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ウィンチェスター大聖堂。 かつては神に捧げられたその建物は、今、死と隣り合わせの爆弾を抱えていた。
巨大な石造りの尖塔は、灰色の空の下でそびえ、風が音もなく吹き抜けていた。
その堂内。
正面祭壇の上に、それは鎮座していた。
──最終爆弾。
他の四基とは異なる、大型筐体。
重厚な鋼鉄の外殻。
左右に伸びた二本のケーブルのうち、片方は焼け焦げ、完全に機能を失っている。
そして、もう一方だけが──まだ“生きて”いた。
この爆弾は、電気が途絶えた瞬間に爆発する構造。
つまり、残る一本が止まれば、この街は吹き飛ぶ。
ローライトは足を踏み入れた。
手に握るのは、ワイミーが「もしもの時」に託した袋。
中には、限界まで詰め込まれたドライアイス。
小さな体で運べるだけの、冷却材のすべてだった。
爆弾の表面には、小さなデジタル温度計が光っている。
──28.8℃。
すでに、臨界点を超えていた。
「……あと、0.1度……」
額を伝う汗が、冷たい床に落ちる。
凍える空気が喉に突き刺さる。
未熟な肺が悲鳴を上げる。
それでも、足は止まらなかった。
「間に合わなければ……この街は吹き飛ぶ」
そしたら──“帰る家”が無くなる。
──自分のじゃない。
──“キリスさん”のだ。
あの家が無くなったら──
キリスさんは二度と帰って来ない気がした。
だから、何としてでも食い止めたい。
ドライアイスの温度は−78.5度。
もし爆弾を冷やすことができれば、暴走を数分でも遅らせられる。それだけの時間があれば、外で作業を続けるワイミーさんが電力を繋げるはずだ。
──だが、問題は“構造”だった。
「……ッ、……ッ……」
震える指を動かしながら、袋をそっと床に置く。
呼吸を整え、温度計を見る。
“28.8”──その数字は、ちらつきながらも着実に上昇していた。
──このままでは、確実に臨界に達する。
ローライトはドライアイスの袋を爆弾のそばに置き、コートを脱いだ。
袖を抜く瞬間、ひゅっと空気が肺から逃げる。
−2度の世界。冷気が、一気に肌を刺した。
「……ふぅ……」
白い息が、ふわりと天へ昇る。
ドライアイスにはまだ触れない。
急激な冷却は金属を歪ませる。
外殻がわずかでもずれれば、内部の光が漏れ──瞬時に爆発だ。
ゆっくりと、慎重に冷やさなければならない。
ドライアイスはあくまでも、最終手段。
だから、ローライトは自分の体を使うことを選んだ。
手袋もつけていない。
コートから出ていた指先は、血の気を失い、白くキンキンに冷えていた。頬は痛みを通り越して感覚がなく、頭の奥までじんじんと冷えが刺さる。
まるで、体の熱が全部この金属に吸い取られていくみたいだ。
それでも、ローライトはそのまま手のひらを押し当てた。
「……これで、少しは……」
自分の冷えた体温で、たった“1度”でも下げられれば──それでいい。
その“1度”が、街を、キリスさんを、生かすかもしれない。
それにしても……──あたたかい。
胸の奥がじんわりと熱を取り戻していくようで、痛いほど冷えていた手が、今だけは“生きている”と感じた。
金属の表面は、熱いのに、その中に──不思議な“ぬくもり”があった。
両腕で、爆弾を包み込むように抱きしめる。
冷え切った頬をそっと寄せ、身を小さく丸める。
全身で、覆い隠すように。
まるで、それを守るように。
──ドクン。
──ドクン。
……なんだろう、この感覚。
──ドクン。
──ドクン。
懐かしいような、あたたかいような。
──ドクン。
──ドクン。
お腹の中みたいで心地いい。
──ドクン。
──ドクン。
お腹の中?
──ドクン。
──ドクン。
誰の……?
お母さんの……?
──ドクン。
──ドクン。
お母さんなの……?
──ドクン。
──ドクン。
ここに、いるの……?
──ドクン。
──ドクン。
……お母さん。
“……Mommy……are you here?”
