七
聖司よりも先を歩いている聖美が立ち止まって、早く行こうと手招きをする。
「聖ちゃん。こっち、こっち」
「恥ずかしいから、やめろ」
聖美は昨日、阿部先生と話した後、すぐに聖司へ電話をした。
まだ本当の気持ちは分からないが、夏休みに入ってから一度も会っていなかったから寂しかったし、キャンプに持っていく物を買いたいからと言って誘ったのだ。
「キャンプの用意って、何を買うんだよ」
せっかくの休みに何だよと言わんばかりの表情で、聖美を見る。
「今更、文句を言わないで。こんな人混みの中を、か弱い女の子一人で買いに行かせる気?」
「誰が、か弱いって?」
聖美は隣に追い付いてきた聖司を、口を尖らせて睨んだ。
「分かった、分かった。どこに行くんだ?」
「あそこよ」
聖美はスポーツ用品店を指差し、下ろした手で、さり気なく聖司の手を取ろうとした。しかし、さっさと追い越して行ってしまったので、空振りに終わった。
―――あれ?もうっ。
試しに友達から一歩、踏み出してみようかと思い手を繋ごうとしたのに、幸先の悪いスタートとなった。
店の中に入ると、聖美はキャンプ用品コーナーへと直行した。
「何を買うんだ?」
「え〜と。シュラフっていうの?寝袋がいるでしょ」
初めて見る商品を一つ一つ、物珍しそうに眺めながら言う。
「あのな。そういうのは先生が持ってきてくれるから良いんだよ。それに夏はタオルケットで十分なの」
「そうなの。じゃあ、炭は?薪は?」
「炭も持ってきてくれるし、薪はその場で集めるよ」
「なんだ。じゃあ、特に買う物ってないのか」
聖美は頭の後ろに手をやり、残念そうにする。
「まったく。初心者なんだから、任せれば良いんだよ」
「なによ。聖ちゃんが何も教えてくれないからでしょ」
「まあ、そうだな」
「認めたな。じゃあ、お詫びに何かおごってよ」
聖美は、ここぞとばかりに突っ込んでくる。
「あのなぁ。貧乏中学生に、たかるなよ。安い物で勘弁してくれよ」
フィルム代で小遣いの殆どが消えていく今は、本当に苦しかった。たまたま今月は、父親にボーナスが出たからというので、聖司にも臨時収入があったから良かった。
「やった。じゃあねぇ。パフェが良いな」
「それでいいのか?どこに行けば良いんだ?」
「そうねぇ。よしっ、あそこにしよう」
陸上部の友達が自慢げに話していたのを思い出すと、聖司の手を取って店を出た。
―――今度は成功ね。
「聖ちゃんは甘いの、大丈夫だよね」
「ん?嫌いじゃない」
何気ない会話をしながらも、聖美の胸は高鳴っていた。こうやって手を繋ぐのは久しぶりで緊張していたのと、聖司が嫌がっていないかと気になった。
横目で聖司の横顔を伺うが、感情を見抜くことが出来ない。聖司も緊張はしていたが、顔に出さないように必死だった。
「ちゃんと朝、ジョギングしてる?私がいないからって、サボっちゃダメだよ」
「してるよ」
「何で突然、走る気になったの?」
聖美は、ずっと疑問に思っていたことを聞いてみた。
「深い意味はないよ。ちょっと体力を付けようと思っただけで」
「ふう〜ん」
そんな無難な理由は、ちょっと不満が残る回答だった。
「梨々菜さんと楽しく走っているのに悪いけど、朝練がなくなったら、また私も一緒に走るからね」
「なっ。梨々菜は関係ないだろう」
「そう言えば。聖ちゃんは何で、梨々菜さんのことを呼び捨てにしてるの?」
「え?親戚なんだから、いいだろう」
「でも、年上なんだし」
運動部に所属している聖美は、上下関係に敏感だった。陸上部は、先輩後輩の仲が良いことで有名だったが、さすがに先輩を呼び捨てにすることはない。
「それは。あっ、あそこじゃないのか」
「あっ、うん」
話を濁された聖美は、また真衣香の言葉が頭をよぎった。
