みながら、ワンハンドステアで簡単にクリアできるくせに、言いたいことも言えないのか」
「やっ、それとこれとは、事情が違うというか。むぅ……」
「俺は陽さんがすのあとは何だよ?」
苛立ちを含んだ橋本に宮本はビビりながら、タイヤの音にかき消されそうな、か細い声で告げる。
「はっ初めてだったんです。人の運転する車で、安心して乗っていられるのが。陽さんの運転はすごいと言いたかったんですけど、変に勘繰られるもの嫌だなと思って、黙っちゃいました」
「勘繰る?」
「は、はい。褒めてまた何かを強請ろうとしてるだろうなんて、言われそうな気がして」
ところどころ声をひっくり返して告げられた宮本のセリフを、どこまで信用していいものか――コーナーをなぞるようにハンドルを切りながら、橋本は返す言葉を考えた。
「俺、陽さんに嫌われたくないですし」
橋本が返事をする前に、沈んだ声で告げられた宮本の気持ちを組んで、思いっきり笑い飛ばしてみる。
「ハハッ、嫌わねぇよ。普段の意地悪のせいで、変に勘繰らせて済まないな。おまえの反応が面白くて、ついやっちまうんだ」
言いかけてる途中で山頂にたどり着き、駐車場で車をUターンさせて、登ってきた道のりをゆっくりと下った。
「この間インプが飛んだ原因になった、枯れ葉の山はなかったな」
話題を切り替えるべく、橋本は違う話を投げかけてみた。
「そうですね。残念だな、また飛びたかったのに」
「げーっ! おまえはまた俺を、恐怖のどん底に突き落とす気かよ」
しれっとすごいことを言い放った宮本に抗議すべく、バシバシとハンドルを叩いた。
「ガードレールを突き破って、谷底へ真っ逆さまになるよりも、全然怖くないですって。インプが飛んだあと、どこに着地するかわからないハラハラとか、目の前にあるコーナーの攻略を考えたら、ドキドキしちゃいますよね」
宮本の口から出たそのコーナーを、今まさに曲がろうとハンドルを操作する。
「うわっ、こんなに急なコーナーだったか? 下りだからスピードも乗るし、実際は大変だったろ?」
「スピードを出したほうがドリフト走行に入りやすいので、何の問題はないですよ」
「聞いた俺がバカだった。雅輝とじゃ次元が違いすぎて話にならん」
法定速度の半分でコーナーを曲がり終え、そのまま道なりに下っていく。
「おまえを降ろすのは、せせらぎ公園の駐車場でいいのか?」
「はい、ありがとうございます」
またしても声をひっくり返す宮本の様子に、首を傾げながら目的地までインプを走らせた。
せせらぎ公園の駐車場に着くまで、大した話もなかったので、橋本はあえて無言を貫く。助手席にいる宮本も黙ったままでいた。半日連れ回した疲れが出ただろうと思い、そのまま放置する。
「今日はありがとな。すげぇ助かった」
「いえ。俺も高い服を買ってもらっちゃって、いろいろ勉強になりました。ありがとうございます」
宮本は後部座席に置きっぱなしにしていたリュックサックと紙袋を手に取り、なぜだか足元に固める。その様子で車から降りる気がないことに違和感を覚えたが、沈んでいるっぽい宮本を励ましてやろうと話しかける。
「雅輝の恋愛が上手くいくように、先行投資したまでだ。細かいことなんて気にするな」
橋本が心の中にある気持ちを素直に吐露した瞬間、シフトレバーに置いてる左手の上に、宮本の左手が重ねられた。橋本の体温より高い熱を手の甲に感じながら視線を隣に移すと、見慣れた友人の顔がすぐ傍まで迫っていて、躰がすぐさま強ばる。
何をされるのかすぐにわかったが、避ける間もなく、目を見開いたまま宮本からのキスを受けるしかなかった。時間にしたらほんの数秒の出来事が、えらく長く感じた。
「いきなり、何するんだ」
解放された唇が告げた橋本の第一声を聞いて、宮本は重ねている左手に力を込めて握りしめる。
「陽さんが好きです」
「は?」
「俺、自分から告白したことがないから、上手く気持ちを伝えられないんですけど、えっと……」
宮本から告られるとは思ってもいなかったせいで、橋本の頭が真っ白になり、思考回路がそのまま停止した。金魚のように口をぱくぱく動かすという、情けない状態をキープする。
「最初は憧れていただけだったのに、陽さんと逢って言葉を交わしていくうちに、その人柄に惹かれて、だんだん好きになっちゃいました」
(――コイツの好きな年上の誰かさんって、俺のことだったのかよ!?)
