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U虚.
ライブハウスの裏口は、やけに静かだった。さっきまで鳴っていた音が嘘みたいに遠くて、
代わりに自分の心臓の音だけがやけにうるさい。
冬星が、壁にもたれたまま煙草も吸わずに立っている。
ギターケースを足元に置いて、ただこちらを見ていた。
冬星「で、歌うんだろ」
試すみたいな言い方。
琉夏「……今ここで?」
冬星「逃げるなら別にいいけど」
その一言で、引き返す選択肢が消えた。
はぁ、と小さく息を吐いて、琉夏はベースケースを開く。
ストラップを肩にかけて、軽く弦を弾いた。
低い音が、夜に溶ける。
琉夏「曲は?」
冬星「ない」
即答。
思わず顔を上げる。
琉夏「は?」
冬星「今、作る」
当たり前みたいに言う。
意味がわからない。
でも、さっきの音を思い出す。
“外れているのに、成立している音”。
——できるのかもしれない、こいつなら。
冬星がギターを取り出す。
アンプもないまま、軽く弦を鳴らす。
乾いた音。
それなのに、空気が変わる。
最初のコードは、やっぱり少し歪んでいた。
気持ち悪い。
普通なら避けるはずの響き。
でも。
冬星「ほら」
短く促される。
心臓が、嫌な速さで跳ねる。
(……やるしかないか)
琉夏は、低く息を吸って。
声を、乗せた。
最初は探るみたいに。
でも、すぐに気づく。
この音は——
“正しく外れている”。
だから、どこにでも行ける。
どんなメロディでも、はまる余地がある。
琉夏「……はは、なにそれ」
思わず笑いがこぼれる。
歌いながら、笑うなんて初めてだった。
冬星の指が、少しだけ速くなる。
音が増える。
崩れる。
でも、ちゃんと繋がる。
まるで会話みたいだった。
言葉じゃなくて、音で殴り合っているみたいな。
冬星「いいじゃん」
ぽつりと落ちる声。
初めて、少しだけ楽しそうだった。
琉夏の声が、それに応えるみたいに伸びる。
ベースの低音が、地面みたいに支える。
ぐちゃぐちゃで、まとまってなくて。
でも、確かに“音楽”だった。
一曲分なんて、たぶん弾いていない。
時間の感覚が曖昧になるくらい、短くて、長い時間。
最後の音が、ふっと途切れる。
沈黙。
さっきまでの熱が、急に冷えていく。
息だけが、やけに白く感じた。
琉夏「……なんだよ、これ」
呟くと、冬星が少しだけ肩をすくめる。
冬星「さあ」
どうでもよさそうに言ってから。
ほんの少しだけ、間を置いて。
冬星「でも、つまんなくはなかっただろ」
その言い方に、少しだけ苛立つ。
でも同時に、否定できないのが悔しい。
琉夏「……まあな」
短く返す。
沈黙が落ちる。
でも、不思議と気まずくはなかった。
さっきまで音で全部話していたせいかもしれない。
冬星が、ふと視線を上げる。
冬星「バンド、組むか」
あまりにも軽い言い方だった。
なのに。
その一言が、やけに重く響く。
たぶんこれは——
ただの思いつきなんかじゃない。
もっと、面倒で。
もっと、離れられなくなるやつだ。
琉夏「……条件ある」
自然と、口が動いていた。
冬星が、わずかに目を細める。
冬星「なに」
琉夏「つまんなくなったら、すぐやめる」
一瞬の間。
それから、冬星が小さく笑った。
さっきより、ほんの少しだけはっきりと。
冬星「いいよ」
その軽さが、逆に怖かった。
たぶんこいつは——
本当に、そうする。
容赦なく壊すし、平気で捨てる。
でも。
(それでもいい)
そう思ってしまった時点で、もう遅い。
琉夏「……琉夏」
名乗ると、冬星も短く返す。
冬星「冬星」
それだけ。
握手も、確認もない。
ただ名前を知っただけなのに。
もう、戻れない気がした。
——不協和音みたいに始まった関係は、
きっとこの先、もっと歪んでいく。
それでも。
あの音を、もう一度鳴らしたいと思った。