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唐突に何も起こらないと思っていた優しい日々に、まるでヒビが入るように優しく砕け落ちてしまった気がする。この現象をなんて呼べばいいかなんて全く分からなかった。夕陽が美しく部屋を茜色にして聞こえる声は小さな子供の明るい声、縁側に座って木々が心地よく揺れる中菊の中で時は止まっていた。
こんな友情の壊れ方誰も望まないだろう。繊細でまるでガラスに触れるかのように優しく扱ってきた大きなものが今一人の人外によって壊された。どことなくそれは心地よい気がしてそれでいて何とも言えない喪失感に菊の時間は狂ってしまった。人では無いせいでとっくに時間感覚は狂ってしまったがこんな風に時間が止まったように感じるのは初めてであった。
自分にはまだ初めてがあるのだと感心しているうちに菊は目の前にいる男を虚ろな目で見つめていた。
よく見ればいつも見ている服とは違っている気がする。高そうな服で恐らく勝負服だろう。勝負服というのはどこの国の文化にもあるのだろうかと疑問に思わせてくれる。
そこから菊の時間を動かしてくれたのは正に目の前にいるラテンの男だった。縁側に置いていた手の上から手が重ねられて熱を感じる。その熱により頭が少しづつ働いてきて止まったように感じていた世界を鮮明に思い出した。夕暮れにとっくに帰った子供たちと風が肌寒く、それでいて心地よく吹いている。
「今、なんと申されましたか?」
思わず震えた唇に少しだけ驚いて、焦っている感情に蓋をして取り繕うようにして聞いてみる。ただしその返答は先程聞いた言葉と一文一句違わず、さらに聞くに混乱を招いた。
本気だと伝わるその眼差しが、熱が菊の心臓までをも動かし、乾いた眼を潤す様に瞬きをしてみせた。
本気なのだと思えば思うほど罪悪感が湧き上がり、吐き気を催した。ここまで築き上げたものを崩されたことへの気持ちか、その行動の心理が分からずにやはり瞬きしか出来なかった。
そのラテンの男は横を向き目を伏せて小さく口をふるわせた。
感じ取れもしなければ聞こえもしない。ただその寂しそうな行動に、菊は慰めなければという衝動に駆られる。全て分かっての行動なのかもしれない。それでも菊は優しく手を出しまるで聖母のようにそのラテンの男の明るく美しい茶髪に触れ頭を撫でた。
「ああ、だから諦められないんだ」
ラテンの男はそう言った。
なんの事だか分からなくて手をこちらに戻そうとした。その時にラテンの男はその手を掴んでは引っ張り愛しそうに見つめた。
菊はただただそんな彼の行動に心臓の音を大きくさせた。その優しい触れ方に彼の想いが伝わってくる。その手はまるで子供の体温のように温かい、そんな温度が菊の優しく少し冷たい温度と交わっていく。
そんな手の甲にラテンの男はキスをした。それから一言、彼は菊に対して言うのであった。
「思わせぶりだよ」
そんなつもりはなかった。そうとしか菊には言えなかった。相手からは言い訳にしか過ぎないその言葉を口に出すのはあまりにも恐ろしくてその小さく開いた口を閉ざした。
友人を好きになるなどということ程苦しいことはないだろうに、勇気をだしてその言葉を放ったのだと思えば情が湧く。ここで菊がこの男をフッてしまえば友人としての関係に修復ができない傷がついてしまう。いや、もう既にヒビが入って割れてしまっているのだ。それを更に粉々にすることになる。菊はそんな酷な事をする気になれず言葉に迷った。
勝手に思わせぶりだと思っているだけで、こちらの文化では普通であって、試行錯誤をして慰めたり扱っていただけなのに。そんな嫌な感情が菊の脳内を侵食していき更に吐き気を催した。ここ吐き気は紛れもなく菊自身への感情で、菊は自分の嫌な思考に呆れまじりに気持ち悪さを抱いた。
握られている手をそのままに何も言えないでいるとラテンの男は寂しそうに口を開く。
「菊ってやっぱりこういうのも曖昧にするの?」
「え」
「菊のことよく知ってるから分かるよ、また『ゼンショします』とか曖昧な返事をするんでしょ? 俺、そんなの嫌だよ」
手を引っ張られ菊はラテンの男の胸元に飛び込む形となった。すかさず抱きしめられて心臓が口から飛び出しそうになった。
確かに菊は日本人らしくと曖昧な返事ばかりを使って、大抵のことを曖昧にしてきた。きっとこの想いに答えるのには相応しくないものだろう。菊が彼と初めて出会った時も異文化にあてられ慌てて『責任をとってください!』なんて言ってしまった始末だ。