爆弾を抱きしめたまま、少年はそっと目を閉じた。
──その瞬間。
「そこに、“母親”はいない」
低く、淡々とした声が、堂内に落ちた。
少年の肩がびくりと跳ねる。
目を開けなくても分かった。その声を、忘れるはずがない。
ゆっくりと顔を上げる。
灰色の光の中──
教会の扉に、ひとりの男が立っていた。
コートの裾が、冷たい風に揺れている。
──キリス・フラッシュハート。
少年は、ただ一言だけ。
「……キリスさん……」
その名を、呼んだ。
男は、微かに微笑み答えた。
「久しぶりだな、ローライト」
❅❅❅
──ほんのひととき。
あの日の光は、今よりもずっと柔らかくて、窓辺のカーテンを揺らす風も、まるで赤子の寝息のようだった。
キッチンには、甘い紅茶の香り。
フライパンの上ではバターがじゅうと音を立て、きつね色のパンケーキが、ふたり分、ふっくらと焼き上がっていた。
「……ねえ、ドヌーヴ」
テーブルの向こうで、新聞を広げていた彼が顔を上げる。
「うん?」
その目はまだ幼げで、けれどいつだって、彼女の声には真っ直ぐだった。
「……女の子、ですって」
「…………」
ドヌーヴの瞳が、ふっとやわらかくなる。
「もう分かったんだね。……早いな」
コイルは小さく笑い、両手でお腹を包み込んだ。
そこには、確かな未来が宿っていた。
「名前、考えなきゃね」
「そうだね」
「考えてくれた?」
「んー……まだ」
「まだなの?」
「うん、まだ」
「いつつけてくれるの?」
「まだ」
「まだ?」
「そう、まだ」
くすっと笑いながら、ドヌーヴは上目遣いで囁いた。
「まだ──“秘密”」
「ええ?……ふふっ」
コイルは首を傾げ、湯気の立つカップを両手で包んだ。
「じゃあ、ヒントは?」
問いかけに、ドヌーヴは少しだけ口元を上げた。
「“光”に、ちなんでる」
「光……?」
「うん」
もう一口パンケーキを食べながら、紅茶に砂糖をひと匙。
「明るくて、優しくて、闇を照らすような……そんな名前」
コイルは目を細めて微笑んだ。
「あなたのような人、ってこと?」
「俺は……灯油ランプみたいなものだよ」
ドヌーヴは照れくさそうに、カップの縁で指をなぞった。
「すぐに消えるし、煤(すす)も出る。──まるで綺麗じゃない」
その言葉に、コイルは首を振った。
「そんなことないわ。ちゃんと見えるもの。あなたの光はここまで──届いてる」
ドヌーヴは俯いて、照れ隠しのように髪をかいた。
「光って、ただ明るいだけじゃないんだ」
その声は、お腹の小さな命に語りかけるようだった。
「光は“照らすもの”だけど、同時に“影を生むもの”でもある。だからこそ、この子は選ぶ時がくる。自分が──どんな場所を照らすべきかを」
ドヌーヴは、しばし言葉を止めた。
そして、小さく息を吐きながら、ゆっくりとお腹に手を添えた。
「この子が、何になってもいい。どんな選択をしてもいい。ただ──自分で選んだ光を信じて、生きていける子であってほしい」
その声音は、朝の日差しのようにどこまでもやさしかった。
まるでまだ見ぬ未来に、祈りを送るように。
「光は、その子自身の道標になる。そして、その光が、誰かの光になる。この子が、そんな人になれたら──」
彼はそっとお腹に手を当てた。
「それはそれは、優しい子になると思うんだ」
コイルは微笑んだ。
その笑顔は、春の朝のようにあたたかく、命を包みこんでいた。
「ええ。きっと、なりますよ。あなたと同じように──“光を信じる子”に」
❅❅❅
──エンジン音が地面を割るように響いていた。
ウィンチェスター大聖堂へ急行する車内。
ワイミーの手はハンドルを握りながらも、焦りで微かに汗ばんでいた。
あの子は、教会で──
ひとりで──
カーブを抜けたとき、視界の端に“ありえない光景”が飛び込んできた。
「……!?」
住宅街の角。
細い道で、爆弾らしき銀色の球体を抱えながら──2人の子どもが追いかけっこをしていた。
「それ僕のだ!」
「ドカーン、ドドドド!……ピッカーン!」
「貸してよお」
「わはははは!……持って帰るんだあ、これ」
バカな──!
