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エピローグ:鏡合わせの孤独
兄side
誰もいない藤澤家のリビング。
かつては涼架が震えながら座っていたソファに、今は僕が一人で座っている。
手元には、あの日クレープ屋のテーブルに残されたままだった三通のラブレター。
結局、涼架はこれを持っていかなかった。
「……ふふ、あんなに大切に運んでいたのにね。…いや、大切にさせられていただけか」
僕は自傷気味に笑い、手紙を一通手に取って、中身も見ずに暖炉へと放り投げた。
赤い火が、誰かの恋心を無慈悲に飲み込んでいく。
なぜ、あそこまで涼架を縛り付けていたのか、と人は問うだろう。
答えは簡単だ。
涼架は、僕が捨てざるを得なかった「弱さ」そのものだったからだ。
十年前の藤澤家
「お兄ちゃんだから、出来なきゃダメよ」
「お兄ちゃんだから、泣いちゃダメ。涼架が見ているわよ」
母の言葉は、いつも氷のように冷たかった。
テストで満点を取っても、コンクールで優勝しても、それは「藤澤家の長男」としての当然の義務。
感情を殺し、期待という名の銅鉄の鎧を着込み、僕は「完璧な人間」という怪物を作り上げていった。
そんな僕の横で、涼架はいつも泣いていた。
逆上がりができないと泣き、転んで膝を擦りむいては泣き、迷子の仔猫を見つけては可哀想だと泣く。
(…汚いな、と思ったんだ)
自分の感情を曝け出し、誰かに助けを求める。
僕が許されなかった「特権」を、涼架だけが平然と行使している。
その無防備さが、僕には耐え難いほど眩しく、そして憎かった。
「ねえ、お兄ちゃん。…僕、勉強楽しくないよ。外で遊びたいよ」
幼い涼架が僕の裾を掴んで言ったあの日。
僕は、涼架を抱きしめる代わりに、突き放すような冷たい声で言った。
「涼架、楽しいかどうかなんて関係ないんだよ。…僕たちは、完璧でいなきゃ愛されないんだ。涼架も、僕と同じ地獄に来なさい。…僕が君を正しく導いてあげるから」
それが、支配の始まりだった。
涼架の個性を削り、僕の影に押し込めば、僕の孤独は紛れると思った。
涼架が僕なしでは生きられない無能な存在になれば、僕は永遠に「必要とされる兄」で入れる。
僕が涼架を支配したのではない。
僕が僕であるために、涼架という『依存先』を必要としていたんだ。
現在
「…若井、くんだったかな」
僕の手を振り払った、あの猫のような眼をした少年。
そして、僕の完璧な理論を「暇つぶしだ」と切り捨てた、太陽のような少年。
彼らは、僕が涼架に与えなかったものをすべて持っていた。
熱、衝動、そして…見返りを求めない信頼。
あの日、裏門へ駆け抜けていく涼架の背中を、僕はただ見ていた。
追いかけることはできた。権力を使えば、彼らの学校生活を台無しにすることだってできた。
けれど、できなかった。
(涼架。…君は、あんなに楽しそうに笑うんだね)
僕の見たことのない、そして僕には引き出すことのできない、魂の底からの笑顔。
それを見た瞬間、僕が十年かけて築き上げた「完璧な檻」は砂の城のように崩れ去った。
「…ははっ、完敗だ。…本当に、つまらないのは僕の方だった」
僕は最後の手紙を火の中に投じた。
涼架がいなくなった家は、驚くほど広い。
エアコン音だけが響くこの贅沢な牢獄で、僕は初めて、鎧を脱いだ。
『お兄ちゃん。…僕、フルートをもう一度やりたい』
あの日、僕にそう告げた時の涼架の目は、かつて僕の顔色を伺っていた濁った瞳ではなかった。
自らの足で立ち、自分の人生を歩もうとする一人の「人間」の瞳だった。
「…好きにすればいい。挫折して、泣いて、ボロボロになって……それでも、あいつらが涼架を笑わせるんだろうから」
僕は、涼架が小さい時に使っていた、今はもう音の出ない安物のフルートを取り出した。
指でなぞると、冷たい金属の感触がする。
「…おやすみ、涼架。…僕の、小さな、僕そのものだった弟」
僕は暗闇の中で、一滴も涙も流さずに、ただ静かに眼を閉じた。
瞳の中に映る自分は、いつの間にか、透明な空っぽな少年の姿をしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます♪
コメント
2件
エピローグありがとうございます!🫶 お兄ちゃんもお兄ちゃんで辛い思いを抱えていたんだなぁ。と、不思議で切ない気持ちになりました😭
エピローグありがとうございます。 お兄さんの支配、怖かったですが、最後このエピローグ涙が出て来ちゃいました😢 💛ちゃんと次に会う時は優しいお兄さんとして再会できたらいいですね🥹 素敵なお話をありがとうございました。