「貴方だって思わせぶりなくせに」
菊の精一杯で出た言葉はこれだけで、そしてハグをされて口が相手の服に埋もれている状態のせいで声は籠って聞こえた。
その後にラテンの男の胸から籠って聞こえたのは嗚咽だった。
菊はその涙も声も抑えたいと願った。彼のいい服を汚してしまうから、それがとても嫌なのに手で抑えることもできないまま、彼にまるで押さえつけられるかのように抱かえられている。
感情が行ったり来たりしてでた感情に任せた涙であるというのに、それが嬉しさか悲しさかさえ分からないのがこんなにも悔しいと思ったことは無いだろう。
どんどん暗くなって行く空には何も残らない。きっと月明かりがこの二人を照らすだろう。それがもしもどうにもならないくらい寂しい夜ならば菊は一人の友人をなくした証だ。
「菊、顔を上げて」
頭をこんなに働かせて、相手のことをこんなにも考えていたのに、呑気に優しく声をかけるのは正に菊にハグをしてきた相手。
「嫌です」
菊はその言葉を聞くなりすぐに答えた。見ないでくれ、こんな自分をと懇願した。はしたなく、齢に合わない泣いた顔をこの男に見られたくないと心でずっと力強く思った。
そんな菊を慰めるように今度はラテンの男がその黒く美しい髪の生えた頭に手を当て優しく撫でた。
相変わらず嗚咽は聞こえてきて、菊は自分を情けなく思った。
「菊の泣いてるとこなんて初めて見た」
「言わないでください、余計に情けなくなる」
立場がまるで逆転しており、男はずっと顔を上げることを望む。菊はシワがつくだなんて考えずに男の身につけていた高そうな服にしがみつき手で力強く掴んだ。
菊は頭を撫でられ、耳に触れられ、手櫛で髪をとかれた。その際にずっと口説かれ続けた菊は涙が止まらないのに心が絆される気がして、耳を胸に押し付ければ聞こえる男の心臓の音が心地よく、赤子の感覚とはこのような感じなのだろうかと頭の隅に置いていた。
「菊は俺の事嫌いなの?」
涙が少しづつ落ち着いた菊に男は問う。そんな質問に菊は首を振った。嫌いなんかではないと。
「じゃあお願い顔を上げて」
そんな優しく甘くお願いされてしまえば簡単に受け入れてしまいそうだ。逃げ道などとうになく、顔を上げてしまおうかとも菊は考えた。友情を壊したくない、故にどう答えるべきか分からなかった。菊は疲れていた。正常な判断なのかさえ分からなくなり、勢いよく顔を上げた。
その瞬間に菊がなにかを考える間もなく唇に柔らかい感触があった。
「どう? 酸っぱい?」
きっと彼はキスはレモンの味だという言葉を信じているのだろうか、菊は可愛らしいその行動に口付けをされたことを忘れかけた。
目の前にいる男はにやりと笑って楽しそうで、初めに聞いた言葉はなんら間違いでは無かったのを思い知らされるのと同時に友情と名付けられたガラスの破片が更に粉々になったことを感じ、過ちを犯したと菊は青くなった。
「ほら、またそんな顔をする、菊は思わせぶりだよ」
男が寂しそうにそういうものだから、菊は自分の顔を知りたくなった。
「フェリシアーノくんも、いつもそうでしたよ」
仕返しと言わんばかりに菊はフェリシアーノにそう語った。国の化身なんていつまで生きているか分からない。そしてそんな仲恋人同士になんてなってしまえば互いの上司のせいで対立した際どうなるだろうか。きっと自らの刃で互いを傷つけあうことになるだろう。そんなことはしたくない。それは二人の想いだった。
菊は怖かったのだ。そうなってしまうのが、傷をつけ大切にしたいものをなにもかもを否定することになるのが。
ただし、フェリシアーノは勇気をだして言葉にした。気持ちに気づきたくない菊と違って、その想いを受け入れ愛しみ、それが壊れようとしても決して恐れず打ち明けた。
空は深く深く暗くなりつつ、そらに一番星が輝き、この空が広く続いているの考えれば本当に世界は広い。色々な国の化身がいて国民たちを守り、役目を果たせば消えてしまう者もいる。それも誰かを好きになってしまえばいなくなるのが怖いと思うだろう。油断してしまい消えた時、自分だけ取り残されたままただずっと生き続けなければいけないその事実に苦しさも吐き気も何もかもを覚えるはずだ。
菊はそんなことが何回もあった。自分の子供が死ぬなんて慣れていなかった時死ねば悲しみ、いつしかそういうものだと割り切り、薄情なものになりつつあった。
けれどフェリシアーノを追ってしまう目はそういうものにしてはいけないと菊はぐるぐると思考を巡らせては今日まで生きてきた。大切に友情に留めておこうとしていた。
