テラーノベル
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2話
rなし
数日後。
あの居酒屋での夜が夢だったのではないかと、らんは何度も思い返していた。こさめと指を絡めた感触も、「秘密だよ」と笑った顔も、全部が現実とは思えないほど特別で、思い出すたびに胸が落ち着かなくなる。
そんなある日の夜、スマホが震えた。
画面には「LINEで友だち追加されました」という通知。
誰だろう、と軽い気持ちで開く。
そして次の瞬間、らんの動きが止まった。
こさめ
表示されていた名前を見て、思考が一瞬止まる。
「……え」
声が漏れる。
まさか、と思いながらトークを開くと、すぐにメッセージが届いた。
『らんくん』
その一言のあとに、画像が送られてくる。
らんは恐る恐るそれを開いた。
そこに表示されていたのは——
幕張メッセ 最前列 ど真ん中
チケットの画面だった。
しかも座席番号を見れば、明らかにステージの真正面。ファンなら誰もが夢見るような位置だ。
らんの心臓が一気に跳ね上がる。
すぐに次のメッセージが届いた。
『らんくん専用チケット先にとったよ』
さらに続く。
『ここに振り込んでくれたら渡すね』
文章の最後には、軽く笑っているような絵文字がついていた。
らんは数秒間、スマホを見つめたまま固まる。
これが何を意味しているのか、頭では理解している。
理解しているけれど、現実味がなさすぎた。
推しから、直接チケットを用意された。
しかも最前列。
普通なら疑うのかもしれない。夢じゃないかとか、何かの間違いじゃないかとか。けれど、らんの指はもう動いていた。
考えるより先に、振り込み画面を開いていた。
金額を確認して、送金する。
送信完了。
数秒後。
『確認したよ』
すぐに返信が来る。
『当日、楽しみにしてるね』
そのメッセージを見た瞬間、らんはベッドの上に倒れ込んだ。
「……やばい」
心臓がうるさい。
嬉しいのか、緊張なのか、もう自分でも分からなかった。
そして——
幕張ライブ当日。
会場の外には、すでに大勢のファンが集まっていた。
グッズを持っている人、写真を撮っている人、友達と盛り上がっている人。どこを見ても同じ名前が飛び交っている。
「こさめかわいい」「今日やばいよね」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
らんはチケットを握りしめながら、その中に立っていた。
周りには同じファンがたくさんいる。
それはいつものことのはずなのに、今日は少しだけ違った。
昨日までと違う秘密を、らんは持ってしまったからだ。
こさめとLINEをしている。
こさめと会った。
こさめと話した。
そんな事実を、誰も知らない。
それなのに周りには同じくらい、いやそれ以上に熱心そうなファンが何人もいる。
その光景を見ているうちに、らんの胸の奥に小さな不安が生まれる。
(こんなにいるんだ)
こさめを好きな人が。
当たり前のことなのに、なぜか少し苦しくなった。
すると、そのときだった。
突然、後ろから手首を掴まれる。
「えっ」
びっくりして振り向く間もなく、そのままぐいっと引っ張られる。
人混みの中を抜けて、スタッフ用の通路のような場所へ。
さらに扉を一つ通り抜ける。
気づけば、小さな部屋の中に入っていた。
楽屋のような場所だった。
らんは完全に状況が理解できず、固まる。
「……え、なに」
声が震える。
すると、目の前にいた人物がゆっくりフードを外した。
さらっと髪が揺れる。
見慣れた顔。
らんの呼吸が止まる。
「……こさめ」
こさめはにこっと笑った。
「らんくん、いらっしゃい」
まるで普通に待ち合わせしていたみたいな軽い声だった。
その瞬間、らんは周囲の視線に気づく。
部屋の中には他のメンバーがいた。
全員、こちらを見ている。
らんの顔が一瞬で熱くなる。
「ちょ、ちょっと待って…」
焦って言葉が出てこない。
するとこさめは、らんの手を引いたまま楽しそうに言った。
「可愛いでしょ?」
まるで自慢するみたいな言い方だった。
らんの顔は完全に真っ赤になる。
するとメンバーの一人が笑いながら言った。
「こさめが“可愛い子いる”とか言うからさ」
その人——いるまが肩をすくめる。
「女かと思った」
その言葉を聞いた瞬間、らんの胸が少しだけ沈んだ。
やっぱり、そう思うよな。
男だし。
こさめの隣に立つような人間じゃないのかもしれない。
そんな考えが勝手に頭に浮かぶ。
視線を落としかけた、そのときだった。
「ちょっと」
こさめが前に出る。
そして、らんの腕を軽く引き寄せた。
「違うから」
こさめははっきり言う。
「性別関係なく、らんくんだから可愛いの!」
その言葉が部屋に響く。
らんの思考が止まる。
顔の熱がさらに強くなる。
きっと今、自分の顔は誰が見ても分かるくらい真っ赤だ。
でも、それ以上に。
胸の奥が、どうしようもなく温かかった。
いるまは肩をすくめながら、「へーへー、さーせん」と軽く言って笑った。けれどそのまま興味深そうに、らんの方へ一歩近づいてくる。
急に距離が縮まって、らんは思わず息を止めた。近くで見るいるまは想像以上に整った顔をしていて、ステージで見るときとはまた違う迫力がある。圧に押されるように、らんの口から小さな声が漏れた。
「……ぇ」
完全に固まってしまう。
するとその横から、ばっと腕が伸びた。
「ちょっと!近づかないでよ!」
こさめが間に割って入るようにして、らんの前に立った。まるで守るみたいな動きだった。
いるまは一瞬きょとんとして、それから吹き出す。
「いやいや、何その反応」
「だって!」
こさめは不満そうに眉を寄せる。
「らんくんびっくりしてるじゃん!」
そう言いながら、こさめはさりげなくらんの手首を掴んだ。さっきまで緊張で動けなかったらんは、その温もりで少しだけ現実に引き戻される。
いるまは腕を組みながら、二人を見てニヤッと笑った。
「へぇー」
「なに」
「こさめ、そんな顔するんだなって思って」
「どんな顔?」
「めっちゃ独占欲強そうな顔」
その言葉に、こさめの動きが一瞬止まる。
「……別に」
そっぽを向いて小さく言う。
その様子を見て、周りのメンバーがくすくす笑った。
「まぁでもさ」
いるまが改めてらんの方を見る。
「確かに可愛いわ」
「えっ」
突然話を振られて、らんの肩がびくっと揺れる。
いるまは軽く手を振った。
「安心しろって。取ったりしないから」
そう言ってから、ちらっとこさめを見る。
「な?」
こさめはむっとした顔のまま、らんの手を軽く引いた。
「らんくん、行こ」
「え?」
「ライブ始まるし」
そのまま出口の方へ歩き出す。
引っ張られる形で、らんも後を追う。
ドアの前まで来たところで、こさめがふっと立ち止まった。
そして振り返る。
「あとさ」
さっきまでの少し拗ねた顔じゃなく、いたずらっぽい笑顔。
「今日、ちゃんと見ててね」
こさめは小さく笑った。
「らんくんのために、頑張るから」
そして小さく肩をすくめて言った。
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