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第七話「見せられない弱さ」
深夜。
家の中は、静まり返っていた。
時計の秒針だけが、やけに大きく響く。
——カチ、カチ、カチ。
「……はぁ」
高橋佳は、ゆっくりと息を吐いた。
ベッドの上。
天井を見つめたまま、目を閉じる。
(……眠れねぇな)
体は疲れてるはずなのに。
頭だけが、やけに冴えている。
思い出すのは——
朝の距離。
拗ねた顔。
「やだ」って言った声。
(……ほんと、ズルいよな)
あんなこと言われて。
何も思うなって方が無理だろ。
「……っ」
その瞬間。
胸の奥に、鋭い痛みが走った。
(……来たか)
ゆっくり体を起こす。
慣れてきてる自分が、嫌になる。
息を整える。
でも——
「……っ、は……」
呼吸が、浅い。
うまく吸えない。
胸が、焼けるように痛い。
(……やばいな)
今までで、一番強い。
⸻
ベッドから降りる。
音を立てないように。
ゆっくり、ゆっくり。
(起こすな)
(絶対に)
ドアに手をかける。
一瞬だけ、止まる。
(……もし)
(今ここで倒れたら)
そんな考えが、頭をよぎる。
でも——
「……は、っ」
小さく息を吐いて、ドアを開けた。
⸻
廊下。
暗い。
静か。
隣の部屋——美憂の部屋。
その前で、足が止まる。
「……」
中からは、何も聞こえない。
きっと、ぐっすり寝てる。
(……起こすなよ)
(こんなんで)
拳を握る。
(絶対に)
⸻
そのまま、階段を降りる。
リビング。
ソファに体を預ける。
「……っ、は……」
もう限界だった。
胸を押さえる。
呼吸が乱れる。
「……っ、く……」
声が漏れそうになる。
慌てて、近くにあったクッションを掴む。
それを——
口に押し付ける。
「……っ!!」
咳が、爆発した。
押し殺しても、止まらない。
体が勝手に揺れる。
息ができない。
視界が揺れる。
(やばい……)
(これ……)
ガクン、と膝が落ちる。
床に手をつく。
それでも咳は止まらない。
「……っ、は……っ!」
クッション越しに、必死に抑える。
(音……出すな……)
(絶対に……)
⸻
——ゴホッ。
その瞬間。
手に、何かが落ちた。
「……っ」
視線を落とす。
暗い中でも、はっきりわかる。
赤。
(……はは)
乾いた笑いが、喉の奥で止まる。
「……マジかよ」
吐血。
それも、はっきりとした量。
ごまかしようがない。
(……ああ)
理解する。
嫌でも。
(終わり、近いな)
ずっと、どこかで思ってた。
でも——
“実感”はなかった。
ただの言葉だった。
余命半年。
数字だけの話だった。
それが今——
「……っ」
現実として、突きつけられる。
⸻
体の震えが止まらない。
痛みじゃない。
恐怖でもない。
もっと、重い何か。
(……死ぬのか、俺)
その事実が、静かに沈んでいく。
(……やだな)
ポツリと、心の中で呟く。
(まだ)
(全然、足りねぇよ)
思い浮かぶのは——
美憂。
笑ってる顔。
拗ねてる顔。
今日の「やだ」って言った声。
「……っ、くそ」
拳を握る。
(なんでだよ)
(今さら)
(こんなに——)
好きだって、気づくのが。
⸻
床に座り込んだまま、顔を伏せる。
「……言えねぇだろ」
声にならない声。
(こんな状態で)
(好きだなんて)
(言えるわけねぇ)
未来がないのに。
約束も守れないのに。
(縛るだけだろ)
あいつを。
苦しめるだけだろ。
⸻
「……はぁ」
ゆっくり息を吐く。
血を拭う。
震える手で。
(……だから)
目を閉じる。
(最後まで)
(普通でいろ)
決めたはずだ。
最初から。
(あいつには)
(最後まで、笑っててほしい)
⸻
ふと、視線を上げる。
リビングの窓。
外はまだ、暗い。
でも——
(朝は来る)
当たり前みたいに。
何も知らない顔で。
(……明日も)
(普通に話す)
(普通に笑う)
(普通に——)
「……っ」
一瞬、息が詰まる。
(できんのかよ、それ)
さっきの状態で。
この体で。
⸻
それでも。
ゆっくりと立ち上がる。
足は、少しふらつく。
でも——
「……やるしかねぇだろ」
小さく呟く。
誰にも聞こえない声で。
⸻
静かに、部屋へ戻る。
音を立てないように。
何事もなかったみたいに。
ベッドに倒れ込む。
天井を見つめる。
「……美憂」
小さく、名前を呼ぶ。
届かないのに。
(……もうちょいだけ)
(時間、くれよ)
目を閉じる。
その願いが叶う保証なんて、どこにもないのに。
⸻
その夜。
“誰にも知られないまま”、
確実に一歩、終わりへと近づいていた。
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