評判のフルーツパーラーは、壁がレンガ風で落ち着いた雰囲気も好評だった。こんな店に中学生の男女が二人で入るなんて、これがデートと言わずになんと言おうか。
店内は流行っているというだけあって、女子中高生でいっぱいだった。カップルで来ている客もいたが、殆どが女同士で来ているらしく、八割以上が女の子だった。これは男の聖司からすると、かなり異様な雰囲気だろう。
「ご注文はお決まりでしょうか」
店の入口近くに座った二人のテーブルに、ウエイトレスの女性が注文を取りにきた。
「私はフルーツパフェ。聖ちゃんは、どうする?」
「う〜ん」
聖司はメニューを見て、目を細めた。フルーツパフェの千円(税抜き)という値段を見て、財布と相談していたのだ。
「もしかして、高い?」
それを察した聖美は心配そうに尋ねたが、聖司は「大丈夫」とだけ言って、プリン・ア・ラ・モードを頼んだ。
―――こういう時って、何を話せばいいのかな。
デートなんてしたことがない聖美は、会話に困って俯き加減に聖司を見ていた。
「聖美」
「な、なあに」
突然、話し掛けられて声が裏返ってしまった。
「最近、変だぞ」
「変って、私が?そうかな」
何だかんだ言っても、自分のことを見ていてくれているのが分かって、ちょっと嬉しく思った。
「もしかして、俺が原因なのか」
聖美は少し考えた上で、あまり深刻にならずに、冗談っぽく切り出した。
「そうだよぉ。去年の秋から、よそよそしかったし。ジョギングだって黙って始めちゃうし。なんか聖ちゃんに、悪いことでもしたのかなって考えたりして。私のこと嫌いになったのかと思ったんだから」
笑いながら切り出したのに、当時の気持ちを思いだした聖美の目に、うっすらと涙が浮かんできたのを見て、聖司は慌てて理由を説明した。
「そ、それは。あの写真が原因で聖美の近くにいると、からかう奴がいたから面倒だったんだ。だから距離を置いたんだけど、今度は元に戻すタイミングが分からなくて」
写真が雑誌に載るまでは、普通に話したりしていたのだが、心ない者達の冷やかしには聖美もウンザリしていた。当然、聖司も同じ思いだろうというのは感じていたが、元に戻ろうという気持ちがあったことを、本人の口から聞くことが出来て安心していた。
「そっか。でも、それならそうと私に一言、言ってくれればいいじゃない」
「そんなこと出来るかよ。恥ずかしい」
「わかった。それについては許してあげる」
そんなものかなと男心を理解した聖美は、指で涙を拭うと口元を緩めて微笑んだ。
「俺の方も気になっていたから、スッキリしたよ」
胸の支えが取れたからか、聖司の表情がグッと和らいだ。
その表情を見た聖美は、もう一歩、踏み込んだ。
「ねえ。聖ちゃんは、元に戻りたかったんだよね。ということは、私のこと嫌いじゃないんだよね」
「それはそうだ」
「じゃあ。好き?」
自分の気持ちには迷いがあるにもかかわらず、聖司の気持ちを確認すると言うことに負い目を感じつつも、小さい声で、ぼそぼそっと言った。
「あっ。来たぞ」
さっきとは違うウエイトレスが、フルーツパフェとプリン・ア・ラ・モードを持ってきた。
「お待たせしました。フルーツパフェとプリン・ア・ラ・モードでございます」
そう言って、それぞれを目の前に置いて下がると聖司は、すぐにスプーンを手に取った。
「ささ。食べようぜ。んっ。旨い。どうした聖美、食べないのか?」
「食べるよ」
聞こえないフリをされたようにも見えたが、もう一回、聞くことなど出来ず、渋々と食べ始めた。不満一杯の聖美だったが、美味しい物を口に入れると、そんなことは忘れてしまうのが、悲しい性だった。
「美味しいね」
