「ん、お嬢様にはやっぱりこれですかね」
そう言って、ミレナがフワフワに広がるスカートのついたドレスを手に取ると、ジーナが首を振った。
「そのプリンセスラインもいいですが、今回はこちらにしましょう」
部屋のクローゼットから取り出されたのは女性らしい印象の小さなドレスで、先ほどのものよりもウエストの締め付けが楽そうだった。
「お食事ですし。まだ10歳ですから身体のラインをみせるより着心地のよさです。エンパイアラインなら身長が低くてもすらっと見えますし」
クローゼットから出てくるのは令嬢の身体に合わせたサイズのドレスばかり、ここまでくると令嬢もこの部屋が誰の部屋なのかわかってきた。
ここ、わたしの部屋だったんだ。
「ドレスの少なさに驚かれましたか? ご安心ください。隣の一室を衣装部屋にする予定ですので、すぐに増えます。さ、お着替えを」
自分なんかがこんなに大事にされていいのかな? と戸惑ううちに、あれよあれよと淡いピンク色のドレスに着替えさせられる。
鏡を見て一言。
「…………お姫様だ」
実家のヴィドール家にいた時もドレスを着る時はあったが、それは義姉アンナと比べられるため。サイズの合わない義姉のおさがりばかりで、着ているというよりは着せられているようだった。
でも、今回は違う。
令嬢の為に用意されたドレスだ。
「アベル王子の婚約者ですから、いずれはお姫様ですねえ」
ミレナがにまにましながら髪を梳くと、令嬢は赤くなった。ジーナが真剣な顔で薄く化粧をのせていくと、みるみるうちに顔の傷が消えていく。
役割分担ができているようで、すべての動作が手早い。
このままだとこの時間はすぐに終わってしまう、そうしたらもうこの二人には会えないのだろうか、そう思うと令嬢は不安になった。何か、一言、ありがとうと言いたい。
「あの、お風呂。ありがとうございます」
口を突いて出たのはそんな言葉だった。
ほんの僅かな、一瞬も満たない時間ジーナとミレナの動きが止まり、化粧を整えていたジーナが謝罪した。
「勝手なまねをして申し訳ございませんでした」
ミレナも頭を下げている。謝られるようなことは何もしていないのに。
令嬢は不思議に思ったが、鏡越しの二人を見て合点がいった。
言いにくいことを言わないようにして、言えないからこそ謝っているのだわ。
ぼんやりと、そんなことを思う。ぼんやりとしているのにこれは正解なのだという確信があった。
考えてみれば意識がない令嬢を勝手に脱がせて風呂に入れるというのはよくないことかもしれなかった。そうだとしても、お風呂に入れなければならなかった理由は何?
凍りついた記憶が少し溶けて、心臓がずきりと痛む。
血管すべてが脈打つような、毒の痛みを思い出す。
ああ、そうだ。わたしは毒を飲んだのだ。
なぜ飲んだかはわからないけれど、毒を飲んだ。
そこにメイドたちがやってきて、お湯を沸かして、お風呂に入れてくれた。そしたら不思議なことに、脈打つような毒の痛みが引いたのだ。
記憶の中でちぢれた緑髪のミレナがこう言っていた。
「これは海系の毒かもしれないっす! 熱で解毒できる可能性があります! かもしれない、ですが」
「構わん、湯を沸かせ。服はそのままでもいい! 最優先でだ!!」
必死さが滲む、アベルの言葉も思い出す。
ああ……ああ、この人たちは!!
この人たちは、わたしが毒のことを思い出さないように気遣っているのだ!
命を救っておきながら、自分の手柄であるにも関わらず、謝罪している。
わたしにはそんな価値なんてないのに。
そこまで考えて、令嬢は思い直す。
あなたたちがしたことは無意味で、無価値な人間を生かしただけでしたと告げて、何になるだろう? がっかりさせるだけだ。
父と同様に、この二人の中にも物語があるのだ。二人は世界とはこういうもの、世界とはこうなるべき、という心のあり方に縛られている。それは個々人が持つ常識と呼ばれるものだったが、令嬢はそれを物語として認識していた。
二人の中では、令嬢は頭を下げるべき相手。
令嬢自身はそうでないと思っていても、二人にとってはそうだった。
(誰だって、自分の物語を否定されたくないものね)
こんなにすごい二人が命を救う人物は、きっと無様に泣いたりしない。胸を張っていて、自信に満ちていて、堂々としているはずだ。
なら、返す言葉は決まっている。
二人が描く物語の人物として、令嬢は振る舞おうとした。
「いいのよ。頭を上げて頂戴」
思いの外、はっきりとした声が出て、自分でも驚く。
さっきまで泣いていた女の子らしからぬ声だった。
「これからもよろしくね」
自信はない、なくても自信があるかのように振る舞う。仮初の拙い仕草。
それでも、ここに令嬢を否定する者は誰もいない。
捨て石として望まれたなら、捨て石らしく。
令嬢として望まれたなら、令嬢らしく。
ただ周囲の大人に望まれるがままに振る舞いを変える、何者でもない、ただの子供がそこにいた。
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