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最近、阿部と目黒は時間が合えば一緒に夕飯を食べるようになっていた。
阿部の部屋だったり、目黒の部屋だったり。
どちらかが作る日もあれば、二人で並んで作る日もある。
「今日どうする?」
そんな連絡を取り合うことも、いつの間にか普通になっていた。
目黒は最近、カフェにもよく来るようになった。
仕事が早く終わった日、ランチに間に合えば一人でやってくる。
「いらっしゃい」
阿部が声をかけると、目黒はいつも少し嬉しそうに笑った。
「あべちゃん、お疲れ」
「今日は早いね」
「うん。昼食べに来た」
「今日はチキン南蛮だよ」
「いいじゃん」
窓際に座る目黒へ、阿部が水を持っていく。
ランチは一種類しかないから、注文を聞く必要もほとんどない。
「コーヒーつける?」
「お願い」
「ホット?」
「うん」
「分かった」
そんなやり取りにも、もう慣れた。
仕事中、ふと客席を見ると目黒がいる。
それだけで、少し嬉しかった。
夜、バーへ行けば、そこでも会うことが増えた。
隣に座る日もあれば、向かいに座る日もある。
特別、約束をしているわけではない。
それなのに気づけば同じ場所にいる。
阿部は、そんな時間が好きだった。
だから少しずつ。
勘違いしていたのかもしれない。
その日、カフェはいつもより混んでいた。
阿部が空いた皿を下げていると、入口のベルが鳴る。
カラン。
目黒だった。
「あ」
姿を見た瞬間、自然に顔が緩む。
「いらっしゃい」
「お疲れ」
目黒も笑う。
今日は窓際の席が埋まっていた。
阿部が空いている席を探そうとした時、入口の近くにいた女の客が鞄を落とした。
「あ」
中身が床に散らばる。
阿部が向かおうとするより早く、目黒がしゃがんだ。
「大丈夫?」
「あ、すみません」
「これも?」
「ありがとうございます」
落ちた財布やポーチ、鍵を一つずつ拾って渡す。
最後には、椅子の下へ転がったものまでわざわざ手を伸ばして取っていた。
「ありがとうございます。」
「全然」
目黒はいつものように笑う。
阿部が知っている優しい笑い方。
女の人も少し嬉しそうに笑った。
「優しいんですね」
「いやいや」
目黒は、何でもないことのように返す。
阿部はその様子を見ながら、胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。
それだけではなかった。
目黒は、隣の席の年配の客が荷物を上へ載せようとしていれば自然に手伝う。
店を出ようとした子ども連れの客には扉を押さえ、道を聞かれれば丁寧に教える。
誰にでも同じように優しい。
阿部は少し離れたところから、それを見ていた。
「……そっか」
小さく声が出る。
めめは、俺に優しいんじゃない。
誰にでも。
知らない女の人にも。
そのことに気づいた瞬間、なぜか少しだけ胸が重くなった。
夜。
阿部はバーのカウンターに座っていた。
いつもなら目黒の隣に座るのに、今日は少し離れた席を選んだ。
目黒は康二と何か話していて、時々笑っている。
阿部は黙ったままグラスを見る。
「……」
なんとなく面白くない。
その理由は、分かっているような、まだ分かっていないような気がした。
「はい」
突然、目の前に新しいグラスが置かれる。
阿部が顔を上げる。
「……ふっか?」
深澤だった。
珍しくカウンターの中にいる。
「作った」
「ふっかが?」
「何その不安そうな顔」
「だってふっかでしょ」
「失礼だな」
深澤が笑う。
「飲んでみ」
「照に作ってもらった方が安全じゃない?」