ブレーキが地面を噛んで鳴いた。
ワイミーは車を飛び降り、叫ぶ。
「A!B!──あなたたち、何をしてるんですか!」
振り返ったAはハッとした顔をし、Bは爆弾を両手で掲げながら笑った。
「わー、見つかっちゃった」
「それ、何だと思ってるんです!? 返しなさい、それは──!」
「爆弾、でしょ?」
Bが頭の上に爆弾を抱えて見上げる。
「……危ないものなんだ、離しなさい」
「やだよ、持って帰るんだ!」
Aが慌てて手を振る。
「ち、ちがうんです、ワイミーさん!それ、もう解除したやつなんです!Kと一緒に!」
「……K?!」
あっとAが口を塞ぐと、Bに肘で小突かれた。
「Kはどこに?」
「……え、っと……」
「さっき、バイバイしたよ」
Bが手を振って見せると、ワイミーは深く息をつき、頭を抱えた。
「……もういい、ふたりとも車に乗りなさい。今すぐ」
「えーー!」
「……すごく危ないことしてたんですよ!?」
「別に死にやしないさ」
手を引っ張るようにして、2人を車に押し込む。
後部座席では、Bがまだ爆弾を膝の上に乗せていた。
「それ、トランクにしまいなさい」
「いやだ。名前つけるんだ」
「……はい?」
「“たまお”」
ワイミーは深くため息をついた。
大聖堂は、もう少しだった。
❅❅❅
「母が恋しいか?」
唐突にキリスが問いかけた。
ローライトは少し体を起こすと、爆弾を抱えたまま、キリスを見つめた。
「恋しいです」
「母に会いたいか?」
「会いたいです」
「会ってどうしたい?」
「頭を撫でてもらいたいです」
「温もりがほしいのか?」
「はい」
「温もりを求めて、自分が冷えてどうする」
「……それくらい、寒いんです」
「寒さは、誰にでもある」
「でも、私のは──中から凍っていくんです」
「中?」
「心の中です」
「……」
キリスはわずかに視線を落とした。
爆弾の微かな熱が、ふたりの間の空気をゆらす。
「だからといって、自分を犠牲にしていい理由にはならない」
「犠牲なんかじゃありません」
「じゃあ、なんだ」
「帰り道なんです」
キリスの眉がわずかに動いた。
「帰り道?」
「寒いから、還るんです。あのあたたかいところに」
「……母のもとに、か」
「はい」
「なぜ“ないもの”を求める」
「私には“あるはずだったもの”だからです」
「……」
「いなくなったのは、私のせいじゃないのに、どうして“忘れる”ことまで私がしなきゃいけないんですか」
「…………」
「ねぇ、キリスさん」
顔を上げた瞳が、まっすぐに彼を射抜いた。
「母に会いたいと思う感情は──罪ですか?」
沈黙。
ローライトは続けた。
「父に会いたいと願うのは──弱さですか?」
「…………」
声が震えた。
「父と母に会いたいと思ってしまったこの心は──悪ですか?」
空気が止まった。
冷気も、風の音も、鼓動も。
キリスの瞳が、ほんのわずかに揺れた。
「……悪じゃない」
その声は、喉の奥で掠れた。
「けれど、救いでもない」
「…………」
「今のお前が──」
キリスはゆっくりと視線を落とした。
「自らを犠牲にして、父と母の温もりを求めるように。人は、“愛”の名の下でいちばん愚かな選択をする」
「…………」
「……賢いお前なら、もう分かっているはずだ」
低く、重い声。
「父と母を忘れて生きることこそが──遺された者の、唯一の“幸せ”なんだ」
「…………」
ローライトは小さく首を振る。
「それでも、私は温もりが欲しいんです──それくらい、私は寒いんです。亡き父と母に縋るほど心が……寒いんですよ……」
「ならば、さみしさに慣れればいい」
「慣れても消えません」
「……それでも、人は生きていける」
「はい。でも、そんなの幸せじゃないです」
「…………幸せじゃない、か」
ローライトの唇が震える。
「温もりのない世界で、どうして幸せが得られると思うんです……?」
「…………」
「心が冷たいまま生きるぐらいなら、私は凍って死んだ方が、ずっとマシだ」
その言葉に、キリスの呼吸が止まった。
風が静まり返る。
それは、子どもの言葉に見せかけた、あまりにも残酷な“真実”だった。
