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第六話「近いけど遠い距離」
——あったかい。
最初に感じたのは、それだった。
柔らかい温もり。
規則正しい呼吸。
すぐそばにある、誰かの存在。
(……なんだこれ)
ぼんやりした意識の中で、高橋佳はゆっくり目を開けた。
そして——固まった。
「……っ!?」
目の前。
数センチの距離に、山本美憂の顔。
寝顔。
まつ毛が微かに揺れて、穏やかな呼吸をしている。
(ちょ、待て)
(近すぎるだろ)
しかも——
自分の腕に、しがみつくように抱きついている。
(……は?)
昨夜の記憶が、ゆっくり蘇る。
“一緒に寝る”
“手を握る”
そのまま寝落ち——
(いやいやいや)
(これは想定外だろ)
心臓が一気にうるさくなる。
体温が、全部伝わってくる。
(離れたいけど……)
腕、完全にホールドされてる。
しかも——
(起こすのも、なぁ)
この寝顔を見てると、無理やり動く気にもなれない。
(……ずるいだろ)
こんな無防備な顔、見せられたら。
⸻
「……ん」
小さく、美憂が動く。
「……佳……?」
まだ半分寝ている声。
(やばい)
完全に起きる前に、なんとか——
「……おはよ」
間に合わなかった。
「……おはよ……」
ぼーっとしたまま、佳の顔を見つめる。
数秒。
沈黙。
そして——
「……え」
状況を理解した瞬間。
「——っ!?」
ガバッと飛び起きた。
「な、な、なにこれ!?」
「それこっちのセリフな」
「ち、違うから!これ、その、無意識で!」
「だろうな」
「なんでそんな冷静なの!?」
「騒ぐと近所迷惑だろ」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
顔が真っ赤。
耳まで染まってる。
対して佳は——
(いや、普通に無理なんだけど)
内心は全然余裕じゃない。
でも、それを出すわけにもいかない。
「……まぁ、寝相悪かっただけだろ」
「……っ」
その一言で、美憂が一瞬だけ固まる。
「……寝相、悪くないし」
「昨日は悪かったな」
「……」
むすっとした顔。
(あ、これ)
(ちょっと怒ってる)
⸻
「……もういい」
ベッドから降りる。
「朝ごはん作る」
「おう」
「……佳は来なくていい」
「なんでだよ」
「なんかむかつくから」
「理不尽だな」
「うるさい」
そのまま部屋を出ていく。
バタン、とドアが閉まる。
「……はぁ」
一人になって、やっと息を吐く。
(……なんだよ今の)
距離、近すぎだろ。
今までの関係じゃ、ありえない。
(……でも)
頭に浮かぶのは。
抱きついてきた感触。
寝顔。
あの距離。
(……やばいな)
完全に意識してる。
⸻
リビング。
「……」
「……」
無言。
気まずい。
テーブルを挟んで座る二人。
いつもなら、軽口の一つでも出るのに。
今日は違う。
「……いただきます」
「……いただきます」
声が小さい。
タイミングも微妙にズレる。
(……なんだこれ)
佳は内心で頭を抱える。
(昨日まで普通だっただろ)
たった一晩で、空気が変わっている。
⸻
「……佳」
「ん?」
「今日さ」
「おう」
「……さっきのこと、忘れて」
「無理だろ」
「なんで!?」
「覚えてるもんは覚えてる」
「じゃあ忘れる努力して!」
「努力ってなんだよ」
「いいから!」
顔を赤くしたまま、強引に話を切る。
(……ほんと分かりやすい)
でも——
(俺も人のこと言えねぇか)
普通に、意識してる。
めちゃくちゃ。
⸻
学校。
「佳くーん!」
いつもの女子が話しかけてくる。
「おはよー」
「……おはよ」
いつも通り返す。
はずなのに——
(なんか調子狂うな)
頭の中に、今朝のことが残ってる。
「ねぇ聞いてよー」
「んー」
話を聞きながらも、どこか上の空。
そして——
視線を感じる。
(……いるな)
横を見ると。
美憂。
こっちを見てる。
しかも——
明らかに、機嫌悪い。
(いやなんでだよ)
今朝の流れでそれはおかしいだろ。
⸻
休み時間。
「……佳」
「なんだよ」
「楽しそうだね」
「普通だろ」
「ふーん」
明らかに拗ねてる。
「……なんだよ」
「別に」
「絶対なんかあるだろ」
「ないって」
机に突っ伏す。
(……これ)
(完全に昨日より悪化してるな)
⸻
放課後。
二人で帰る道。
でも今日は——
少し距離がある。
昨日より、ほんの少しだけ。
「……佳」
「ん?」
「さっきの子と、また話してたね」
「クラスメイトだからな」
「……ふーん」
それだけ。
でも——
声が少しだけ尖ってる。
「……美憂」
「なに」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってないってば」
少し間。
風が吹く。
その中で——
「……佳が」
小さな声。
「他の子と楽しそうにしてるの、なんかやだ」
足が止まる。
(……ああ)
やっぱり。
「……なんで」
「わかんない」
正直な声。
「でも、やだ」
その一言が、まっすぐ刺さる。
佳は少しだけ目を伏せて——
「……俺は」
言いかけて、止まる。
(言うな)
(まだだ)
でも——
言葉が、変わる。
「お前といる方が楽しいけどな」
気づいたら、出ていた。
「……え」
美憂が固まる。
「なにそれ」
「そのまま」
「……ずるい」
顔を逸らす。
でも——
耳が、赤い。
(……あーあ)
(もう戻れねぇな、これ)
距離は近づいてる。
確実に。
でも——
まだ、“言葉”が足りない。
⸻
夕焼けの中。
二人はまた、少しだけ距離を縮めて歩き出した。
触れそうで、触れない。
そんな距離で。
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