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「沙雪!」
もう少しで駅に着くという時、大声で名前を呼ばれた。声の方を振り返ると、蓮が駆け寄って来るところだった。
「……蓮」
「何度も呼んでるのに、無視すんなよ」
私の前で止まった蓮は、不機嫌に言う。
「……ごめん、全然気づかなかった。それよりこんな所で何してるの?」
考え事をしていたせいか、本当に聞こえていなかった。蓮は更に気分を悪くしたようで、顔を歪めた。
「何してるって、お前を迎えに来たに決まってるだろ……行くぞ」
蓮はくるりと身を翻すとどんどん歩いて行ってしまい、私は慌てて後を追いかけた。
まさか迎えに来てくれるなんて思ってなかった。でも蓮が来てくれた事が嬉しかった。
少し前に、蓮に頼りすぎない様にしようと決心したばかりなのに、もう気持ちが揺らいでしまいそうだった。
ミドリと会ってから、一週間が過ぎた。
今のところ雪香達が見つかったという連絡は無く、私は変わりない生活を送っている。
あの日ミドリから聞いた話は、その日のうちに蓮に話した。
蓮はかなり驚いていたし、ミドリの言い分に納得していなかった。
彼の性格を考えると、直接ミドリに話をしに押しかけている可能性がある。
でも私には何の報告も無かったし、私からも聞いていない。
気にならないと言ったら嘘になるけれど、これ以上雪香の問題に深入りしない方がいいだろうから。
ミドリから言っていた通り、雪香が戻れば私の環境は変わる。
今は何かと関わって来る蓮も私に構っている暇はなくなるだろう。
だから私は雪香たちを気にするより、自分の今度についてしっかり考えなくては。先延ばしにしていた転職に本腰を入れて頑張ろう。
とは言え、なかなか思うようにはいない。
「……はぁ」
仕事後にアパートの部屋で仕事の検索をしていた私は、憂鬱な気持ちになり溜め息を吐いた。
求人サイトをくまなく見ても応募したくなるような求人は一つも無い。
ときどき有っても、応募資格がなかったりで、エントリーすら難しい状況だ。
早く正社員になって、安定した身分を得たいのに。
気分転換にキッチンで紅茶を入れて、一息ついていると、微かにクラッシックの音楽が聞こえて来た。
三神さんが、また聴いているようだ。
最近は以前のように、大音量ではなから害はないけれど、いつも同じ音楽……しかもクラッシックということが気になる。
この曲は三神さんにとって何か意味が有るのだろうか。
今度、何ていう曲なのか調べてみようかな。
三神さんとの部屋を遮る壁に目を遣りながら、ぼんやりと考えていた。
それからも仕事を探していたけれど、理想の仕事は見つからなかった。
がっかりしながらも、ある程度妥協して数社に申し込みをしては返事を待つ。
そんなある日、久しぶりに直樹から連絡が来た。
スマホが着信を告げるものの、私はすぐに出られなかった。
直樹には、雪香の失踪に関して新たな情報が入ったら知らせると約束していた。
でも判明した事実は、婚約者である直樹にとっては最悪だった。
だからなかなか報告が出来ずにいた。彼はいつまでたっても音沙汰ないことに苛立って、連絡して来たのかもしれない。
雪香の件、何て言おうか……憂鬱な気持ちになりながら応答する。
「はい」
「沙雪? 俺だけど……」
予想に反して、直樹の声は穏やかだった。用件はクレームではない?
「……どうしたの?」
私は用心しながら尋ねる。
「明日空いてるか? 話が有るから会いたいんだけど……」
直樹は珍しく、遠慮がちに言う。
「話って何? この電話じゃ駄目なの?」
出来れば会いたくない。
「大事な話なんだ。明日用事が有るのか?」
「今、就職活動してるから忙しくて……」
「就職活動? 今の仕事を辞めるのか?」
直樹はなぜか私の転職話に、敏感に反応して来た。
「すぐにって訳じゃないけど」
「それなら明日なんとか空けてくれよ。大事な話なんだ。沙雪の転職話にも少し関係して来る」
「私の仕事に?」
ますます直樹の意図が分からなくなる。
「ああ、悪い話じゃ無いし心配しなくていいから」
「今言えないの? 気になるんだけど」
「大事な話って言ったろ? 都合つけろよ」
警戒する私に、直樹は苛立ったような声を出した。
「何その言い方、頼んでるのは直樹の方でしょ?」
直樹の態度に私も苛立ちを感じ、固い声を出した。
「……ごめん、でもどうしても早く話したいんだ」
直樹がこれほど急ぐ話とは何なのだろう。
雪香の関係だろうけど、私の就職に何の関係が?
