「ディルモニア王国の英雄といえば、バルクルトだろう。俺が最も尊敬している偉人だ」
「それは贔屓目が入っています。兄上の名がそこから取られたからでしょう。ディルモニア王国の英雄は、モンターギュでしょう。数々の魔法を生み出した尊敬できる偉人です」
偉大なる私にとって、歴史上の偉人なんて特に尊敬する対象にならなかった。
なぜなら、私の方が優れているからだ。そもそも相手は過去の人間である。そんなよく知らない者達に対して、何故尊敬なんて感情を抱くことができるのか、私には理解できない。
食事が終わって兄弟が話し始めたことに対して、私はとても冷めた気持ちを抱いていた。
そもそもの話、パルキスト伯爵家の領地で問題が起こっているというのに、この二人は何故こんなに呑気なのだろうか。
いくら父親であるパルキスト伯爵が対処しているからといって、もう少し然るべき会話があるものだろう。少なくとも、こんな子供じみた話をしている場合ではない。
「エルメラ嬢、君はどう考えている? 現代を生きる偉大な魔法使いである君なら、モンターギュの偉大さはわかるだろう?」
「……ええまあ、先人としてある程度の敬意を持っていない訳ではありませんね」
「どうですか、兄上。エルメラ嬢もこう言っています」
過去の魔法使いなど、所詮私以下の存在だ。彼らが導き出した結論など、私が何個も覆している。
まだ生まれ二十年にも満たない娘に覆されるような結論を、長い生涯をかけて導き出した者達を、どうして尊敬することができるだろうか。
そんなことを言ってやろうかと思ったが我慢した。こういうTPOを弁えられるのが、私の良い所だと自負している。
「待て待て、まだ結論は早いだろう。エルメラ嬢の一番尊敬できる人を聞こうじゃないか。それがバルクルトである可能性もある」
「む……エルメラ嬢、どうなんだ? 君の尊敬している人物は誰だ」
「……そうですね。強いて言うなら、お姉様でしょうか」
「え?」
「何?」
会話が下らなさ過ぎて、私はつい反射的に質問に答てしまっていた。
この世で私が尊敬できる数少ない人物を、自然と口にしてしまったのだ。
それはなんというか、この場においては失言といえるかもしれない。私としたことが、この頭が空っぽな者達の空気に飲まれてしまうなんて、失態だ。
「……ああ、皮肉ということか。確かに尊敬できるな。妹に何一つ勝る点がないのに、懸命に生きている所とか」
「なるほど、そういうことだったか。流石だ、エルメラ嬢。これには僕も兄上も完敗だ」
馬鹿二人の言葉に、私は今からこの屋敷を吹き飛ばそうかと思った。
しかし、それは我慢した。そんなことをしたら、アーガント伯爵家に迷惑をかけてしまうからだ。
この者達を地の底まで沈める方法は、もっとスマートでなければならない。お姉様のように寛大な心を持って、この二人の言葉を聞き流すとしよう。
◇◇◇
「……まさか、あなたが私を訪ねて来るなんてね」
部屋を訪ねた私に対して、パルキスト伯爵夫人は露骨に嫌そうな顔をしていた。
そういった態度を隠そうともしないことが、美徳だとでも思っているのだろうか。この夫人の子供染みた態度に、私は少し呆れてしまう。
とはいえ、彼女がそうやって扱いやすい人であるということは、本当に好都合だ。思わず笑ってしまいそうになる。
「お義母様とお近づきになりたいと思いまして……これからは、家族になる訳ですから」
「……あなたと家族ですって? 笑わせないでもらいたいわね。そんなつもり、私にはないわ」
「付き添いの使用人に頼んで、葡萄酒を買ってきてもらったんです。ブラッガ様から、お義母様が好んでいると聞いて……ああ、もちろん私は未成年ですから、こちらはいただけませんが」
私は、パルキスト伯爵夫人の前にグラスを置き、葡萄酒を注いだ。
それから自分の側にもグラスを置いて、葡萄のジュースを注ぐ。
すると夫人は、自分のグラスを持ち上げた。どうやら、乾杯に応じてくれるようだ。
「ありがとうございます、お義母様」
「ふん……」
