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【小さな相棒】
episode3
翌日。
雨はすっかり上がっていた。
空は少しだけ曇っているけれど、昨日のような重さはない。
分校の教室には、いつもの空気が戻っていた。
「見て見て〜!」
こさめの声が響く。
その足元には、小さなサメ――ここさめ。
ヒレについた雫のピアスが、光を受けてきらりと揺れる。
「……マジで連れてきたのか。」
なつは少し呆れたように言う。
その足元では、つなまるが静かに座っていた。
相変わらず落ち着いた目で周りを見ている。
「だって可愛いでしょ!」
こさめは満面の笑みだ。
「まぁ……否定はしねぇけど。」
なつは小さく肩をすくめる。
そのやり取りを、少し離れた席から見ていたのが――いるまだった。
机に肘をつきながら、ぼんやりとその様子を眺めている。
足元には、小さなくま。
サングラスをかけた、いるべあ。
特に何をするでもなく、静かに座っている。
「いいなぁ、新入り。」
らんが興味深そうに覗き込む。
「ほんとだね。最近そういうの多いよね。」
みことも頷く。
「なつくんも拾ったしね〜。」
「……言うな。」
こさめの言葉に眉を寄せる。
教室に、くすっとした笑いが広まる。
「うぁあ!すちくん!起きてぇ、もうちょいで五限目やで!!」
「んぇ?」
端の席で、机に突っ伏して眠っている緑髪の生徒――すちがぼんやりと顔を上げる。その頭の上には同じく眠そうな羊がいた。
「すちもすくんも!!起きてぇ!!」
二人揃って眠そうで、それを止めるみことの声と呑気に欠伸をするすちの声が聞こえる。
「……そういえばさ。」
こさめがふと顔を上げた。
「確か、すちくんも気づいた時からすちもすくんが居たんだよね?いるまくんもそうなの?」
「……?」
急に話を振られて、いるまは少しだけ目を細める。
「いるべあってさ、拾ったの?」
その一言で。
空気が、ほんの少しだけ変わった。
静かに。
でも、確かに。
「……いや。」
いるまは、少しだけ間を置いてから答えた。
「気づいたら、いた。」
「え?」
こさめが目を丸くする。
「最初から、ってこと?すちくんみたいに? 」
「……たぶん。」
曖昧な言い方だった。
でも、それ以上の言葉は出てこない。
「覚えとらんの?」
みことが不思議そうに聞く。すちはまた船を漕いでいた。
「……覚えてねえ。」
短く答える。
嘘では無い。
本当に、覚えてない。
いつから一緒だったか。
どこで出会ったのか。
どうしてそばにいるのか。
何も。
「気づいたら、隣にいた。」
それだけは、はっきりしている。
いるべあは、相変わらず静かに座っていた。
サングラス越しに、何を見ているのかは分からない。
「ふーん……なんか不思議だね。」
こさめは首を傾げる。
「でも、いいなぁ。」
「……何が。」
「ずっと一緒って感じで!」
にこっと笑う。
その言葉に、いるまは少しだけ視線を落とした。
「……まぁな。」
小さく、そう返した。
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放課後。
帰り道。
いるまは一人で歩いていた。
足元には、いるべあ。
いつもと同じ距離感で、着いてくる。
特に話すこともない。
でも、それが当たり前だった。
「……。」
ふと、昼間の会話を思い出す。
“気づいたら、いた”。
それは事実だ。
でも――
「……ほんとか?」
ぽつりとつぶやく。
本当に、それだけだったのか。
何も覚えてないのは、少しだけ引っかかる。
思い出そうとすると、曖昧な感覚だけが残る。
小さい頃の記憶。
ぼんやりとした景色。
その中に――
確かに、いた気がする。
「……。」
足を止める。
いるべあも、ぴたりと止まる。
振り返ると、そこにいる。
当たり前みたいに。
「……お前さ。」
声をかける。
返事はない。
ただ、こちらを見上げているだけ。
「いつから、いたんだっけ。」
問いかけても、答えはない。
分かっている。
でも、聞きたくなる。
少しだけ、胸の奥がざわつく。
もし――
いなくなったら。
「……。」
その考えが浮かんだ瞬間。
妙に、嫌な感じがした。
落ち着かない。
空気が薄くなるみたいな、不安。
「……は。」
小さく息を吐く。
「バカらし。 」
自分で自分に言い聞かせる。
いるべあは、ここにいる。
それでいい。
それだけで――
その時。
視界の端から、ふっと姿が消えた。
「……は?」
振り返る。
いない。
さっきまで、足元にいたはずなのに。
「……おい。」
声を出す。
返事はない。
周りを見渡す。
道はいつもと同じ。
草むら、木、少し先の曲がり角。
どこにも、いない。
「……どこ行った。」
足が、勝手に動く。
さっき通った場所を戻る。
草むらをかき分ける。
「……おい、いるべあ。」
声が、少しだけ荒くなる。
返事はない。
胸の奥が、じわっと冷たくなる。
さっきまで、当たり前にいたのに。
それが、急に消えるだけで――
「……っ。」
思っていたより、焦っている。
呼吸が少し速くなる。
足音がやけに大きく響く。
「……どこだよ。」
低く呟く。
その時。
がさっと音がした。
振り向く。
草むらの中。
小さな影が、震えていた。
「……いるべあ。」
近づく。
そこにいたのは、やっぱりいるべあだった。
体を小さく丸めている。
わずかに震えているのが分かる。
視線を追うと――
その先には、小さな虫がいた。
「……。」
沈黙。
状況を理解するのに、数秒かかった。
「……は? 」
思わず声が漏れる。
いるべあは、ぴくっと肩を震わせた。
虫から目を逸らさないまま、固まっている。
「……お前。」
呆れたように息を吐く。
でも――
さっきまでの不安が、すっと消えていくのが分かった。
ここにいる。
ちゃんといる。
「……はぁ。」
しゃがみ込む。
そして、無言でいるべあを抱き上げる。
小さな体は、まだ少しだけ震えていた。
「……怖いの苦手なくせに、勝手に離れんな。」
ぼそっと言う。
返事はない。
でも、いるべあは少しだけ体を寄せてきた。
サングラスの奥で、きっと目を閉じている。
「……。」
少しだけ、強く抱き直す。
さっき感じた不安が、まだほんの少しだけ残っている。
でも――
「……まぁ、いいか。」
小さく呟く。
理由なんて、分からなくていい。
いつからいたのかも、どうでもいい。
今、ここにいる。
それだけで、十分だった。
「……帰るぞ。」
立ち上がる。
いるべあを抱えたまま、歩き出す。
夕方の空は、少しだけ明るくなっていた。
雲の隙間から、薄く光が差している。
その下を、二つの影が並んで伸びる。
言葉はない。
でも――
離れることは、もうなかった。
𝙉𝙚𝙭𝙩 ︎ ⇝♡30
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