涼ちゃんの誕生日から1週間もたたないうちに元貴から連絡があり、俺達は久しぶりに事務所へ向かった。
「来たね。座って」
ミーティングルームに入ると既に元貴が居て、机を挟んで正面の席に座するように促される。
隣の椅子に腰を下ろした涼ちゃんから明らかな緊張が伝わって来て、思わず手を伸ばしてその背中をポンと叩いた。強張った顔がこちらを向いて、僅かに微笑んでくれる。
「そんなビビんないでよ」
元貴が涼ちゃんに笑いかけて、手元にあったタブレットをこちらに向けた。
「7月8日にフェーズ2の開幕を予告しようと思う。と言っても実際に動き出すのは来年になるし、まだ2人が脱退した事も発表しない。ティザーだけ出そうと思ってて、今こんな感じで作ってもらってるんだけどさ……」
タブレットでティザー映像の画コンテと思われる画像を見せながら話し続ける元貴に、ちらりと涼ちゃんの方を見る。
あぁ、ほら。目も口もめちゃくちゃ開いて固まっちゃってるじゃん。
「元貴」
「ん?」
「ちょっと、早いわ展開が。ごめんだけど話が全然入って来てない」
タブレットから目を上げて俺と涼ちゃんの顔を交互に見、ようやく事態に気がついた元貴があぁ、と呟く。
「ごめん、すっ飛ばしちゃった。りょうちゃん、びっくりしたね?」
名前を呼ばれた涼ちゃんがはっと我に返って、細かに首を振る。
「ごめんおれこそ…うん、ビックリしちゃって。………えっと、活動再開、するんだね?」
「うん、しよう。ありがとう、俺に時間くれて」
「……ッ、とんでもないよ………」
涼ちゃんの目からボロボロと涙が落ちる。
元貴は眉を下げて困ったように微笑み、立ち上がって涼ちゃんの隣までやってくる。少し身を屈めて横から涼ちゃんをぎゅっと抱きしめると「ありがと」と優しい声で囁いた。
涼ちゃんは元貴の腕に両手を添え、何度も首を振る。顔中を真っ赤にして涙を流しながら、「よかった……」と笑った。
そんな感動的な光景を間近で見た俺は、元貴と涼ちゃんの間にある、俺には立ち入ることができない深い絆を見せつけられた気がして動けずにいた。
元貴が背中側の腕を涼ちゃんに回したまま片手で机の上のティッシュ箱を取って涙と鼻水を拭いてやっている。
「りょうちゃん絶対泣くと思ってティッシュ用意してたのよ」とからかう元貴に、「もー!…いや正解だったけども」と恥ずかしそうに笑う涼ちゃん。
彼が嬉しそうで俺も嬉しいのに、その笑顔を引き出したのが自分でないことに胸の奥深くが重くなるのを感じた。
涼ちゃんの涙が止まって、元貴が元の位置に戻ると説明が再開された。
「フェーズ2はただのバンドに留まらず、もっと幅広くエンタテインメントをやっていくよ。拡大と拡張、もっというと爆発…そんなイメージ。これまで以上に2人にも挑戦してもらわないといけない事が増えると思う。……ついて来てくれるかな」
珍しく弱気なトーンで問いかけられ、俺も涼ちゃんも間髪入れずに頷く。
「当たり前だろ」
「勿論だよ!」
俺たちの声が重なり、元貴は安堵を隠すように唇をぎゅっと引き結んでから続けた。
「当然一番は良い音楽をちゃんとやるってことだけど、ビジュアルももっと華やかにしたい。引き継ぎボディメイクに注力してもらって、メイクも勉強しよう」
元貴の言葉に一つずつ頷きを返す。
「忙しくなるから、今のうちに2人の新居も決めないとね」
「え………」
涼ちゃんの口から驚いたように声が漏れて、元貴が動きを止める。俺も彼の方に視線を向けた。
「あ、ごめん……そうだよね、もう一緒に住む必要なくなるもんね」
へへ、と笑った涼ちゃんが元貴に先を促す。
これからのプランを話す元貴の声を聞きながら、俺は涼ちゃんも少しくらい寂しく思っていてくれたらいいなと頭の隅で思っていた。
話が一段落した頃、元貴がマネージャーを呼んだ。すぐに部屋に入って来たマネージャーの手には物件の間取り図が印刷された紙が沢山あって、俺達は早速新居を選ぶようにと告げられた。
「え、準備よすぎない?」
俺が戸惑った声を出すと、元貴が笑顔を向ける。
「もうあの家、退去連絡してもらっちゃったんだよね。だから来月中に引っ越してね」
「は?来月中?!」
「嘘でしょ!」
俺と涼ちゃんの慌てる声に元貴が高笑いする。
俺達は顔を見合わせ、小声で元貴の無茶振り久しぶりだね、と苦笑し合うと間取りの紙に手を伸ばした。
途中でマネージャーが買って来てくれた夜ご飯を食べながら、俺達はどうにかそれぞれに好みの物件をいくつか選び、後日内観できるように調整をお願いして帰路についた。
マネージャーが運転する車内で、涼ちゃんは感情の読めない表情でぼんやりと窓の外を眺めていた。
家に着き、マネージャーにお礼を言って車を見送る。先に玄関に入った俺が「ただいまー」と言いながら靴を脱いでいると、後ろにいる涼ちゃんに呼ばれた。
「若井………」
不安げなその声に顔を上げると、涼ちゃんが泣きそうに顔を歪めてこちらを見ていた。