乾杯をした後、私は葡萄ジュースを口の中に入れる。
すると、奇妙な味が広がった。葡萄の味と甘みの他に、奇妙な苦みというか、痛みを覚えたのである。
「これは……」
「ふふっ……あははっ」
次の瞬間、パルキスト伯爵夫人はその顔を醜悪に歪めた。
人のことを心底馬鹿にしたような笑みで、彼女は笑う。
「天才だとか、秀才だとか言われていたけれど、所詮は小娘だったようね?」
「な、何をっ……」
「あなたの飲んだ葡萄ジュースの中に、毒を入れておいたのよ。あなたが食事の時に、懇切丁寧に説明してくれたじゃない」
「まさか、ショウエングサの根を……」
私は、食事の席でとある植物のことを解説した。
ある料理に使われていたその植物は、葉自体は問題ないのだが、根に人体に有害な毒を持っている。
それは屋敷で栽培されているらしいので、夫人が持ち出すのもそう難しいことではなかっただろう。彼女は事前に、私のジュースにそれを仕込んでいたのだ。
「あなたがいけないのよ。この私のことを侮辱したのだから」
「……」
「天才だと持てはやされていい気になっていたのかもしれないけれど、これが現実よ。まあ、もう改める機会もないのだけれど……」
「ふふっ……」
「……え?」
流石の私も、ここまで上手くいくなんて思っていなかった。
現実というものは、結構簡単なのかもしれない。まあ私は天才なのだから、それは当然か。
「ど、どうして……?」
毒を仕込んだジュースを飲んだ私が、いつまで経っても倒れないことに、パルキスト伯爵夫人はひどく動揺しているようだった。
その間の抜けた顔は、額縁にでも飾っておきたい程に滑稽だ。いや、この馬鹿の顔を毎日見ると不快さの方が勝つような気がする。額縁に飾るなら、やはりお姉様だろうか。
「残念でしたね。偉大なる私には、毒なんて効かないんです」
「そ、そんな馬鹿なことが……」
「解毒の魔法なんて、基本中の基本ですよ? 私の体には、常にそれがかかっているんです。毒が体に回る前に、一瞬で浄化される……私を毒殺することはできません」
歴史上最も偉大な魔法使いである私のことを、疎ましく思っている者も多くいる。
私という存在そのものが、利権であるのだ。故にこの命を狙われることも少なくない。
故に私は、常に自己の防衛ができるように普段から心がけている。毒殺なんて、暗殺の定番への対策はばっちりだ。
「それにしても、まさか毒殺なんて……パルキスト伯爵夫人、これは大問題ですよ?」
「なっ! そ、それは……」
息子の婚約者を毒殺しようとした。パルキスト伯爵夫人がやろうとしていたことは、どう考えても重罪だ。
というか、仮に私が本当に死んでいたとしても、これは大問題だったと思うのだが、彼女にそれを何とかする程の策が用意できていたのだろうか。
「わ、私が毒を仕込んだなんて、証拠なんてないわ」
「そんなものは、調べればすぐにわかることです。それに、私は目に映っていたこと、耳で聞いたことを記録する魔法を常に行使しているのですよ。あなたが、先程口にした言葉も証拠として提出することができます」
色々な敵意に晒されることも多いため、私は自衛のために様々な魔法を常に使っている。その魔法が、今回は有意義に働いてくれそうだ。
パルキスト伯爵夫人が、私を煽るために全てを口にしてくれて本当に良かった。こんなにも単純なんて、思わず笑ってしまいそうになる。
「そ、そんなことをして許されると思っているの? 私は、このパルキスト伯爵家の――」
「残念ですが、あなたの価値なんて私の足元にも及びませんよ。私という存在の価値が、どれ程のものなのか、あなたはこれからしっかりと味わうことになりますよ」
「なっ……!」
私は敵も多いが、それ以上に味方も多い。
例えば、国王様は私の味方をしてくれる。私が王国にもたらす利益は、多大だからだ。
もしもパルキスト伯爵家が足掻いても無駄である。この件においては、必ず真っ当な判決が下されるだろう。
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