テラーノベル
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アクアマリン。それは、聡明、勇敢、沈着……そして「幸福と富、調和」を司る海の石。私は水の魔女。
300年前、最愛の彼と初めて出会った海底の国に、私は100年ぶりに足を踏み入れた。魔女の長い寿命からすれば、300年など「若造」の部類。それでも、彼を失ってからの時間は、凍りついた海のように長く感じられた。
入国して真っ先に向かったのは、彼の墓標だ。
「……ただいま。少し、遅くなったわね」
そっと手を合わせ祈りを捧げていると、背後で次々と人が倒れ伏していった。
この国は、かつて神の怒りを買い海底に閉じ込められた人々が住む場所。彼らが200年近く生きられるのは、神が与えた巨大なアクアマリンから湧く「聖水」の加護があるからだ。だが、あろうことかその源泉が枯れ、聖水が止まってしまったのだ。
「水の魔女様! どうか、どうかこの国を……彼らの命をお救いください!」
懇願する人々を前に、私は沈黙した。
聖水を復活させるには、枯れ果てた祭壇へ膨大な魔力を注ぎ続けなければならない。まだ「若い魔女」である私は、体内で自ら魔力を生成できるとはいえ、その速度には限界がある。一度に全てを使い果たせば、次の魔力が満ちる前に、私の命の灯火が消えてしまうだろう。
「……分かりました。その代わり、『聖水の欠片』を1キロ分用意して」
それは深海に沈む魔法石。私のような水属性の魔女が、自前で魔力を作る時間のロスを補い、削れた命を即座に補填するための「外部バッテリー」だ。自力での再生を待てないほどの緊急事態には、これが必要不可欠だった。
私は届けられた石の袋を傍らに置き、アクアマリンの祭壇へ向かった。
「魔法をかけている間、決して誰も部屋に入れないで。私の魔力を浴びれば、人間はたちまち蒸発してしまうから」
村人が去り、私は巨大な宝石に両手をかざした。
「――開け、深淵の源流」
地面に巨大な魔法陣が展開され、青い光が部屋を支配する。
数時間が過ぎた。私は体内で生成した魔力を、生成したそばから注ぎ込み続ける。だが、アクアマリンは底なしの怪物のように魔力を飲み込み、一向に満たされない。
眠ることも許されず、魔力を作る速度を限界まで引き上げる。神経が焼き切れるような熱さと、魂が削り取られるような寒気が同時に全身を走る。
数日が経ち、ついに生成が消費に追いつかなくなった。
(もうダメ……魔力が、底をつく……)
意識が白濁し、魔法陣の光が弱まったその時。
ふわりと、温かい気配が私を包み込んだ。
目を開けると、光の中に人影が見えた。それは、この国を守り続けてきた先代の魔女たちの残滓、そして……かつて私を愛してくれた、彼の面影だった。
彼らは言葉を発しない。けれど、透き通ったその手が私の背中や肩に添えられ、私の震える魔力を支えてくれているのが分かった。
(……一人じゃない。彼が、彼らが愛したこの場所を、絶対に終わらせはしない!)
最後の一滴、魂の等価交換として残りの魔力をすべて叩きつける。
視界が純白に染まった。
……ふと耳を澄ますと、心地よい水音が響いていた。
あふれんばかりの聖水が、清らかな旋律を奏でながらアクアマリンから噴き出している。
「やった……やり遂げたのね、私たち……」
背後の気配はいつの間にか消えていた。
「もう、入っていいわよ」
絞り出した声を最後に、私は泥のような深い眠りについた。
次に目を覚ましたのは、数日後のことだった。
窓の外には、聖水で満たされ、活気を取り戻した美しい海底の街並みが広がっていた。
彼はもういない。けれど、この街の水の響きの中に、確かに彼の鼓動を感じる。
私は、空になった「聖水の欠片」の袋を握りしめ、再び旅の支度を始めた。この命がある限り、彼が見たかった世界を、私はこの目で見続けていく。
私の旅は、これからも続いていく。
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