「──私の帰るところにお母さんがいたら
──お父さんがいたら
──キリスさんがいたら
──きっと、そんなふうには思わなかったです」
「……もし、母が今ここにいたら、どうしてほしい」
「──抱きしめてほしいです」
「……もし、父が今ここにいたら、どうしてほしい」
「──話がしてみたいです」
「……では、私にどうしてほしい」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
長い長い沈黙──
少年は拳を握り、ハッと息を吸い込むと、真っ直ぐキリスを見つめて言い放った。
「──名前を呼ばれてみたいです」
「名前?」
「はい。名前です──」
「…………」
「名前──それはきっと、誰かが自分を大事に思って、受け入れてくれて、初めて貰える“愛しいもの”だと思うんです。それがキリスさんのいう、『無償の愛』だと思っています」
「…………」
「もし、私が名前を持てる日がくるとしたら──それはきっと、“初めて人に愛されて”、“その人が、心から私を愛している”と、そう言ってくれた時だと思うんです」
「…………」
少年はゆっくりと息を吸い、震える声で続けた。
「……一度でいいんです」
「…………」
「キリスさんに──」
声が掠れ、指先がかすかに震えた。
「──名前を、呼ばれてみたい」
静寂が落ちた。
冷えた教会の空気が、ふたりの間だけどこか温度を帯びる。
キリスの瞳がわずかに揺れ、しかし表情は崩れない。
「……俺には」
「…………」
「──その資格がない」
今度はローライトの目が揺れた。
「……俺は、お前の名を呼べるような人間じゃない」
「…………」
「名前を与えるってことは、その人間を“愛する覚悟”であり、“生”に責任を持つってことだ。そんなこと、俺に出来るわけがない」
少年が小さく息を呑む。
その瞬間、キリスの声が、音を立てて崩れた。
「──だって、だって」
ローライトを見抜くように見つめ、キリスは1歩1歩確実に歩み寄った。
「お前の両親を奪ったのは、俺なんだから……!
──一歩。
「どの面下げて……お前の名前を呼べば良かった……!?」
──一歩。
「どんな顔をして──お前を抱きしめてやればよかった……!?」
──一歩。
「どんな愛をお前に与えれば良かった──」
──一歩。
「……どんな顔で……」
キリスの声が震えた。
「どんな顔で──“生まれてきてくれてありがとう”なんて言えた……!?」
それは──自分自身の喉を焼くような、罪と渇きの爆発だった。
「……わからなかった……」
「…………」
「……だから、俺はお前が一人で食べられるようになったら、離れようと思っていた。──俺に父親をやる資格なんて……はじめから、ないんだから!」
少年は、何も言わずに立ち上がった。
そして、ゆっくりとキリスの前に歩み寄る。
「キリスさん……」
怯えるように顔を上げたキリスに、少年は言った。
「その全部──ずっと、してほしかったです」
「ッ……!?」
「名前を呼んでほしかった。抱きしめてほしかった。撫でてほしかった。“愛してる”って言ってほしかった」
その言葉はまるで、ひとつひとつ、小さな針のようにキリスの胸を刺していく。
「あなたが私の両親を奪ったというのなら、責任を持って、私を愛してほしかった!」
息を荒げながらも、少年の瞳は輝いていた。
詰めるようにキリスに近づく。
「──あなたは、逃げていただけだ」
その目があまりにも真っ直ぐで──
「……ッ」
「キリスさんは、私を愛するのが怖かったんでしょう。私を知ったら、きっと情が湧くって思ってた。名前を呼んでしまったら、“愛してしまう”って分かってた」
キリスは動けなかった。
ローライトの言葉ひとつひとつが、胸の奥に突き刺さっていく。
「だから、あなたは逃げた。“愛してしまった先”にある未来──自分が傷つのが怖かったから」
一歩──
「私を愛して、もし私が死んだら」
一歩──
「私を育てて、もし私があなたを恨んだら」
一歩──