「大丈夫大丈夫」
阿部は少し警戒しながら、一口飲む。
「あ」
「どう?」
「おいしい」
「でしょ?」
深澤が得意そうに笑った。
「ちゃんと作れるじゃん」
「たまにはね」
「たまにはなんだ」
阿部はもう一口飲む。
少し甘くて、飲みやすい。
「で」
深澤がカウンターへ肘をつく。
「何?」
「その顔」
「どの顔」
「浮かない顔」
「してない」
「してる」
即答されて、阿部は目を逸らす。
深澤はその視線の先を追って、少し離れたところにいる目黒を見る。
「……ああ」
「何」
「なるほどね」
「何が」
深澤がにやっと笑う。
「こんな顔してる理由」
阿部は少し眉を寄せた。
「だから何」
「もう気づいてるでしょ」
「……何に」
「自分で」
深澤は目黒の方を見ながら言う。
「あべちゃんが何で機嫌悪いのか」
阿部は黙ってグラスを見る。
「別に」
「めめが誰にでも優しいの見て」
「……」
「面白くなかったんでしょ?」
阿部の手が止まる。
図星だった。
でも、認めたくない。
「そんなことない」
「へえ」
「ほんとに」
「じゃあ何で離れて座ってんの?」
「たまたま」
「いつも隣なのに?」
「……」
深澤が笑う。
「分かりやす」
「うるさい」
阿部はまたグラスを飲む。
さっきより少し多めに。
「でもさ」
深澤が言う。
「めめって、昔からそういう人なんじゃない?」
「知らない」
「誰にでも優しい」
「……うん」
「それ見て嫌だった?」
阿部は少し黙る。
「……嫌っていうか」
「うん」
「俺だけだと思ってたわけじゃないけど」
言いながら、自分でも少し苦しくなる。
「でも、俺にしてくれることって」
夕飯を作ること。
一緒に食べること。
帰りを待ってくれること。
話を聞いてくれること。
写真を撮ること。
そばにいてくれること。
「ちょっとくらい」
阿部はグラスを見たまま続ける。
「俺だからなのかなって」
思っていた。
深澤はしばらく何も言わなかった。
それから、小さく笑う。
「それ、もう答え出てるじゃん」
「……何が」
「他の女の人に優しくしてるめめ見て嫌だったんでしょ?」
「……」
「それ、何で?」
「分かんない」
「分かってるでしょ」
阿部はまた一口飲む。
甘くて、飲みやすい。
身体が少しずつ熱くなってきた。
「俺」
小さく言う。
「めめのこと」
そこまで言って、止まる。
深澤は急かさない。
ただ、待っている。
「……好きなのかな」
やっと口から出た。
深澤がにやっと笑う。
「やっと言った」
「言わせたのふっかでしょ」
「いやいや。俺はちょっと背中押しただけ」
「ニヤニヤしないで」
「だって」
深澤は楽しそうに笑う。
「あべちゃん、分かりやすすぎる」
「……そんな?」
「そんな」
阿部は少しだけ顔を伏せる。
熱い。
酒のせいなのか。
恥ずかしいのか。
もうよく分からない。
でも、言葉にした瞬間、今までの全部がつながってしまった。
帰ってくる時間を気にすること。
隣にいると安心すること。
目黒に褒められると嬉しいこと。
二人で写真を撮りたいと思ったこと。
目黒のことをもっと知りたいと思ったこと。
そして、他の女の人に優しくしているのを見て面白くなかったこと。
「……最悪」
阿部が小さく言う。
「何が?」
「気づいちゃった」
「いいじゃん」
「よくない」
「なんで」
「めめがどう思ってるか分かんないし」
「それはまあ」
深澤は少し考える。
「知らないけど」
「知らないんだ」
「でも」
深澤はまた目黒を見る。
「少なくとも、あべちゃんに対しては結構分かりやすいと思うけどね」
「何が?」
「それは自分で気づいて」
「何それ」
「全部言ったらつまんないじゃん」
