放課後になると一人図書室へと足を運ぶ。定時ダッシュを決めるサラリーマンのように一番乗りを勝ち取ると、私は読みかけの本を読むためすっかりお馴染みの本棚へと向かった。
そして、目的の本を取るといつもの定位置へ向かう。だが、そこにはすでに先客がいた。
あのふわふわの頭は……うん、やっぱり今牛くんだ。途中、教室から姿が見えなくなったと思ったらこんなところにいたのか。
机とこんにちはしてすやすや眠っている彼の隣に並ぶと、相変わらず綺麗な顔をしてるな、と私は眺める。
すると、ゆっくりと閉じていた今牛くんの瞼が開かれた。ぼーっとした瞳のまま、今牛くんの視線がこちらを向く。私はそんな彼に向けてにこりと笑みを返した。
「おはよう今牛くん」
「…………誰?」
おそらくクラスメイトの一人も名前を覚えていないだろう彼に、私は「同じクラスだよ」と呼びかけた。ついでに名前も伝えてみる。ピクリとも今牛くんの表情は動かない。
「知らない」
「だよねー」
予想通りの返事にもはや賛同の言葉しか出てこなかった。未だ夢心地のままゆらりと体を起こした今牛くんは、大きく口を開けて欠伸をこぼす。
それを横目に捉えながら、私は今牛くんが座る席の隣の椅子を引いてそこに腰を下ろした。隣からの視線は気にせず、手に持っていた本を開く。
「……なんでオマエそこ座んだよ」
「定位置だから」
「変えろ」
「無理かな」
わざわざHRが終わってすぐにダッシュして図書室へ向かったのは、この位置を勝ち取るためである。
あいつもこいつもこの席をただ一つ狙ってるわけではないが、今読んでいる本がある本棚から一番近い席なので、ここであれば取って座るのも早ければ本棚へ戻すのも早い。最も長い時間本を読める場所を導き出した結果が、この席なのである。
今牛くんからは不服そうな表情を返されたが、特に気にすることなく前回の続きのページを開く。昨日ちょうど良いところで退室時間になっちゃったから、ずっと続きが気になってたんだよね。本を持ち帰るの重いからしたくなかったし、今日はお昼休みも日直で来れなかったから待ちに待ったご対面である。
ニコニコと笑みを浮かべながら読み進めていると、隣から「なあ」と声をかけられる。基本他人に興味のない今牛くんから声をかけられるとは思わなかったので、驚いて視線を横へ向ける。そこには、まだ寝惚けているような目で頬杖をついてこちらを見上げる今牛くんの姿があった。
「なに? 今牛くん」
「それ、そんな面白いワケ?」
「読んでみる?」
「読まねぇ」
「だよねー。知ってた」
「あ?」
授業でさえまともに聞かない今牛くんが本なんて読まないだろうな、と思えば案の定。なんか睨まれた気もするが、睨まれる理由が特に浮かばないのでスルーして視線を再び本へ戻す。だが、ふと思い立って私はまた今牛くんの方へ視線を向けた。
「今牛くん、この本に出てくる義経に似てるね」
「で?」
「源義経。知らない? 子供の頃は牛若丸って名前だったんだけど、今牛くんの名前そっくりだよね。あ、ワカ様って呼んでいい?」
「やめろ」
トンと頭に手刀が落とされる。普通に痛い。今牛くん冗談が通じないタイプの人なのかな。刀が封じられた時代だからって、そんな手でリアルに刀を表現してくれなくても良いのに。今牛くん親切なのか不親切なのかよくわからないね。
「今牛くん図書室は暴力禁止だよ」
「軽い挨拶だろ」
「へえ、どこの国の挨拶かな?」
「日本」
「そっか。違う国に住んでるんだね」
今牛くん人の冗談通じないのに冗談とか言うんだ、と勝手に感動していると眉間を寄せた今牛くんがユラっと席を立った。見上げるように私も彼へ視線を送る。
「どこいくの」
「帰る」
「そっかまたね今牛くん」
本を持ったままなので手を振れないが、心の中で手を振って見送る。興味のなさそうな目で無言を返してきた今牛くんは、その後はこちらを見ることなく図書室を出て行ってしまった。
今牛くんの姿が見えなくなると、私はまた手元の本へ視線を戻す。
やっぱり、牛若丸好きだなぁ。
休日は図書室もやっていないので、金曜日に読みかけた本の続きを読もうと私は近くの図書館へと向かっていた。
すると、建物の影から賑やかな声が聞こえてきたので、なんのお祭りだろうかと私は興味本位で足をそちらに向けた。ひょこっと顔を覗かせた先には、大絶賛大乱闘中な今牛くんの姿があった。
今牛くん、いつもぼーっと眠そうにしているだけなのに、今日はすごいいい笑顔だね。お祭りっていうか相手の人血祭りに上げているけど。身軽に飛び跳ねては相手に蹴りを入れて、今牛くん本人だけはすごく楽しそうだ。
今牛くんって喧嘩強いんだー。すごいなー、と感心しがら見ているとふいに今牛くんの視線がこちらを向いた。バッチリと目が合う。今日は本も持っていないので、笑顔で手を振ろうとすればその前に目線を逸らされてしまった。相変わらず他人に興味がないらしい。
その後も、遠慮なくボコスカと相手を蹴ったり殴ったりしていた今牛くんは、一対複数だったのにも関わらず悠々と一人だけ無傷で立っていた。
