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テラーノベルの小説コンテスト 第3回テノコン 2024年7月1日〜9月30日まで
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薬を投与していても、吉良の思考は日に日にクリアになっていき、それは精神的にと言うよりは、脳の回復を意味していた。


このまま記憶が覚醒していけば、やがて吉良瑛士としての記憶を取り戻すとともに、葉子の正体や、自分が置かれている状況も理解できるようになるかもしれない。


自分に罪を擦り付け、夫を殺した葉子を彼はきっと許さない。


願わくばそのまま殺し合いをしてほしい。


逆上した吉良が葉子を殺そうとし、葉子も応戦して、猟銃を持ちだす。

それで彼を撃ち殺した後、自分も絶望のままに自殺する。


それが私が描くハッピーエンドだ。


しかし覚醒した彼が、私にまで牙を剥くことはないだろうか。

または、ここを逃げ出して警察に駆け込むようなことはないだろうか。


見たところ、彼はだいぶ思考はクリアになっているが、こと記憶においては何一つ回復できていない。


肉体の変化とは違い、脳の回復は見た目にわかりにくい。

それによって薬の調整もする必要がある。


「彼の思考が戻り始めている。逃げ出そうとしないか、念のためカメラを付けた方がいいわ」


私は葉子に忠告をした。


一方で彼には、スープを飲まない方がいいと暗に警告してみる。


いわゆる実験だった。

彼が葉子や私に、どれほど警戒心を抱いているか。どちらのことを信じているか。


彼は、スープを捨てた。


その次の日も、その次の日も捨て続けた。


実は薬自体は味の濃いメインディッシュや香の物などに混ぜていたため、スープには入っていなかったのだが、それでも彼はスープを捨て続けた。



その警戒心は私を喜ばせた。


彼は葉子に陶酔しているわけではない。

信用しきっているわけでもない。


疑問に思っている。

自分が幽閉されていることを。

彼女が自分に手を出すことを。


その警戒心に追い打ちをかけることにする。


「どうやらスープに薬を混ぜていたことを彼が気づいたらしいわ」


再び葉子に忠告した。


「薬を飲まないと、全ての記憶を思い出す可能性があるわよ」


葉子はすぐさま、吉良にスープを飲むように言った。


葉子の忠告は効果があり、吉良はまた大人しくスープを飲み始めた。


しかしその胸の内で明らかに猜疑心が育っているのは、彼の目を見ればわかった。


このころから、薬の量は大幅に減らした。


彼にはこのまま覚醒して、葉子への恨みを思い出してもらいたい。


葉子もその偽り愛情を嫉妬に変えて、彼に殺意を抱いてほしい。



私は、賭けに出ることにした。


◇◇◇


コースターのメッセージで、彼へ直接的な忠告をした。

彼女に対しての疑心を濃くしたところで、今度は葉子に疑惑の種を植え付ける。


会社の会合で遅くなった彼女に、私は泣きついた。


いつもの時間になったので給仕をしようとしたら急に彼が立ち上がり、自分に抱きついてきた。

制服の上から胸を触られ、スカートの中に指を入れられたと、震えて見せた。



葉子の顔は蒼白になった。

もちろん義理の娘が襲われたことに対してではなく、自分のものだと思っていた男が、彼女を裏切ったからだ。


飛び出すように廊下を駆け出すと、インナーガレージまで走っていった。

そしてそこから猟銃の入った黒いケースを持ち出した。


「――――」


思わず笑い出しそうになった。


こんなに簡単に事が進むなんてーーー。


しかし地下へ向かう彼女を呼び止めた人物がいた。


「奥様……!」


雇っていたアルバイトの男だった。


「――――何!?」


怒り狂った葉子が彼を見上げる。


「――――」


彼は何も言わずに、それでも葉子を諫めるようにただそこに立っていた。


「――――」


葉子の手から力が抜け、せっかく持ってきた猟銃のケースも床に落としてしまった。



「―――いいわ。一緒に来て。私が合図したら、彼を殴って」


彼女はそう言うと、地下への階段を下り始めた。


その後、無実の吉良はアルバイトの手によって、手ひどく痛めつけられた。


そして彼の手には四六時中手錠がされるようになり、給仕もアルバイトの男がすることになった。


情況は悪くないが本当は、そのまま猟銃で彼を撃ち殺してほしかった。


そうなるはずだったのに。

あの男さえ、邪魔をしなければ―――。


私は吉良の食器を下げてきたばかりの男の後ろ姿を睨んだ。


「ーーーーー」


――――何をしているの?


