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Side 野々宮果歩
「はぁ、」
ソレを受け入れた刹那、ゾクゾクと背筋を這いあがるような快感が走る。
自分の中が満たされていく、久しぶりの感覚は、夫からは得られない物だった。
濡れた舌先で唇を舐め、髪をかきあげた。
自分の下に組敷いた、|この男《健治》は、わたしのモノだと思い知る。
離れていた間、どれだけイラついたことか。
わたしより、|あのつまらない女《美緒》を選ぶなんて、ありえない。
「ねえ、気持ちいいでしょう。もっと動いてあげる」
「やめ……」
口では抵抗していても、健治の体は反応している。
健治の端正な顔が、腰を振る度に苦しそうに歪むのは、感じている証拠だ。
どんな事でもいい。
あの女より、わたしがいいと言わせたい。
腰をくねらせながら力を入れ、健治のモノを締め付けた。
「もっと?」
「……」
わたしを欲しがって欲しいのに、健治は顔を歪ませたまま、答えない。
大学の頃の健治は、今よりもっと優しかったし、なによりわたしに夢中だった。わたしのマンションで、朝まで一緒に過ごしては、そのまま大学に行く事もあった。
あの頃のように楽しく過ごしたいだけなのに、最近は何もかも思い通りにならない。
緑原総合病院の一人娘として、病院を継いでくれる医者と結婚しなかればならなかった。それは、子供の頃から父親に言われていたから、仕方のない事だと思っている。
だから、好きでもない男と父親に言われた通りに結婚した。
でも、まだ、わたしは自由でいたい。
健治と楽しく過ごしたいだけ……。
だから、それを邪魔されるのは許せない。
結婚してから、わたしの生活は何かが欠けている。それは、気の所為では無く、心の中で小さな不満となって燻り続けていた。
|父《パパ》が選んだ|夫《成明》は真面目が取り柄の融通が利かない男だ。
気の利いたお店に連れて行ってくれる事も無ければ、プレゼントをくれる事も無い。
自分が行きたければ行けばいいし、何か欲しければ自分で買えばいいというスタンスだ。
それに、結婚当初あったSEXも、あの一件以来無い。
そう、夫の成明とは、セックスレスになっている。
そのセックスレスになった一件、それは結婚後、間もなくの出来事だ。
健治と別れ、親の薦めでわたしは、しぶしぶ成明と結婚した。
もともと、結婚相手は緑原総合病院を継げるような医者である事が、親から出されていた絶対条件だったから。
不満を心の隅に抱え、始まった成明との結婚生活は、思っていたより悪いものではなかった。
父に借りのある成明は、わたしの行動にとやかく口を出したり、家事をお手伝いさん任せにしている事に文句を言ったりしない。
時折、義務のように、夜、成明の相手をするのも悪くはなかった。
テクニックに不足はあるものの、成明はベッドの中でも従順だった。
夫に干渉されず、親からのお小遣いで遊ぶお金はいくらでもある。
わたしは、気の乗らない結婚をして、結局のところ、自由気ままな生活を手に入れたのだった。
暗雲が立ち込めたのは、結婚生活が3ヶ月目を終えようとしていた頃だった。
わたしは体調に異変を感じていた。
食事をしようとすると、胃が突き上げられる。
ただの吐き気なら胃腸炎なのかもしれない。けれど、胸が張って、ブラの中が苦しい。
もしかして……。
と、不安が脳裏をよぎる。
「うっ……」
胃の奥から突き上げてくる。
洗面台へと駆け込み、胃の中が空っぽになるまで吐き続ける。
それでも、胸のムカつきは治まらず、黄色い胃液を戻した。
今まで体験した無い苦しさだ。
「あの日、疲れて寝てしまって……ピルを飲み忘れたんだ」
心当たりはあった。相手は成明だ。
結婚したのだから子供が出来ても、問題はない。
けれど、何かとうるさい父親の目からやっと離れられたのだ。
せっかく自由になれたのに、子供なんて出来たなら、何もかもが台無しになってしまう。
それに、大きくなったお腹を抱える自分の姿を想像するだけで、ゾワリと鳥肌が立つ。