「私を見つめて、あなた自身が許せなくなったら──」
静寂。
空気が張り詰めている。
言葉一つが、世界を裂く刃になる──そんな重さを孕んでいた。
「自分自身を、愛せなくなる──それが怖いだけだ」
キリスの目が、ゆっくりと揺れた。
「世界のためと正義のふりをしてこんな爆弾を設置し──世界を脅迫して、多くの人を怖がらせたあなたは正義じゃない!」
ローライトはまっすぐに、キリスの目を見上げた。
その瞳は、燃えるように赤く、それでいて純粋の色だった。
「……………」
間。
キリスは何も答えられなかった。
いやかける言葉がない。
何も言い返せない。
「あなたは私の父と母を奪い──」
言葉に凶器はない。
ただ、そのまま。
「その罪滅ぼしの為だけに爆弾を利用した──」
飾らず、誤魔化さず。
「……どんな理由を並べても──」
8歳の少年が持てる、限りなく澄んだ真実だった。
「私の信じる正義の前では、あなたは──悪だッ!!」
その瞬間、キリスは気づいた。
──ああ、これが、“Lawliet”の本当の顔か、と。
法律を信じ、己の光のもとに生きる者。
それが、この少年の“正義”だ。
「私が……悪だと……?」
だが──同時にキリスもまた、光だった。
人類を導くための光。
愚かな者たちに“啓示”を与えるための、灼けつくような光。
第三次世界大戦を未然に防ぐために、彼は自らを“闇”に投げ、光の恐ろしさを世界に知らしめようとした。
光は、光を焼く。
正義は、正義を殺す。
──それがこの事件の、あまりにも皮肉な構図だった。
ひとりは“法”を掲げ、ひとりは“未来”を掲げ、どちらも、世界を照らそうとしている。
二つの光が交わる時──必ず、影が生まれるだろう。
これはその影を賭けた勝負だ。
勝ったほうが世界を変える。
勝ったほうが“真実”を証明する。
勝ったほうが、“正義”になる。
──そうだ、正義とは常に、勝者の名前だ。
──親と子。
──光と光。
正義が、正義を撃つだろう。
そして、二つの声がぶつかっ。
それはどんな光よりも眩しく、白い──
「「私が──正義だ!!!」」
❅❅❅
キリスの胸が、ひくりと震えた。
制御盤の画面が警告音を発したのだ。
──BEEP…BEEP…BEEP…!
数字が赤く点滅する。
28.8℃
もう臨界は超えている。
あの日と同じ光が、今にも解き放たれようとしていた。
「……もう、戻れない」
囁きにも似たその声は、諦めか絶望か判別できない。
「早く逃げろ、爆発するぞ」
ローライトは静かに言う。
「私は逃げません。まだ、止める方法はあります。そのために私はここにいるんです」
キリスの視線が、ゆっくりと少年へ向く。
「……どうして……そんな目をしていられる……?」
「だって、私は──」
少年はほんの少しだけ微笑み、涙一滴もこぼさず言った。
「この世界を守る影でありたいから──」
少年はそう言って、両手を広げた。
まだ幼く、寒さで震えるほど小さな身体で──それでも、世界全体を包み込むように、大きく。
その姿に見覚えがあった。
あの日、臨海実験の事故、爆光から妊婦を庇い、命を落とした研究員──ドヌーヴ。
誰に称賛されることもなく、名も残さず、ただ“影”として。その意志が、いま、この少年の姿に宿っていた。
教会ひとつを包み込むには、あまりにも小さい。
そんな体でこの世界の影になるなど──
それでも、ローライトは一歩も引かずに立っていた。
──その姿に、キリスは心を撃ち抜かれる。
(なぜ……今にも起爆する爆弾の前であんな目をして立っていられる……?死ぬのが、怖くないのか?──どこまでの正義を彼は背負ったんだ──私は……こんなの教えてない)
キリスの視界が揺れた。
それが感情によるものか、熱によるものか、もはや分からなかった。
28.9℃
数字が赤く瞬き、警告音が室内に響く。
「──そこまでだ!!」
背後から、怒声が飛ぶ。
金属の重い音とともに、ワイミーが片手でウィンチェスターライフルを構えて現れた。
コートの裾を揺らし、眉間に深い皺を刻んだ顔。
その目には、かつての“光”を見失った科学者の決意が宿っていた。