「……ふっかまでめめみたいなこと言う」
深澤が笑う。
阿部も少しだけ笑った。
話しているうちに、身体がどんどん熱くなってきた。
「……あれ」
阿部が頬を触る。
「暑い」
「店暑い?」
深澤が聞く。
「違う」
「酔った?」
「そんな飲んでない」
「そう?」
阿部はグラスを見る。
いつの間にか半分以上なくなっていた。
「これ」
「うん」
「結構強い?」
深澤が一瞬、目を逸らす。
「……まあ」
「ふっか」
「飲みやすくした」
「度数は?」
「……そこそこ」
その時。
後ろから低い声がした。
「ふっか」
深澤の肩がびくっと動く。
振り返る。
岩本が立っていた。
「何?」
深澤が何でもない顔をする。
岩本は阿部の前のグラスを見て、それから深澤を見る。
「それ何入れた?」
「普通の」
「普通って?」
「……いろいろ」
「ふっか」
「はい」
急に声が小さくなる。
岩本がグラスを手に取り、匂いを嗅ぐ。
「これ強いじゃん」
「ちょっとだけ」
「ちょっとじゃない」
「でもあべちゃん全然飲んでなかったし」
「だからって急に強いの出さないで」
「はい……」
さっきまであんなに偉そうだった深澤が、一気に小さくなる。
その姿を見て、阿部は思わず笑った。
「ふふっ」
岩本が阿部を見る。
「阿部、大丈夫?」
「うん」
「顔赤いけど」
「ちょっと暑い」
「結構酔ってるね」
岩本は深澤を見る。
「ほら」
「ごめんなさい」
「水飲ませて」
「はい」
深澤が素直に水を持ってくる。
阿部は笑いながら受け取った。
「ふっか怒られてる」
「誰のせいだと思ってんの」
「ふっか」
「そうだけど!」
また笑う。
少しずつ、酔いが回っている。
頭がふわふわする。
「今日は」
深澤が水を飲む阿部の横で、小さな声で言う。
「めめに送ってもらいな」
「……なんで」
「なんでって」
深澤がまたにやにやする。
「酔ってるし?」
「それだけ?」
「それだけそれだけ」
絶対違う。
阿部は深澤を睨む。
でも、酔っているせいで多分全然怖くない。
「ふっか」
「何?」
「顔むかつく」
「酔っ払いに言われたくない」
「酔わせたのふっかでしょ」
「それはごめん」
阿部は向こうを見る。
目黒がちょうど、こちらを見ていた。
目が合う。
目黒が少し心配そうな顔をして、そのままこちらへ歩いてくる。
「あべちゃん?」
「めめ」
名前を呼んだだけで。
胸がまた、少し変な音を立てる。
さっきまでは。
分からなかった。
でも今は。
分かってしまった。
この人が帰ってくると安心する理由。
隣にいると嬉しい理由。
他の女の人に優しくしているのが嫌だった理由。
全部。
同じだった。
阿部は酔った頭のまま、目黒を見る。
「……めめ」
「ん?」
「今日送って」
目黒は少し目を丸くして。
それから、優しく笑った。
「もちろん」
その笑顔を見て。
阿部はまた、少しだけ困った。
やっぱり。
好きなのかもしれない。
店を出ると、夜風が少しだけ気持ちよかった。
阿部と目黒は、並んで帰り道を歩いていた。
さっきより少し酔いが回っているのか、足元がほんの少し頼りない。
「大丈夫?」
目黒が聞く。
「大丈夫」
「ほんと?」
「うん」
そう答えた直後、少しふらついた。
「危ない」
目黒がすぐ腕を支える。
「……ごめん」
「謝らなくていいよ」
阿部は少し笑った。
「俺、あんまりお酒強くないんだね」
「今日のはふっかさんが強いの作っただけじゃない?」
「それもあるけど」
自分の頬を触る。
まだ熱い。
「次は気をつけよ」
自分がどれくらい飲めるのか。
それも、まだ知らなかった。
また一つ、今の自分のことが分かった。
