ちょうどウェイドンの村にてカドリの祭壇が完成した頃、聖女フォリアはベルナレク王国とブレイダー帝国との国境に至っていた。
「最悪、ベルナレクの軍勢が展開していれば、武力突破をするよりほかありませんが」
顎に手を当ててレックス皇子が告げる。
いつもどおり、馬車の中、向かい側に腰掛けているのだった。
「戦いになるということですか?」
それも自分のせいで、ということだ。聖女フォリアは下を向いてしまう。
「正直、我が国のほうが国力は強大です。表立って、戦を挑むことは出来ないだろうと思うのですが」
安心させるような笑顔を見せて、レックス皇子が告げる。
王都から国境に至るまでの道中、ずっと一貫して優しかった。戸惑いしかなかった自分を気遣っての態度だと自然と伝わってくる。
(私のせいで両国に犠牲が出るのは)
本当はかねてからの話のとおり、自分がヘリック王子と結ばれるのが穏当だったのかもしれない。
魔窟を封じていた結界の管理も魔物の駆除も出来た上、2国間の騒ぎになったらなかった。
(でも)
しかし、拒んだのは自分ではない。相手もあることであり、自分だけではどうにもならなかったのである。ヘリック王子とは自身も魔物討伐で国中を飛び回っていたからか、心を通じ合わせる時間も作れなかった。
(皆は、私のことを気遣って、心配して、送り出したくれた。レックス殿下も私が酷使されることになるって、それで身元を引き受けてくれたわけだけど)
それが皇子の婚約者というのも出来すぎている気がする。
(それに、私は聖女ということで、教会に育ててもらったものだから、酷使されるのは甘んじて、受けなくてはいけないと思うのだけど)
聖女としての責任というものもあった。だが、責任を問うべき教会の教主自らに送り出されては、文句も言えない。
「おそらくは素通りでしょう。そして、我が国に入りさえすれば、もう安心ですよ」
優しくレックス皇子が告げる。
まだ会って間もない相手だ。ほんの数日である。どこまで気を許してもいいのか分からないと自戒しつつも、オオツメコウモリに襲われた時の配慮などは嘘偽りあるものとは思えなかった。
「いいんでしょうか。そろそろ、北の魔窟近くにかけた封印が薄くなる頃で」
後に魔物たちを残していくことになるのではないか。
聖女フォリアは口ごもる。いつまでもウジウジとして、と思われそうなことも気にはなってしまうのだが。
レックス皇子にとっては、嫌なものだろうと思う。
「お気持ちは分かりますが、あのまま、王都にいたら、どうなっていたか分かりませんよ。それに我が国のほうが国力は上だ、と言ってもベルナレクも弱国だ」
根気よく、レックス皇子が怒気の欠片も見せずに言い聞かせてくる。
自分がいなくとも、どうにか出来る国だ、というのが一貫したレックス皇子の言い分であった。
「あの、カドリという人のことですか?」
聖女フォリアは思い出して尋ねる。
妖しい魅力と美しさを併せ持つ男性だった。どことなく近寄っては危ない相手のような気がして、平身低頭していたが、逆に今でも怖いぐらいである。
「ええ、まだ向き合ったときの恐ろしさが忘れられない。こんなことは、今まで無かったのですが」
苦笑いしてレックス皇子が頷く。
「よく、あれだけ言い返せたものだ、と今でも自分を褒めています」
そして冗談めかして加えるのだった。
(確かにあの人に酷使されるのは怖いかも)
毅然としたレックスがいてくれなかったら、言いなりだったかもしれない。密かにフォリアは感謝して続けている。
更にしばらく、ポツポツと言葉を交わしている内に、馬車が国境に広がるセグロ森林を望める位置についた。だが、既に日が暮れてしまう。
夜営をすることとなる。レックス含めて兵士たちが天幕を張って眠っていた。
聖女フォリアは馬車の中で寝袋にくるまって眠る。屋根があるだけ良かった。魔物討伐ではもっと過酷な環境で眠ったこともあるので、まるで苦にならない。
「ぐわぁっ!」
不意に馬車の外で悲鳴が上がる。
続いてガチャガチャと武器や防具の音が聞こえた。
「敵襲っ!敵襲っ!」
警告の声で聖女フォリアは一気に覚醒した。
杖を手にとって馬車を出る。
暗闇の中、松明が煌々と焚かれていた。悪い視界の中、剣を手に身構えている兵士たちが見える。
(敵は?敵はどこ?)
