テラーノベル
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ライブ当日。
客席は、思っていたよりもずっと空いていた。
最前列に数人、あとはまばらに立っているだけ。
ざわつきも少なくて、どこか冷めた空気。
それでも、ステージに立てば関係ないはずだった。
──今までは。
アンプから小さくノイズが走る。
ベースの重さが、足元から伝わってくる。
隣にいる冬星は、いつも通り無表情でギターを構えていた。
琉夏「……緊張してる?」
一応、聞いてみる。
冬星「別に」
即答。
いつも通りすぎて、逆に少しだけ安心する。
琉夏「そっか」
短く息を吐いて、マイクに手をかける。
視線を上げると、数少ない観客と目が合った。
興味があるのかないのかも分からない、薄い反応。
(まあ、いいか)
どうせ──
この音が分かるのは、たぶん。
「──始めます」
短く告げて、合図もなく音を出す。
冬星のギターが、先に鳴った。
最初の一音で、空気が歪む。
やっぱり外れている。
でも、そのズレが妙に気持ち悪くて、気持ちいい。
すぐにベースを重ねる。
低音で、地面を作るみたいに。
そして、声を乗せる。
最初のフレーズを歌った瞬間、わかった。
(あ、これ──)
噛み合ってる。
リハーサルよりも、昨日よりも、
比べ物にならないくらい。
冬星の音が、こっちの声を引っ張る。
こっちの声が、さらにギターを歪ませる。
ぐちゃぐちゃなのに、全部意味がある。
まるで──
“2人だけで完成してる音”。
ステージの外なんて、どうでもよくなるくらい。
冬星「——いい」
小さく、でもはっきりと聞こえた。
演奏中なのに、思わず笑いそうになる。
琉夏「だろ」
歌いながら、返す。
こんなの、初めてだった。
誰かと音を合わせてるのに、
こんなに“自分のまま”でいられるなんて。
むしろ、1人のときより自由だ。
音がぶつかる。
ズレる。
それでも、落ちない。
どんどん深く潜っていくみたいに、抜け出せなくなる。
──このまま終わらなければいいのに。
ふと、そんなことを思った瞬間。
曲が終わる。
最後の音が、静かに消えていく。
一拍、遅れて。
ぱら、ぱら、と拍手が鳴った。
ほんの少しだけ。
歓声もない。
盛り上がりもない。
さっきまでの熱が嘘みたいに、あっさりした反応。
……なのに。
琉夏「……っは」
笑いが漏れる。
マイクから少し離れて、息を吐く。
隣を見ると、冬星もわずかに口角を上げていた。
冬星「最悪」
小さく呟く。
琉夏「だな」
即座に同意する。
最悪だ。
客には、たぶん全然伝わってない。
ズレてるし、まとまってないし、
“いいバンド”とは言えない。
でも。
冬星「……最高だった」
その一言で、全部どうでもよくなる。
琉夏「……ああ」
頷く。
ステージの上で、たった2人だけで共有したあの感覚。
あれがあるなら、他は別にいらない気がした。
拍手の数も、評価も、どうでもいい。
ただ──
この音を、もう一度。
何度でも鳴らしたい。
そう思ってしまった。
それがどれだけ危ないことか、まだ知らないまま。
ステージを降りると、他の出演者が微妙な顔でこっちを見ていた。
「なんかさ、ズレてない?」
「合わせる気あるの?」
そんな声が、聞こえてくる。
琉夏は、少しだけ眉をひそめる。
でも。
冬星「気にすんな」
あっさり言う。
冬星「分かるやつだけ分かればいい」
その言い方は、いつも通りで。
でも、どこか決定的だった。
線を引くみたいに。
“外”と、“内”を分けるみたいに。
琉夏「……そうだな」
気づけば、頷いていた。
その瞬間。
たぶん、少しだけ。
引き返せない方に進んだ。
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音のズレや歪みさえも美しさとして共有できる、2人だけの特別な世界……。この先、観客が感じる音と、彼ら2人だけが奏でる音との間にどのような隔たりが生まれていくのか、ますます目が離せません。