その変わりように苦笑した聖司だったが、そんなことには気が付かなかった。それくらいフルーツパフェは美味しかった。
「なあ、聖美。なんで光画部のキャンプに一緒に行こうと思ったんだ」
「う〜ん。楽しそうだったから」
真衣香との仲が気になったなんて、口が裂けても言えなかった。
―――聖ちゃんの気持ちを確かめようとしたのにね。私って、ズルイ女だな。
「私にも撮り方を教えてよ」
「ああ。いいよ」
聖司がコップの水を飲むために一端、スプーンを置いた。かなり甘かったようだ。
「聖ちゃん。プリン美味しい?」
言うが早いか、聖司のスプーンを取ってプリンをすくうと、パクッと口に入れた。パフェの甘みが残っていたのに、その上を行く甘味が、口いっぱいに広がった。
「美味しい〜。ホッペが落ちちゃうね」
頬をおさえながら、生きていて良かったと言わんばかりに。
「そ、そうだな」
聖司が動揺しているのを見て、聖美は上気した。
―――これって、間接キスだよね。わあ〜。私ってば何やってるのよ。変な女だって思われたかな。
それから二人は、お互いの顔を見ることが出来ずに黙々と食べ続けた。
そんな気まずい雰囲気の中、聖司が顔を上げた。誰か知っている人でもいたのかと、聖美も顔を上げると、話し掛けてくる人がいた。
「あら。どうも」
「ど、どうも」
話し掛けてきたのは、白のワンピースを着た美しい女性だった。後ろには黒服の、背の高い男性が立っていた。いかにも格闘技をやっていますという出で立ちだ。
「お久しぶりです。お仕事は順調ですか?」
「はい。今のところは」
―――誰なの?綺麗な人だな。お仕事って何?
「あら。逢い引きの最中でしたか」
「逢い引きって。違うよ」
「ふふふ。照れなくても良いですよ。また会うときまで、ごきげんよう。行きましょう」
「はい。お嬢様」
黒服は畏まった口調で答えると、女性の後について店を出て行った。
「なに、今の」
「ちょっとした知り合いだ。気にするな」
そう言われても、気になる。明らかに年上に見える美人と話す聖司なんて、今まで見たことがないのだから。梨々菜も美人だけど、それとこれとは話が別だ。
「誰なの?」
「まあ、いいじゃないか。忘れてくれ」
「嫌。教えて」
いまの女性が、聖司の秘密に繋がっていると推測した聖美は、怒られるのを覚悟で粘った。聖美の頑固な所を知っている聖司は、仕方なく名前だけ教えた。
「確か、菊間千代だ。食べ終わったし、行こうぜ」
「確かって何?親しいんじゃないの?」
「親しいのとは、ちょっと違うな」
「じゃあ、何なの?」
ジッと見つめる目は、教えてくれないと一歩も動かないと言っているようだった。
「秘密なの?」
「困ったな」
いくら頼まれても教えるわけにはいかない聖司は、注文書を持つと席を立った。
「ほら行くぞ」
「嫌」
「置いていくぞ」
「それも嫌」
「ああもう。この通り、全てが終わったら、ちゃんと教えるから」
聖司はテーブルに手を置き、頭を下げた。傍目から見ると、痴話げんかをして男が謝っているようにしか見えない。
「この通りだ。聖美のことが心配だから話せないんだ。頼む」
「私のことが心配?危ないことなの」
「それも終わったら話すよ」
聖司の意志も固く、真正面から聖美の目を見た。
「わかった。ちゃんと話してね。約束だよ」
「約束だ」
それから帰るまで、聖美は一切、このことについて触れることはなかった。
何か大変なことに巻き込まれているのを感じたが、聖司がそう言うのなら従うしかない。自分のことを大切に思ってくれている、ということを確認出来たので、不安の一つは解消され満足していた。
ただ、未だ自分の気持ちに答えが出ていなかった。
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