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私は今、花斗を抱き抱えて壱月の家の玄関に立っている。
正確には、壱月の住んでいるマンションのエントランスの前だが。
高級感を漂わせそびえ立つその建物を見上げたまま、私は唖然としていた。
はっと隣を見れば、花斗もあんぐりと口を開けたまま首を上に向けている。
「何階に住んでるの?」
「一番上」
壱月はエントランスの鍵を開けながら、さらりと言う。
「ふぇ!?」
思わず変な声が出た。
「とりあえず、来いよ」
壱月は開いたエントランスのガラス戸の中に、スタスタと入っていく。私は花斗を抱いたまま、慌てて彼の後を追った。
乗り込んだエレベーターはぐんぐん上がり、最上階である四十階に到着する。
その扉が開くと、壱月はホテルのような絨毯の上を進む。
その突き当りまで慣れたように歩いていくと、そこにある扉に持っていた鍵を差し込んだ。
うそ、角部屋なの!?
謎に高鳴る心臓を深呼吸して抑えていると、「早く来いよ」と壱月が手招きをする。
「お、お、お、お邪魔します!」
畏れ多くも、私はその室内に一歩踏み入れた。
すると、反応した玄関灯がピカッと入り口を照らし、続けて部屋内の照明を順に灯していく。
それに驚いていると、花斗がぴょんぴょんと私の抱っこの中で跳ねた。
「ひこうき! ママ、ひこうき!」
花斗の指の先を辿ると、そこには飛行機の模型が飾られている。
もちろん、花斗の持っているおもちゃのような物ではなく、本格的な仕様だ(多分)。
「これは、ボーイング747SRの100、別名スーパージャンボ。『ジャンボ』って愛称で親しまれてたんだけど……知らないよな。もう今は飛んでいないんだ。……あ、触るなよ?」
「はーい」
壱月の上機嫌な解説に、花斗がお行儀よく返事をする。
壱月はその頭を「偉い偉い」と撫でると、先に部屋に上がってこちらを振り返った。
「どうぞ」
彼はそのままスタスタと廊下を歩き、リビングに続く戸を開けて私たちを待つ。
私も部屋に上がらせてもらおうと、靴を脱ぐために身を屈めた。
すると、花斗は私の抱っこからするりと降りて、靴をぽいっと脱ぎ捨てる。
「あ、こら、花斗!」
言うも虚しく、花斗は壱月の横をも通り抜ける。
そのまま、リビングらしいその部屋の中を突っ切って、その先にある窓にへばりついた。
壁一面が、窓ガラスになっている。
「わぁぁぁっ!」
窓ガラスにしっかり指紋をつけながら(もしかしたら鼻水とよだれもつけながら)、花斗は窓の外に魅了されている。
慌てて追いかけた私も、その窓の外の風景に圧倒されてしまった。
暮れかけて明かりの灯り始めた街と川の向こうに、一定の間隔でチカチカと赤い光を灯す管制塔と、光の道のような滑走路が見える。
そこには、次々に飛行機が発着していた。
「すごいね、壱月!」
思わず花斗のようなテンションで後ろを振り返る。
キッチンでコーヒーを淹れていた壱月は「ははっ」とこちらに笑みを向けた。
途端に恥ずかしくなって、慌てて窓の外に向き直る。
「だろう? 羽田空港、丸見え」
壱月はいつの間にか隣に立っていて、ふたつ持っていたマグカップのうちひとつを私に差し出した。
「ブラックだけど、いい?」
「あ、ありがとう……」
私がそう答えると、壱月は私と花斗の後ろにある、窓の外が見えるように置かれたソファに座った。
「愛音たちも座ったら?」
「じゃあ、お邪魔します。……ほら、花斗も」
私は壱月の隣に腰掛けたけれど、花斗は「ヤダ、ここがいい」と言って窓から離れなかった。
「あはは。わかってるねえ、花斗は」
壱月はコーヒーを飲みながら、ソファの背もたれに左腕を回す。
それがまるで私を包んでいるようで、不覚にもドキッとしてしまった。
「俺もさ、ここに座って飛行機の発着見るの、好きなんだ。それで『あの飛行機はどこ行きかな』とか、『ああ、お前は沖縄帰りか』とか、勝手に思ってる」
パイロット馬鹿かも、と思いながら右隣を見ると、壱月はキラキラした視線を窓の外に向けている。
その瞳が花斗と同じで、やっぱりパイロット馬鹿だな、と思った。
「パイロットのおにいちゃん、」
不意に花斗が振り返った。
「ここでまいにち、ひこうきみてたら、ぼくもパイロットになれるかな?」
壱月は花斗のキラキラした視線に応えるように、爽やかな笑みを浮かべた。
「ああ、きっとなれるぞ」
すると、壱月を見ていた花斗の視線がこちらに向けられる。
嫌な予感しかしない。
「ママ、あたらしいおうち、ここ!」
あああ、やっぱり!
落胆の叫びを心の中で上げながら、私は頭を抱えて深いため息をつく。
「ぜったいここ! ぜったい、ぜったいにここ!」
「あー、うん、考えておくね」
苦笑いを浮かべつつ便利な日本語を並べて返すと、壱月は私に「ごめん」と小声で謝ってきた。
それから、空いているという部屋や他の部屋もひと通り見せてもらう。
それから、「もっとここにいたい!」と暴れる花斗を抱き上げ、二軒隣の我が家に帰宅した。
帰り際、壱月は「いつでも連絡して。フライトの時以外ならすぐ返す」と付け加えてくれた。
コメント
1件
わあ、もうこのエピソードすごく好きです……! タワーマンションの最上階、しかも羽田が一望できる窓辺の描写が美しすぎて、私も愛音さんと一緒に息を呑みました。壱月が“飛行機の話になると目がキラキラする”感じ、花斗くんと完全にシンクロしてて可愛いですよね。そして「新しいおうちここ!」の花斗くんの無邪気な宣言に、愛音さんの「あああ、やっぱり!」の心情がじわじわきます。壱月の「いつでも連絡して」の一言が、さりげなくて沁みました。