そんなことを思いながら歩く。
目黒はずっと、阿部の歩幅に合わせてくれていた。
少しふらつけばすぐ支えて、段差があれば先に気づく。
車が来れば、自然に道路側へ移る。
阿部はそんな目黒を見ながら、さっきのことを思い出していた。
カフェで、知らない女の人にも優しかった。
誰にでも、同じように。
「めめ」
「ん?」
阿部は少しだけ目を細める。
「どうしてそんなに優しいの?」
目黒が、一瞬不思議そうな顔をした。
「急だね」
「だって、誰にでも優しいじゃん」
「そう?」
「そうだよ」
少しだけ拗ねたみたいな声になった。
自分でも分かった。
目黒はしばらく阿部を見て、それから少し笑った。
「あべちゃんだって同じでしょ」
「俺?」
「うん」
「どこが」
「店で困ってる人いたらすぐ声かけるし」
「仕事だから」
「仕事じゃなくてもするでしょ」
「……分かんない」
「ラウールの課題だって教えてるし」
「それは」
「佐久間くんの話もちゃんと聞くし、康二の歌も毎回褒めてる」
「……」
「翔太くんが店来なくても、体調気にしてるし」
阿部は少し黙った。
「俺、そんな優しい?」
「優しいよ」
目黒は迷いなく言った。
阿部は少しだけ視線を逸らす。
「じゃあ」
「ん?」
「俺に優しいのも……」
言いかけて、止まる。
めめは。
俺だから優しいの?
そう聞きたかった。
でも、さすがにそこまでは言えなかった。
「……何でもない」
「気になる」
「いいの」
阿部は少し早く歩こうとして、またふらつく。
「ほら」
目黒がすぐ支えた。
「ゆっくりでいいって」
「分かってる」
「分かってないでしょ」
「分かってるよ」
二人で少し笑った。
アパートに着き、階段を上がる。
自分の部屋の前まで来ると、阿部は鞄の中を探し始めた。
「鍵……」
財布。
スマートフォン。
ハンカチ。
小さなメモ帳。
一つずつ出して確認する。
「ない」
「ポケットは?」
「見た」
「反対側」
「あ」
探してみる。
でも、ない。
「どこ入れたっけ」
鞄の中をもう一度探す。
同じところを何度も。
「……ない」
目黒が隣で見ている。
「落とした?」
「多分ない」
「店に忘れた?」
「分かんない」
阿部は少し困った顔をした。
「やばい」
「今日はもう無理して探さなくていいよ」
「でも家入れない」
「うん」
目黒は少し考えてから、隣の自分の部屋を見る。
「あべちゃん」
「何?」
「今日、うち来なよ」
「……え?」
「心配だから」
目黒は、当たり前みたいに言った。
「このまま一人にするの嫌だし、明日明るくなってから鍵探せばいいよ。店にも聞けばいいし」
阿部は少し迷う。
でも。
酔っている頭で一人でどうにかするより、今は目黒の言葉に甘えたかった。
「……いいの?」
「もちろん」
目黒が笑う。
その笑顔を見て、阿部はまた胸の奥が少しだけ熱くなる。
「じゃあ、お邪魔します」
小さく頷く。
「うん」
目黒が隣の部屋の鍵を開ける。
阿部はその背中を見ながら、ふと思う。
誰にでも優しい。
それは分かってる。
でも今、自分を心配して家に入れてくれるこの優しさまで、本当に誰にでも同じなんだろうか。
答えの出ないまま。
阿部は目黒の部屋へ入った。
#BL
コメント
1件
ああ、第11話、めっちゃ良かったです……!阿部くんが「めめは俺に優しいんじゃない、誰にでも優しいんだ」って気づくところ、胸がぎゅっとなりました。ふっかの「それ、もう答え出てるじゃん」って押しもナイスすぎる。酔って「今日送って」って言えた阿部くんえらい!そして最後「うち来なよ」って言うめめの優しさ、誰にでも同じなのかな…ってドキドキしながら期待しちゃいます💕