彼が飲んだはずのスープカップを、男は見つめていた。

そしてそれを右手で掴むと、それをあろうことか自分の唇に運んだ。


―――ゲイなの?いや、ちょっと待ってー――。


その臀部を見る。


骨格も筋肉もしっかりしているのに、そこだけ丸く肉を付けているように見えた。


こいつーーーー。



私は新たな計画を思いつき、彼女の後ろからそろそろと近づいた。


「坂本さん……でしたっけ?」


名字は本名かはわからないが、下の名前は確実に偽名だろう。

しかしそんなことはどうでもよかった。


私は坂本に近づくと、彼女の中の女を煽った。


その効果があったのか、それとも元々そのつもりだったのか、彼女が私や葉子に隠れてこっそり地下に沈むまで、数日とかからなかった。


私は登校したふりをしながら、外出中の葉子の部屋で、吉良のモノを美味しそうに咥える彼女の痴態を見つめていた。


「―――どいつもこいつも、涎を滴らせた雌豚ね」


その中にはもちろん、男に捨てられて尚、愛し信じ続けた母親も含まれていた。


坂本と吉良のことを知るわけもない葉子だったが、彼女は彼女でまた吉良が欲しくなったのか、一時は止めていた地下への訪問を再開した。


葉子と坂本に骨の髄までしゃぶられ吸い尽くされて、本当に吉良瑛士という男は不幸な人間だ。



私はモニターに映る、父とそっくりな顔を見て目を細めた。


◆◆◆◆


「今日は父の法要なのよ」


キッチンで食器を洗っている坂本にそう言うと、彼女は面白いほどにビクンと身体を震わせた。


「奥様から聞いてます。セレモニーをするとか」

精いっぱい取り繕っている後ろ姿に思わず笑いそうになるのを堪えて、私は続けた。


「その後、グループ会社の会合もあるから、夕方まで帰らないわ」


今度はとても取り繕えなかったらしく、彼女は振り返った。


「――――何が言いたいんですか?」


―――何が言いたいですって?白々しい。


私の方も今度は取り繕えず、唇を震わせて笑ってしまった。


「別に?事実を言っただけよ……?」


そう言うと彼女の返事を待たずにキッチンを後にした。



きっと彼女は今日、地下へ沈む。


ずっとやりたかった妄想を現実のものにするために。




セレモニーが終わり、参列者の挨拶に追われている葉子を、霊園の影に連れ出した。


「何もなければいいのですが」


声を潜めた私の空気を察したのか、葉子は眉間に皺を寄せ、私の唇に耳を近づけた。


「あの坂本という男のことですが、実は私、今日、何度も質問されまして」


「質問?」


「奥様の帰りは何時か、と」


「――――」

葉子は解せないようで首を傾げた。


「それにあの男、何かおかしくはないですか?」


「おかしいというと……?」


「あんなに恵まれた身体をしているのに、体毛が異様に薄かったりとか。髭だって生えてません」


「――――確かに……」


「喉仏も見えませんし、なんというか、声も細いような」


「―――女性だっていうの!?」


葉子は周りの目も憚らずに悲鳴のような声を上げた。


「葉子さん、落ち着いてください。ただの私の主観ですから」


彼女は黒いCoachの腕時計で時刻を確認したのち、秘書を呼びつけると、一言二言発し、私の腕をとった。


「今日は帰るわ」


私は神妙そうな顔で頷いたものの、心の中ではほくそ笑んでいた。



Ladies and Gentlemen!