聖女フォリアはせわしなく辺りをキョロキョロと見回す。
ふと視界の隅、闇が盛り上がって膨らんだように見えた。
「フォリア殿っ!」
レックス皇子が叫び、駆け寄ろうとする。
とっさに杖を闇へと向けた。
「閃光っ!」
杖先から閃光が生じた。ほどほどにしておかないと、味方まで動けなくなってしまう。
「グオオオッ」
漆黒の大きな犬型魔獣が苦悶の声を上げた。前脚で顔をかきむしるような仕草をしている。
怯んでいる隙に、レックス皇子が横から首筋を斬りつけて倒す。
「ありがとうございます」
聖女フォリアはレックス皇子に告げる。
見るに体長半ペイク(約2メートル)ほどの魔獣が倒れていた。
「シークスジャッカルです。この辺りにはいない魔獣の筈ですが」
博識なレックス皇子が言う。
聖女フォリアも討伐したことがあるので頷いてみせた。だが、確かにここよりもかなり南方にしかいないはずの魔獣だ。
「夜目が利いて、鼻も利く。暗闇で追われたら厄介な魔獣ですね」
聖女フォリアも知識を披露した。
今度はレックス皇子が頷く番だ。
既に各所で兵士とシークスジャッカルとが乱戦になっている。
「どうしますか?」
レックスが剣を握って言う。自分を護りたいようだが。
(私も護られるばかりじゃない)
まして、おそらくは自分に降り掛かった火の粉である。
「目眩ましが、とても有効な相手です。動きを封じますからっ、皆さんで合わせてくださいっ!」
聖女フォリアはレックス皇子に微笑んで見せてから叫ぶ。
杖を掲げて魔力を篭める。
「満月よ、来たれっ!」
光の塊が杖より生じて、煌々と輝きを放つ。
ところどころに死角の生じる松明などとはわけが違う。
兵士たちが顔を背けてうずくまる。目眩ましが来ると分かっていたから、月を見た瞬間に対応してくれたのだ。
「クゴオオオオッ」
野太い悲鳴が各所で響く。
月光の灯火は自在に操ることが出来る。
「今ですっ!」
明るさを落としてから聖女フォリアは叫ぶ。
合計7匹のシークスジャッカルが目を潰されて、のたうち回っていた。
人間でもまともに閃光で受ければ、危ないほどの光量だ。
一匹ずつ確実にレックス皇子たちがトドメを刺していく。
後は一方的な駆除だ。闘いは決まった。
聖女フォリアはフッと肩の力を抜く。
「素晴らしい手腕だ、フォリア殿は。また惚れ直してしまいそうだ」
すべてを倒し終えると、また、レックス皇子が臆面もなくレックス皇子が言う。
「え、いぇ、そんなっ」
唐突に愛の言葉をぶつけられて、聖女フォリアは戸惑う。頬が熱い。
冷やかすような声が各所から聞こえてきた。
「し、失礼」
レックス皇子が咳払いした。自分で言っておいて、さすがに照れくさくなったらしい。
「だが、それにしても。やはり、ただでは進ませてくれませんな。最初の攻撃で数人やられ、負傷者も出ております」
レックスが言い、首を横に振った。
「しかし、一国から、私は聖女を奪おうとしているようなものだ。これぐらいで済んでいる。中途半端な攻撃なのは、何か違うことに敵が、取り組まざるを得なくなっているからでしょう」
レックス皇子に言われて、『何か違うこと』というのが、聖女フォリアには1つしかないのであった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!