最後の一人の襟元を掴んでいた手をパッと離すと、今牛くんはいつもの無表情に戻って、急にやる気のなくなったようにゆらりと歩き出す。
「あ、待って今牛くん」
特に彼に対して用事はなかったが、なんとなく引き留めてしまった。せっかくなので物影から身を乗り出して今牛くんの近くへ寄る。ゆっくりと足を止めた今牛くんは緩慢な様でこちらを振り向いた。
「………….誰?」
「同じクラスのクラスメイト。てか、それこの前図書室でも聞かれたね」
「図書室……? あー……ああ、あの変な女」
「本人目の前にしてよく変とか言えるね」
「オマエこそ、よくオレに話しかけられるな」
「ん? だってクラスメイトだし。声くらい掛けるよ」
「さっき、見てただろ」
普段の気怠げな姿とは一変、今牛くんからは鋭く冷たい視線が向けられた。どうやらさっき目が合ったことはちゃんと認識してくれていたらしい。嬉しくなってつい笑みをこぼしてしまう。
「そうだね。あ、てか今牛くんって喧嘩強いんだね。なんか殴られたら倒れそうな印象あった」
「本人目の前にしてよく言えんな」
「お互い様だね」
クスクスと笑みをこぼせば、口をへの字に曲げてなんとも言えない表情を浮かべてきた今牛くんが「ハァ」とため息をこぼした。そのままこちらへ背を向けて歩き出してしまうので、私は駆け寄るように近づいてユラユラ歩く今牛くんの隣に並んだ。
「今牛くん駄菓子屋行かない?」
「行かない」
「じゃあ和菓子屋さんは?」
「行かない」
「ケーキ屋は?」
「行かない」
「ならやっぱり駄菓子屋さんね。因みに私のおすすめはねー」
「……ハァ」
今度ははっきりとあからさまなため息が落とされる。お気に入りのラインナップを頭に浮かべていた私は、視線をそっと隣の今牛くんへ向けた。
「ため息ばっかりじゃ幸せ逃げちゃうよ」
「吐かせてんの誰?」
「え、私かな?」
「自覚あるのかよ」
「だって今牛くん私が喋ったら吐いてくるし」
「分かってんならどっか行けよ。ついて来んな」
そう強めに言うとゆっくり歩いていた今牛くんは、少しだけ早足に進んで行ってしまう。私は慌てて彼を引き留めるために声をかけた。
「今牛くん!」
「あ? だから」
「駄菓子屋、そっちじゃなくてこっちだよ」
苛立った様子でクルリとこちらを振り向いた今牛くんが何かを言う前に、私もまた大事なことを彼へ伝える。一度開いた口を閉ざした今牛くんは瞳を細める。痛いほどの視線が突き刺ささった。
「…………ハァ」
なぜか、今日一番の大きいため息が返された。今牛くん喧嘩したばかりで疲れてるのかな。そんな時にはやっぱり甘い物、と思った私は道を間違えないよう彼の手を掴むとそのまま一緒に駄菓子屋へと向かった。
「今牛くんこれ美味しいよ」
「知ってる」
「そっか。気が合うね」
「合わない」
それから三度目に声をかけた頃には今牛くんも私の顔を覚えていてくれて、それからも何度か声をかけ続けていると今牛くんはついに私の名前を覚えてくれた。初めて自分の子供に名前を呼んでもらえた父親くらいの感動である。
嬉しくて私はそれからも今牛くんを見かけるたびに、飽きることなく声をかけ続けた。
大半が眠そうな顔で無視をしてきた今牛くんだけど、何度かめげずに声をかけ続ければ、少しずつ返事を返してくれるようになった。
その頃には、私も「今牛くん」から「ワカくん」と呼ぶようになっていて、すっかり私たちは友達になっていた。
「ワカくん」
「ん?」
今日も偶然街であったワカくんを見つけて、私は彼へ声をかけると駆け足で近づいた。一度その場で足を止めたワカくんは目線だけでこちらを振り返ると、「ああ、オマエか」と気怠げな顔を向けてくる。
「これから喧嘩?」
「そう」
「勝つ?」
「決まってる」
「さすがだねー」
今牛くんからの返事はいつも通りで、連勝記録を更新し続けているらしい彼に私はニコニコと笑みを返す。
「じゃあ、今日も勝ったら飴ちゃんあげるね」
「いらない」
「味は何がいい? コーラとかコーラとかコーラがあるよ」
「じゃあサイダー」
「うん。コーラね」
胡乱げな目を向けてくるワカくんにニコニコと返せば、すっかりお馴染みのため息がこぼされる。私はその場でパンと手を叩くと、えいと思い切り腕を伸ばし、ワカくんの方へ両手の手のひらを向けた。
「……何してんのオマエ」
「幸せ逃げちゃってたからお返ししようと思って」
あっそ、と興味なさげに返してきた今牛くんは無表情のまま右手を上げると、そっと私の左の手のひらに手を合わせてきた。何がしたいのかよくわからなくて、私は小さく首を傾げた。
「何してるのワカくん」
「せっかくだから貰っといたワ」
相変わらずの眠たそうな顔でさらりとワカくんは言うけれど。まさかの反応に飛び跳ねるように嬉しくなった私は、そのまま彼の手を包み込むように両手で握りしめた。
「ついでに私の幸せもお裾分けするね!」
「それはいらねぇ」
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