頭の中でセレモニーのファンファーレが鳴り響いた。


◇◇◇


葉子は帰ると、物音を立てないように地下へと向かった。


そして少しだけ開いたドアから覗き込んだ。


私はそれを階段の上から見守っていた。


『……あ……ん……んん……ああ!』


ここからでも十分、ベッドの軋む音と二人の喘ぎ声は聞こえてきた。


彼女はしばらく黙ってそれを見ていたが、やがて再び音を立てないように階段を上がると、まるで私など目に入っていないかのように、廊下を曲がった。


ガレージに入っていく。


いよいよ、彼女は吉良を殺す。


もしかしたら一緒にいた坂本もろとも殺すかもしれない。

それでもいい。

彼女を襲う絶望と罪悪感は多ければ多いほどいい。

彼女は自分の首にも銃口を当て、引き金を引く。

完璧な演出。最高のラスト。



しかしガレージに入った彼女が手にしたのは、猟銃ではなく、ハンマーだった。


「ちょっと。それで叩いても、彼は死なないわよ……?」


思わず私は彼女に言った。


「いいの。殺すつもりはないから」


彼女はそう言うと迷いなく踵を返した。


―――殺すつもりがない?



なら、一生飼い続けるのか?

父とそっくりな容姿をした彼を?

あの地下室に括り付けたまま?

偽愛のセックスを繰り返しながら?


私はぞっとしながらも、とにかく彼女の後を追った。




―――どうやら吉良瑛士という男は、私が思うよりもずっと賢く、ずっと強かだったらしい。


地下室への階段の途中に吉良瑛士はいた。

ズボンを半端につっかけた状態で、左手には手錠とそれに続くベッド柵を抱えたままだった。


追いすがる血だらけの坂本の鬼気迫る姿に、私は悲鳴を上げた。


しかし葉子は冷静だった。


「なんて格好なの?パリス」


吉良のむき出しの下半身と、坂本の裸体を睨み、

「まるでセックスでもしていたみたいじゃないの」


そう言うと、彼の頭に思い切りハンマーを振り落とした。


彼は階段の中腹で倒れ、そのまま意識を失った。


「こんな危険な存在、一刻も早く殺した方がいいと思うんですけど……」


私は血だらけのハンマーを持ったまま彼を見下ろしている彼女に言った。


「―――いやよ……絶対にいや」


彼女はそう静かに言うと、私の脇を抜けてリビングへ向かった。


「――――。―――――、――――――――――」


話の内容から相手は例の医者であるらしかった。


こうしてまた、彼は生かされる。

どんなに頑張っても、彼女が彼を殺すことはない。


もう面倒くさいから、私が二人とも私が殺してしまおうか。


ーーー駄目だ。


それじゃ意味がない。

二人にはいがみ合って、憎しみ合って死んでもらいたいのに。


こうなれば、吉良瑛士に記憶を取り戻してもらうしかない。


換気口から彼に話しかけ、彼の本名、恋人の名前、小口自動車のことまで伝えた。


あとは機会を見て恋人を連れてきて、葉子の目の前で愛の再会を果たせば、彼女は今度こそ猟銃を持ち出してくれるに違いない。


◆◆◆◆


私の新たな計画は功を奏し、吉良瑛士は名前を教えただけで粗方の記憶を取り戻した。

その上でありもしないタイムリミットを匂わせ、彼を焦らせる。

こうして計画は最終段階に入ろうとしていた。


「タイミングを見て美央さんを呼んできます。今日明日と言うわけには行かないかもしれませんが、私のことを信じて待っていてください」


すっかり信頼しきっている彼にそう告げると、私は換気口の蓋をきちんと閉じて、裏から回って玄関に入った。


階段を駆け下りる音がする。私は慌てて仏間に隠れた。


「―――痛っ」


靴下の上から何かを踏んだ。


「――――!!」


思わず悲鳴を上げるところだった。


そこには父の遺影が落ちていて、あたりには飛び散ったガラスが散乱していた。


あんなに愛していた父の遺影を割るなんてーー。


―――あの女、正気じゃない……。


葉子はドスドスと足音を立てながら一旦ガレージに回ってから、玄関から出て行った。


「ーーーーー」


私はおそるおそる音を立てないように玄関から出た。


足音がしないように湿った草を踏みながら裏に回り込む。



そこには―――。


猟銃を構えた葉子が立っていた。



パリスの審判 ~監禁する女神たち~

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