「わたしが、成明の子供を産むの? 冗談じゃないわ」
体形が崩れることも、自由な時間を奪われることも、受け入れられない。
妊娠に対して、負の感情しか湧かなかった。
後継ぎ後継ぎとうるさい父親に妊娠した事を知られないように、ひっそりと診察をしているような町医者を探して、どうにかするとしか、考えられくなっていた。
夫である成明に相談しようなどと、微塵も思わなかったのだ。
午前中に手術を受ければ、夕方には帰れるという説明で、わたしは何の疑いもなく、堕胎手術を日帰りの予定で受けた。
もちろん、同意書は、成明の名前を筆跡をまねて書き入れ偽造した。
これで、誰にも知られずに元通りの生活に戻れると、この時までは信じていた。
それが、思わぬ形で成明に知られる事になったのは、術後、想像以上の出血で貧血になり、動けなくなってしまったから。
医院の診察時間が終了しても、身体が動かず帰るに帰れなくなってしまっていた。
宿泊設備のない個人医院では、体調が戻らなくても入院が出来なかった。
それに、入院するほど重症なら、大きな病院に搬送される事となる。そうなると緑原総合病院へ搬送されかねない。
もし、堕胎手術の影響で、野々宮家の一人娘が緑原総合病院に運び込まれたと父親に知れたなら、どんな怒りを買うのか想像もつかなった。
だから、搬送されるなんて、絶対に無理。
仕方なく、夫の成明に病院の看護師に連絡をしてもらうしか、難を逃れる方法が思いつかなったのだ。
病院の処置室に置かれたベッドの上で、ウトウトとまどろんで居るとバタンとドアが開いた。
わたしは、横になったまま、成明が来たのだと認識した。
「果歩……。どうして」と成明はつぶやいたが、その先の言葉は言わずに、わたしを横抱きに抱きかかえ、車の後部座席へ運んでくれた。
ここに来て初めて、成明との子供を堕してしまったという、後ろめたさを感じた。
わたしは、どうしていいのか分からずに、モゾリと身じろぎをして、やり過ごそうと思考が動く。
目の前には、心配そうに眉尻を下げた成明に、わたしは理不尽な苛立ちを覚えた。
「家に帰るよ。貧血が辛いようなら緑原総合病院に行って、栄養剤の点滴でも受けるか、どうする?」
どこまでも優しい成明の心の底が見えない。
この人も父に言われて、わたしとの結婚を選択した人。だから、表面上はわたしに優しくしているだけだと知っている。
そう、わたしは怒られて当然のことをしたのだ。だから、成明には感情をぶつけて欲しかった。
所詮、お互いを好きでもない。病院を継ぐためにあてがわれた二人。
なんて、つまらない人間関係のだろう。
「はーっ、ナイショで処分するつもりだったのに、あなたにバレちゃったわね。しょうがないから家に帰るわ。お父様に知れたら一大事だもの。病院になんて絶対に行かない」
八つ当たり気味に投げつけた言葉に、成明の表情がサッと消える。
「あっ」と思った。
わたしは、間違えたのだ。
成明は、怒りを堪えるように震える手のひらをグッと握り込み、わたしを見据えた。
「どうして、人工中絶なんてしたんだ。あの時、ピルを飲んでいると言っていたじゃないか。そうじゃなければ、緊急避妊用ピルを使うとか、体を傷つけない方法だってあった。それに結婚しているんだ。子供が出来たら産むという選択があったんじゃないのか⁉」
成明から優しいだけの仮面が剥がれる。成明の本音が知りたいと思っていたが、いざとなると、わたしはどうしていいのか戸惑い、焦りを感じていた。けれど、余計なプライドがそれを認められずにいる。子供が要らない理由を並べ立てた。
「今更そんな事どうでもいいでしょう。それに、私は、まだ子供なんて欲しくないの。体形だってくずれるし、自由だってなくなるし、子供中心の生活なんて全然嬉しくないのよ。なんで、結婚したから子供を産まないといけないの? だいたい、あなただって、自分の子供かどうかわからない子供を押し付けられたら嫌でしょう?」
いくらなんでも言い過ぎていると自分でも思った。でも、言った言葉は取り消せない。
