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次の日、私達が起きたのは少し遅めだった。
朝食を食べ、海沿いを二人で散歩して、のんびりお土産を眺めた。
やっと二人で来た温泉旅行の一幕なんて、心の中で私は思っているとは壱都さんはきっと知らない。
「温泉まんじゅうを買って帰るのは定番って言ってました」
「誰が?」
「町子さんが……」
名前を言ってから、私は口をつぐんだ。
楽しい温泉旅行なのに暗い気持ちにはなりたくない。
「壱都さん。いろいろお土産を見ましょう」
「ああ」
急に話題を変えてしまったけれど、壱都さんは私に合わせてくれた。
「朱加里。その温泉まんじゅう、誰にあげるつもりなんだ?」
「白河のお祖父さんにあげようと思っています」
壱都さんが頬をひきつらせた。
「いや、いらない。率先して会いに行きたいような相手じゃないよな?」
「でも、旅行にきたんですから、お土産を買わないと」
私の手から温泉まんじゅうを奪った。
「なにするんですか」
「それはこっちのセリフだ。呼ばれた時だけ会いに行けば十分な相手だ」
同族嫌悪なのか、それとも苦手なだけなのか。
壱都さんは温泉まんじゅうを返してくれないので、渋々諦めると壱都さんはホッとしたようだった。
私はそんな嫌な方だとは思ってないけど……
「壱都さん、朱加里さん。すみません。遅かったですか?」
温泉旅館まで|樫村《かしむら》さんが迎えに来てくれた。
「いや、ちょうどよかった」
私の温泉土産を阻止するためか、そんなことを壱都さんは言った。
荷物を車に運び入れている壱都さんと樫村さんの目を盗み、ちゃっかり温泉まんじゅうを購入した。
これは後から白河のお祖父さんに渡す分。
温泉旅行にきたら、お土産を買うのも楽しみの一つ。
こっそりとトランクに紙袋をいれた。
「壱都さん。温泉はどうでした?」
「すごく楽しかったよ」
「ご機嫌でなによりです」
壱都さんがご機嫌なのが一番の樫村さんは自分のことのように喜んでいた。
「樫村さん、これどうぞ」
車に乗ると樫村さんにお土産を渡した。
入浴剤とお菓子という定番のお土産だったけど、樫村さんは喜んでくれた。
「えっ!自分に?ありがとうございます」
「いつの間に」
壱都さんがちらりと私を見たけど、知らん顔した。
お土産を買うのを邪魔されたことを根に持っているわけじゃないけど、私だってお土産を買いたかった。
温泉まんじゅうは買ってないだろうな、と言う声が聞こえたけど返事はしなかった。
「あの……?」
「ああ、マンションに戻る前に寄る場所がある」
車が私達の暮らしているマンションではなく、違う場所へと向かっていることに気づいた。
不思議そうな顔をしていた私に壱都さんが答えた。
「どこへ行くんですか?」
「井垣本社だよ」
「え?もう社長じゃありませんよね?」
「まだ社長じゃなかっただけだ。周りからは社長と呼ばれていたけどね」
「正式には本日、取締役会で壱都さんが社長に決まり、就任されました」
「えっ、ええ!?」
「いやー、たった三日だったね。重役達が泣きついてきてさ。仕事ができない社長では困るっていうから、戻ってあげることにしたんだよ。俺は本当に人がいいよね?」
な、なんて……!
わざとらしいにもほどがある。
「これが本当の三日天下ってやつかな」
「ま、待って。壱都さんはこうなることわかってましたよね?」
「どうかな?」
う、嘘つき!
なにが、『何もかも失った俺の前から消えようとするなんてひどいことはしないよね?』よ!
樫村さんもわかっていたに違いない。
バックミラーから、樫村さんは私の顔を見ていた。
鏡越しに目が合うとごめんなさいというように頭を下げていた。