フェリシアーノがそれを壊してしまって、考えて来たことの解決法だとかを考えれば頭がパンクして涙が出た。
「本当は貴方がずっと、好きでした」
菊の嗚咽が止み、ただ赤くなった目元を擦りはしないでフェリシアーノの瞳を真っ直ぐに見て打ち明ける。
「好きなのに、好きでいてはいけない気がして私は私自身に嘘をつきました」
そうでもしないと、国としてちゃんと生きていける自信がなかったから。
「あなたに何度お慕いしておりますと伝えられたらと考えて蓋をして」
「うん」
フェリシアーノは菊を抱きしめただその感情を受け取ってくれる。顔はとても嬉しそうで恋の実りを実感して噛み締めている様子だった。
「ずっと、苦しかった」
「好きでいていいんだよ、俺も菊のこと大好きだから」
「はい」
涙が菊の頬をつたった。その涙さえも美しく輝いてさえ見えた。その琥珀が相手を魅了するだなんて露知らず、ただポロポロとまるで宝石が落ちるかのように菊の頬を涙がつたり続けた。
菊は自分の身勝手さに吐き気を覚えてからはフェリシアーノのことをどうにか思わぬように過ごした。故にその寂しさが溢れ孤独が泣きわめき子供のように癇癪を起こした。
友達であろう。その思考が菊を苦しめ嗚咽をその美しい涙を生み出した。
フェリシアーノはこの間ただ慰めたがるように抱きしめ続け愛を囁き背中を優しく摩った。
優しさと優しさのぶつかり合いがただ激しく、菊のネガティブさにすれ違いが起きた。その事実を優しく受け入れ包み込むようにフェリシアーノに抱かれた菊は抱き変えてしみせた。求めていた温度と求めていた香り、口にしたかった言葉とされたかった言葉。やってしまえば壊れてしまうという罪悪感とその制裁が菊の頭で混沌という名の泥沼を広げた。
「俺たちさ、恋人になれるよね」
そんなフェリシアーノの言葉は頼りなくふらふらと飛んできて菊の耳に伝わった。不安そうなそんな言葉に対して菊は気持ちは分からなくもないなとギュッと強くフェリシアーノを抱いた。
まるでそれが返事だというように菊はフェリシアーノの胸に顔を埋めて小声で返事をして見せた。
きっとこの恋は周りにいくら反対されようとも引き剥がされても変わらずに愛しさを胸に潜め、愛に溢れた心がまた二人の琥珀のような瞳から美しい涙を流させる。
そんな風に言ってしまえばとても美しく見える恋で、言い方を変えれば不自由な恋だ。ロミオとジュリエットのようと言えばまたもやそれもロマンチックなことで。
自由に決められないのが国の化身というものでそれを受け入れなければならなかった。
空はとっくに暗く月明かりが二人を照らし、星が文明に奪われることなく眩く輝きを放っている。
「ねえ、フェリシアーノくん」
二人で抱き合ったまま菊はそう言った。
それに答え優しく疑問符をつけフェリシアーノも言葉を発した。
「なあに」
菊は右手の人差し指を夜空にあげて餅をつく兎を指さした。
「月が綺麗ですね」
そんな言葉にフェリシアーノは胸が高鳴り、月を見ることなく菊を強く抱きしめて嬉しそうに声を出した。
「今までも、そしてきっとこれからもずっと綺麗だよ」
震える声でそう言われ、菊はフェリシアーノに対し『彼は日本での口説き方も分かるのだな』と心底思った。
フェリシアーノはいつの日か日本の言葉が好きだと言っていた。察する文化があるからこそ遠回しに愛を伝えたりすることが出来るということに心底瞳を輝かせ興味を持った。そして時折想い人がいるかのように儚い顔をしたのだ。
それを見る度に菊は胸をえぐられるような感覚に陥った。ああ、この子は想い人がいるのだな、とその純粋な感情はどんな言葉でも表せやしなくて、それに儚さや悲しみを覚えて改めて菊はフェリシアーノの事が好きなのだと知った。その恋心をずっと友人に対しての『好き』でいさせたかった。
フェリシアーノに好きでもいてもいいと言われた菊は心の底から気持ちが軽くなり救われた気がした。思いを寄せた張本人からそう言われ、気持ち悪がられないか関係が壊れてしまわないかという不安が解消された為だった。
肌寒い風が二人に当たっていても、抱き合った二人が凍えることは無かった。
そっと二人の唇が触れた。
「Ti Amo」
「お慕いしております」
その言葉を互いに互いの顔を見つめ合い言えたことがどれだけ幸福だったことか、他の者達には知る由もない。
二人だけの世界が、二人だけの恋がただ大きく広がり胸が高鳴り全てが輝かしい。
ただ美しい夜空の下、月明かりに照らされた二つの国は誰がなんと言おうと幸せであった。
終