悪い話じゃ無いと言われても、素直に信用出来ない。
「沙雪?」
黙ったままでいると、しびれを切らした直樹が呼びかけて来た……やけにしつこい。
別れてからこんな事は初めてだ。断っても、食い下がられそうな気がする。
「……分かった。仕事帰り、前に会った店で」
憂鬱な気持ちでいっぱいになりながら答えた。
終業後、直樹と待ち合わせをしている店に向かった。
「お待たせ」
窓際に座っている直樹を見つけて近寄る。
「あ、思ったより早かったな」
今日の直樹は機嫌が良いようで、私にも爽やかな笑顔を向けて来た。
「残業が無かったから」
答えながら直樹の前の席に腰掛けた。
こうして直樹と向き合っていても、気持ちが乱れない。
別れてから直樹に会う度に感じていた、悲しみや悔しさ、そういった激しい感情が今日は湧いて来なかいのことに驚いた。そんな心情を隠し直樹に問いかける。
「それで話って何?」
「そうだな……いろいろ有るんだけど、まずは雪香の話だ」
「何か分かったの?」
「雪香とは婚約解消になった」
「え?!」
私は驚き、思わず高い声を上げた。
そんなことになっているとは、予想もしていなかったから。
直樹は華やかで美しい雪香に夢中だった。だからこんな状況でも、婚約解消はしないと思っていたのに。
「……どうして? もしかして雪香から連絡が有ったの?」
婚約解消して欲しいと、はっきり言われたのだろうか。
「違う。雪香からは一度も連絡なんて来ない。それで一昨日雪香の実家に行って、お義父さんと話し合った。そこで婚約解消に合意したよ」
「……でも、どうして」
思いもしなかった展開に戸惑っていると、直樹が少し気まずそうな表情で口を開いた。
「それで……俺は沙雪とやり直したいと思ってる」
「……!」
あり得ない発言に大きな衝撃を受け、私は言葉を失った。
「沙雪、話聞いてる?」
黙り込んだ私の様子を窺うように、直樹が声をかける。悪びれないその態度が信じられなかった。
「聞いてるけど、驚き過ぎて言葉が出てこない」
私の言葉に、直樹は納得したように相槌を打つ。
「分かるよ、沙雪にとっては突然の話だろうし……でも俺は前から考えてたんだ」
「前から考えてたって、私との復縁を?」
「ああ」
「……いつから?」
「沙雪と一緒に雪香の友達に会った日から、あの日の事覚えてるだろ?」
私は険しい表情のまま頷いた。
直樹の言っている日の出来事を思い出したのだ。
あの日、雪香の思いの外乱れた異性関係を初めて知り、直樹はショックを受けていた。
だけど、まさかそんなにあっさり気持ちを切り替えるなんて……。
好きだからこそ、雪香の異性関係が許せないのだろうか。
その気持ちが少しは分るし、婚約解消も直樹の自由だ。
でも雪香と別れるからって簡単に私のところに戻って来ようとする態度には怒りを覚えた。
私を都合良く扱おうとする直樹が許せない。
「はっきり言っておくけど、私は直樹とやり直す気は無いから」
睨みながらそう告げると、直樹は驚き動揺した。
その態度は私が断るとは思ってもいなかったということ?
どこまで馬鹿にしてくれるのだろう。
胸に広がって行く怒りが、私を攻撃的な気持ちにする。
「今更よくそんなことが言えるよね? 自分の発言を理解しているの?」
キツい口調で責めると、直樹は落ち着きがなくなった。
「雪香が駄目になったからって私に戻って来ようなんて、そんな都合いい事何で平気な顔して言えるわけ!?」
言葉にしてしまうと、更に感情が高ぶっていき、抑えられなくなっていた。
「直樹、雪香が本気で好きだったんじゃ無いの?!」
「お、おい、落ち着けよ」
叫ぶ私を、直樹は周りの目を気にしてか必死に宥めようとする。
「無理に決まってるでしょ?」
直樹を睨みつけて言い返しながらも、私は落ち着きを取り戻そうと深く息を吐いた。
直樹は気まずそうに言う。
「ごめん前置きも無く話して……そんなに驚いて怒るとは思わなかったんだ」
その台詞に、私は思わず笑いそうになってしまった。ここまで人の気持ちが解らない人だっただろうか。
つき合っている時は、優しいところが好きだったのに、今は優しさの欠片も感じられない。
「怒らないと思ったって……そう言う直樹が信じられない、頭おかしいんじゃないの?」
酷薄に笑って言うと、直樹はムッとしたように顔をしかめた。