心の中の呟きが最後には絶叫に変わり、脳内で無意味にこだました。衝撃的な事実を目の当たりにして、言いようのない激しいめまいに襲われる。 傍にある宮本の顔をまともに見るのが躊躇われたので、顔を背けてやり過ごした。
無意味にハンドルを凝視する橋本に、穏やかな声で宮本が語りかけた。
「いつか陽さんがキョウスケさんを諦めて、視野を広げたときに、俺を見てはいただけないでしょうか」
「雅っ、おまえをか?」
素っ頓狂な声をあげてしまったことに驚きつつも、今の現状を冷静に判断してみる。
自分を襲いそうな雰囲気を醸している宮本から、少しでも距離をとりたいのに、躰を固定しているシートベルトがそれを阻止する。それだけじゃなく、掴まれている左手が痛いくらいに握りしめられるせいで、これが現実だと思い知らされた。
「陽さんに大それたことをお願いしているのは、重々承知しています。陽さんの趣味の範囲から、俺は間違いなく外れているでしょうし」
「そそそ、それは確かに、多少外れてはいるけど」
橋本は思わず本音を漏らしてしまい、ヤバいと察知して宮本の顔を恐るおそる見たら、泣きだしそうな面持ちになっていた。
「だだだ大丈夫だ! 外れていてもほんの少しだけだし、雅輝の性格の良さは、絶大的な魅力があるからさ!」
「もし俺を見てくれるのなら、陽さんに抱かれてもいいと思ってます」
「おまえ、そんなふうに自分を安売りするなよ……」
「陽さんだったら、俺のはじめてをあげてもいい」
宮本は掴んでいた橋本の左手を両手で包み込み、手の甲にキスを落とした。
(俺に抱かれてもいいなんて言ってるくせに、やってることは、こっちを食いそうな感じだぞ)
「好きです、陽さん……」
友人に告られたのは、初めてじゃない。むしろ何度か経験していることなのに、宮本に好きだと言われるたびに、橋本の心臓は踊り狂ったように高鳴った。
「手、放してくれ。ちょっと痛い」
「すみません、気がつかなくて」
橋本はやんわりと解放された左手を、右手で何度も撫で擦る。
「大丈夫ですか?」
「ああ、平気」
宮本に聞きたいことがあった――いつから好きになったんだとか、自分のどこが好きなんだとか。それなのに、短いセリフを告げるのがいっぱいいっぱいで、橋本はまともな言葉が口から出てこなかった。
「それじゃあ俺、これで失礼します。今日はいろいろありがとうございました!」
顔を背けたまま手を擦る橋本を見ながら、宮本は意を決した感じで声を出した。ガサガサという紙袋の音と一緒に車外に出るなり、聞き慣れた車の閉まった音で、橋本は顔を上げ、去って行く大きな背中を無言で見送った。
外は冬の冷たい風が吹きすさんでいるというのに、どこか弾んだ足取りで歩く宮本はそんなものを感じさせずに、紙袋を持っていない手でガッツポーズを作りながら帰って行く。
どんどん小さくなる後ろ姿をぼんやり眺めて、橋本はポツリと呟いた。
「何で俺なんだよ……」
言葉を交わしていくうちに、人柄に惹かれたと宮本は言っていた。だが、好きになられる要素がさっぱりわからなかった。時折からかったりして、むしろ嫌われることを中心にしていた気がする。それなのに――。
「雅輝のヤツ、根っからのドМなのかよ」
車内を暖めるヒーターを止めて、すぐに窓を開ける。顔全体が異様に暑かった。
『好きです、陽さん』
宮本の声が耳について離れない。強引に押しつけられた唇の柔らかさや、握りしめられた左手の痛みだけじゃなく、手の甲に落とされたキスの感触もまざまざと肌に残っていて、生々しいそれを感じるたびに、橋本の胸が痛いくらいに呼応した。
「アイツが俺を好きだなんて、どうすりゃいいんだ……」
どんなに考えても答えは見つからず、橋本はその場にしばらく留まって、宮本とのやり取りを思い起こしたのだった。
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