「え、ど、したの………」
驚きすぎてつっかえる言葉をなんとか吐き出して、彼の手にそっと触れる。
ピクリと震えた手はいつもより冷たかった。
「……気持ちが落ち着かなくて………ごめん、今日俺が寝るまで、一緒にいてくれないかな………?」
環境の変化に弱い彼だ、今日は次から次へと色々な情報が与えられたから、感情が乱高下しているのかもしれない。
「もちろん良いよ、ねぇ、めっちゃ手冷たいよ?車内寒かった?先にお風呂入ってきな、湯船にお湯ためる?」
狼狽えてまくしたてると、少し表情を緩めてくれた。
「ありがと……行ってくる」
靴を脱いで浴室に向かう彼を見送り、俺はキッチンに向かった。
リビングの扉が開いて、頭にタオルを乗せた涼ちゃんがキッチンにやって来た。さっきよりは随分表情が柔らかくなったように見える。
「お先にいただきました〜」
「はーい、おかえり。ちゃんと温まった?」
「うん、ありがと」
小さく笑う彼にほっとする。また頭乾かしてないな、と頭の上のタオルに手を伸ばしてワシワシと拭いてやる。
「ちゃんとドライヤーしなってば。俺がやってあげようか?」
「わ、大丈夫だよ〜子供じゃあるまいし」
ふは、と可愛らしい笑い声が上がる。
「そ?じゃあ俺もシャワー浴びてこよ。…あ、これ良かったらどーぞ」
俺はレンジからマグカップを取り出して、最後の仕上げをひと匙垂らすとかき混ぜながら涼ちゃんに差し出した。
「え?何これ。いい香り…」
「ホットミルクに蜂蜜とブランデー入れましたー。こないだ誕生日会に誰かが持ってきて残ってたやつ」
ブランデーのボトルを持ち上げて見せる。俺はあまりお酒を飲まないから、何か使い道ないかなって調べた時にレシピ見つけてたんだよね。今日はビールとか飲んじゃうよりこっちの方がよく寝られるんじゃないかと思う。
「めっちゃ美味しそうじゃん………若井、ありがとう」
ふんわりと微笑んで言われ、嬉しさと胸の高鳴りが押し寄せる。なんつー可愛い顔すんの。
俺は照れ臭く笑いながら、浴室へ向かった。
手早くシャワーを済ませてルームウェアを着るとすぐ涼ちゃんの元に戻りたくなるけど、彼に言った手前自分は濡れた髪で戻る訳にはいかない。 ドライヤーをかけてきちんと髪を乾かしてからリビングに向かった。
「涼ちゃん、もう寝る?」
「……ん」
ソファの上で膝を折って座り、マグカップを両手で持っていた彼の目は既にトロンとしていて、ホットミルクが効いたかな?と目を細める。
マグカップの中身はもう無かったから、俺が貰い受けてキッチンへ運ぶ。ざっと水で流すと洗うのはもう明日でいいや、とそのままシンクに置いておいた。
ソファに戻って涼ちゃんに手を差し出す。
「はい、お待たせ。」
無言で涼ちゃんの手が重なり、きゅっと握られる。手を引いて立ち上がらせると、手を繋いだままリビングを出て階段を上がった。涼ちゃんの部屋の前で入室のお伺いをたてるように後ろの彼を振り返る。
涼ちゃんは自分でドアを開け、俺の手を引いて中に入った。もしかしたらもう1人で大丈夫ってドアの前でバイバイされるかもと思ったから、嬉しいようなくすぐったいような気持ちになる。
ナイトライトを付けて、涼ちゃんがベッドに横になる。俺は手を繋いだままその枕元の床に腰を下ろした。
「今日はほんと色々とビックリしたね。元貴、やるって決めたら急過ぎるんだよな〜」
「うん………でも、ほんとに良かった、ね?」
語尾が質問の調子だったから、彼を見てうん、と頷く。
「また一緒に音楽ができるね。でもこんなに長い間ギター触ってなくて、ちゃんと指動くかなって心配だわ〜」
「うん、俺も…指のマッサージはしてるけど、ちゃんと弾けるかな」
そう言われ、繋いでいる手を観察する。俺と同じくらいの大きさだけど、涼ちゃんの手はすべらかですごく柔らかい。俺の方が骨ばった感じかな。
「涼ちゃんって手まで可愛いよね、なんかほよんとしてる」
「え?!………あ、ありがと…」
そろりと手を引っ込めようとしている気配を感じてぎゅっと握り込む。
「さーて、眠るためになにが必要ですか?やっぱり子守唄かな?」
「え、また歌ってくれるの?」
「いつでも歌いますよ〜、何がいい?」
ふふふ、と笑って涼ちゃんが目を閉じる。
「どこかで日は昇る、お願いしまーす」
「任せろ、今日の為に練習しといたぜ!」
本当に〜?と笑う彼を見ながら、徐に口を開く。 本当に練習したんだよね、キーとテンポを落とした子守唄アレンジ。いつかギターも弾きながら聴いてほしいなって思いながら歌う。
やがて彼の呼吸が深くなり、握った手の力が抜けていく。彼がすっかり眠ってしまうまで、俺は子守唄を歌い続けた。
コメント
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💙の子守唄、素敵です☺️✨ そして、ひっそり♥️と💛ちゃんの関係性にヤキモチ焼いちゃうとこも好きです🫶