しかし、成明には子供を欲する理由があったのだ。
「キミが処分してしまった子供は、俺の子供の可能性だってあったんだ。病床の父にだって、孫の顔を見せられるチャンスでもあったのに……。自分の子供が殺されるような事は……もう、ごめんだ。子供が要らないのであれば、セックスをする必要もない。俺は、2度とキミを抱かない。外で好きにすればいい。離婚したいのならキミからお義父さんに言ってくれ、跡継ぎとして、孫の顔も見せられずに至らぬ婿でした。すみません。と伝えて欲しい」
そう、成明の父親は、現在緩和ケアのために緑原総合病院に入院していて、余命幾ばくも無い状態だった。
わたしは、深く考えることもしないで、ただプライドのためだけに、成明の心に深い傷を負わせてしまったのだ。でも、自分を擁護する言葉ばかりが、わたしの口からこぼれて行く。
「なんで、そんなにムキになっているのかしら? 私たち体の相性は良かったでしょう? それにあなたは、お父様のお気に入りだもの。離婚理由を聞かれても困るし離婚する気もないわ」
無駄なプライドを振り回し、自分を守った。
その結果、成明とは寝室を別にし、ただの同居人として暮らし始める。
それから4年半の日が経ち、わたしたち夫婦は、離婚もできずにいた。
成明は、2度とわたしを求めて来ない。
たまにヒステリックわめき散らしても、成明は冷たい瞳で心療内科への受診を勧めるだけだった。
結婚なんて、親に言われて仕方なくしただけ……。
わたしは、父親の目から逃れ、自由になりたかった。
上手く行かない日常は、景色が色褪せて見え、遠い過去を呼び覚ます。
大学時代は毎日がキラキラと輝き、何をするのも楽しかった。
あの頃に戻れたら……。
そう思った時、当時恋人だった健治に、たまらなく会いたくなった。
健治に会いたい。
そう思った時、自然とスマホのボタンを押してした。
健治にアポイントメントを取ったのは、結婚前が最後だったけれど、メモリは消せていなかった。
コール音が鳴る度に、わたしの胸は初恋の少女のように高鳴っている。
「はい、菅生の携帯です」
4年ぶりの通話。電話番号が変わっていなくて良かったと、心から安堵した。そして、久しぶりに聞く健治の声に、わたしの心臓はドキンと大きく跳ねる。
そんな自分を知られないように大人の女性として振舞った。
「お久しぶり、健治。わたしの事覚えてる?」
「ああ、野々宮だろ。久しぶりだな」
やはり、健治は、わたしの事を忘れられないでいたのだ。
そう思うと自然と口角が上がり、わたしは気分が高揚した。
「実は、折り入って相談したいことがあるの。力になってくれないかしら……」
言葉巧みに食事に誘い、わたしは健治と会う手はずを整えた。
これでまた、恋人同士に戻れたら……わたしの心は満たされるはずだ。
何もかも思惑通りに上手く行く。
そう思ったわたしの予想に反して、健治の左手薬指には結婚指輪が嵌っていたのだ。
それも、健治の結婚相手はわたしも知っている女、浅木美緒。
なぜ、あの女が健治を手に入れたのだろうか?
わたしが渇望したものを、あのつまらない女が、いとも容易く手に入れるなんて……どうしても許せなかった。
そして、健治を誘惑し、大人の関係になった時は、「やっぱり、わたしがよかったのに、仕方なくあの女を変わりにしたんだ」と溜飲をさげたものだ。
それなのに、「これからは美緒との生活を大切にしたい」だなんて……。
健治がわたしより、あの女を選ぶなんて、どうしても納得ができなかった。
結婚なんて仕方なくするだけの、ただの制度だ。
健治だって、きっと、仕方なくあの女を選んだにちがいない。
だって、わたしの方が良いに決まっている。
わたしなら、健治に有利な取引をしてあげる事が出来るし、それによって健治の出世だって早くなるだろう。
あの女より、わたしの方が優れているのだから。
今、健治はわたしに組み敷かれている。
そして、わたしは、満たされていた。
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