「クズー! congratulations!!」
スピーカー越しに黄色い声が飛んだ。
観覧席を見ると、どこで見つけたものか マイクを手にしたリースが、喜びを全身で表している。
これに手を振って応じる間際、同席する町長の顔が目に留まった。
他の観客と同じく、まさに開いた口が塞がらない様子で、こちらをぼんやりと見つめている。
その面貌をじろりと苛(さいな)んだ葛葉は、もはや二度まで振り返らず。 先ほど利用したばかりの鉄扉を急ぎ足で目指した。
そんな彼女の背を、取ってつけたような拍手がまばらに見送った。
「お前あれ、大丈夫なんか?」
控え室に戻ると、虎石が開口一番にそう言った。
気性は荒いが、場面に則した立ち居振る舞いについてはよく弁(わきま)えた男である。
「や、平気でしょ?」
室内のやり取りを聴くと、“大した腕だがまだまだ青い”という評価が大半を占めているようだった。
あまつさえ、“自分なら脚も残さず地に埋める”と吹きまくる剛(ごう)の者も、中にはちらほらと見受けられた。
「マジか……」
眉間に指先を当てた彼は、暫時 唸るように呆気をさらした。
「大丈夫。 変なのは兄(あん)さんじゃなく、この人たちだと思うよ?」
「あぁ……。 いや、お前に言われたか無え」
葛葉としては気を利かせたつもりだが、いつもの悪たれ口が溜息に混じって返るのみだった。
その後も試合は滞りなく進んだ。
目立ったアクシデントも無ければ、危惧したような血で血を洗う事態にもいたらず。
それぞれが惜しみなく力をふるい、研鑽した技を競い合うという、まるで正統的なゲームが次々と展開された。
「じゃあ姉さん、お先に失礼します」
「あ、お疲れっす。 負けたん?」
「面目ねえ……。 応援してますんで気張ってくださいや!」
ここまで来ると、葛葉の胸中にもいよいよ余裕が生まれている。
当のイベントを素直に受け入れるのはいまだ抵抗があるが、ほんの少しだけ心の場席ができたような具合だった。
これはあくまで試合であり、ゲームなのだ。
そんな折り、いよいよ虎石の出番がまわってきた。
「ぶっ殺しちゃダメだよ?」
「バカ野郎。 誰に言ってんだ」
どこまで本気かは知れない。 危なっかしい冗語にそれとなく付き合った彼は、大手を振って控え室を後にした。
元はと言えば、葛葉の安請け合いに起因するもの。 それは間違いなかった。
ただ、どうして自分まで参加すると言い出したのか、いまだに最良の答えを見出(みい)だせていない。
いや、ここに至っては、そんな事はもうどうでもいい話なのかも知れなかった。
バカ騒ぎが好きだ。 日頃の憂(う)さを忘れることができる。
呑んで暴れて、また旨い酒が飲めるなら、それに越したことはない。
「オメー、俺が誰だか知ってっか?」
「知らぬ。 名のある兵法家(ひょうほうか)か?」
競技場の中心で見(まみ)えた対戦相手に向けて、虎石は鷹揚な口振りで放った。
返ってきた答えは、かくも愚鈍で爽やかなものだった。
──いいね。 こん中に俺を知ってる奴なんざ一人も居やしねえんだ、きっと。
「うっかり死んじまっても、恨みっこなしにしようや」
「了解した」
なけなしの公平を謳い、後腐れのないよう取り計らう。
双方とも表情は生き生きとしており、不純なものが混じる余地は微々として見受けられなかった。
「………………」
一見して投げやりな態度を常とする虎石だが、その心根にはきちんとした軸がある。
一方のリースは、相変わらず明朗快活を絵に描いたような性格で、先頃からマイクパフォーマンスを駆使し、盛んに客を沸かせている。
しかし、その奥底には何かが潜(ひそ)んでいるような気がしてならない。
これからさらに両者と深く付き合ってゆく中で、都度ごとに露見する事実もあるだろう。
もしかしたら、知りたくない事も。 知らなければよかった事も。
しかし、本当の懸念はその先にある。
両名とも、いまだに天の船賃を得られてはいない。
彼らと結びつきを強固にした暁に、果たして自分は何を思うのだろうか。
彼らを残し、この地を去ることが出来るのだろうか。
「ち……ッ」
どうにも深刻なほうへ舵を取りがちな思考を、そこで無理矢理に黙らせる。
いつか、妹が言った。
『葛姉は、きっと私よりも真面目(まじめ)だよ?』
あれは恐らく、当方の悪癖を指摘する言い分だったのだろう。
彼女なりの気遣いとも呼べるか。
胡乱な世の中を渡り歩いていれば、それだけ考えることも多くなる。
こうした荒っぽいイベントの最中(さなか)とあれば尚更か。
ともかく、先のことに悩んでも仕様がない。
今できる事を、心のままに。 いつでもそうして来たじゃないか。
気持ちを切り替えるべく、部屋の隅に設けられた自販機へ向かおうとした矢先のことだった。
近場を通りかかった人物と、ものの見事にぶつかってしまった。
互いの不注意が原因であるが、これは具合いが悪い。
「ごめんなさい! 平気です?」
「あ、いえ! こちらこそ」
慌てて手を差し伸べたところ、先方も恐縮した様子でこれに倣った。
体格や声質からして女性のようだが、その出で立ちが少しばかり面妖で、頭からすっぽりとマントを被っており、容貌を知ることはできない。
「そちらさん……」
「え? はい?」
「ユキさぁ! 準備のほうよろしすかー!?」
「あ、はい!」
間が悪く、そこにスタッフからお呼びが掛かった。
応じた女性は、いま一度深々と頭を下げた後、忙しそうな足取りで退室してしまった。
「見たかオラァ!!!」
「お?」
それと入れ替わりに、虎石が抜群の威勢で戻ってきた。
顔面の其処此処(そこここ)を傷めるものの、態度を見ると勝負の行方は明らかだった。
しかし、
「勝った…んだよね? よかったぁ」
「あ……? あぁ!? てめぇさては!」
「ん、ごめんなさい……」
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