「キリス・フラッシュハート──動くな。その場で手を上げろ」
床に落ちた影が三つに増える。
ローライトの小さな影。
キリスの折れかけた影。
そして、ワイミー──かつて未来を託した男の、今なお戦う影。
その瞬間、室内の温度がわずかに下がったように感じた。
緊張と熱と光がせめぎ合う空間に、別の選択肢が差し込まれる。
赤い警告灯が回転し、影が揺れる。
冷気と熱気がせめぎ合い、空間は張り裂けそうだった。
❅❅❅
──キリス・フラッシュハート。
その名が、世界に知れ渡るようになったのは皮肉なことだった。
だが、私の記憶にある彼は、もっと小さくて、もっと孤独な少年だった。
彼と出会ったのは、今から10年前──アメリカ、ペンシルベニア州。
私は、学会でたまたま米国に渡っていた。
その滞在中、原子力発電所で事故が起きた。
爆風、閃光、焼けつく空気。
防護服を着た職員たちが逃げ惑う中、私は、瓦礫の影で立ち尽くす小さな少年を見つけた。
肌は爛れ、髪は焼け落ち、両腕には無数のガーゼ。
それでも、その目だけは──異様なほど澄んでいた。
「家は?」「両親は?」そう聞いた私に、彼はただ首を振った。
──“何もない”、という顔だった。
その時、私は彼を連れて帰ろうと決意した。
英国のヴォクスホロウ研究所。
彼にとっては、家でもなく、楽園でもなく、新たな人生──希望だったのかもしれない。
彼は賢かった。
恐ろしいほどに頭が良く、吸収が早く、常に飢えていた。
──「もう誰も、放射線で死なせない」
──「“熱”がいらないなら、原発なんて必要ない」
そう言って、彼は金属を作ろうとした。
ルミライトの原型に辿り着いたのは、18歳の頃だ。
そこから彼は毎日のように、設計図を書き換え、夢を語った。
「この金属が完成すれば、世界は変わる。人は電気を奪い合わなくてよくなる。核はいらなくなる」
──確かに、彼が言ったことは正しかった。
この金属があれば、電気は失われない。遠くへも、無駄なく運べる。原子炉のような爆心地も、冷却水も、もういらない世界になるだろう。
だが、彼は知ってしまった。
その“夢の金属”が、やがて、人の手で──最悪の兵器に変わることを。
世界は“抑止力”と呼びながら、兵器を持ちたがる。
──あのウィンチェスター爆弾魔事件は、“見せしめ”だった。
ルミライトの力を、あえて“爆弾として世界に示したのは、
「この金属は兵器に使うべきではない」という、たったひとつの脅しのためだった。
──これは“夢の金属”ではない。
使い方を間違えれば、人を焼く“光”だ。
キリスは、そう言いたかったのだ。
街を破壊し、人々を怯えさせてまで伝えたかったこと。
それは、「この金属は危険だ」という警鐘であり、「世界中に流通してしまったルミライトを今すぐ全て回収すべきだ」という叫びだった。
けれど──世界は、彼の願いを聞きはしなかった。
むしろ逆だった。
「あの金属を使えば、あれほどの威力が出せるのか」
「あの爆弾を、もっと効率よく、もっと小型に」
「もっと、遠くから撃てるように」
──そうして実際に動いていたライト・オブ・ハルバード計画。
──皮肉にも、計画は更に進むこととなるのを彼は気づいていない。
月面にルミライト製のレーザー砲塔を設置し、地球の任意の地点に衛星反射で照射する、空前絶後の超破壊兵器。
それは、キリスが最も恐れ、最も避けたかった未来だった。
──彼には、そんなものを作る“汚い大人たち”がこの世にいるなんて、信じていなかった。
世界が、ここまで欲深く、愚かだなんて、考えもしなかったのだろう。
彼はただ、「同じように大切な人を失ってほしくない」と願っただけだった。
“守るための爆弾”が、“攻めるための兵器”に変換されていくなんて──あの子には、まだ受け入れられなかった。
──私は、それを、彼に教えるべきだった。
“世界は善意だけでは動かない”と。
“理想は、理想のまま”と。
電線の8割に使われたこの金属が、今では“潜在的兵器素材”として政府が回収を命じ、あらゆる市民の暮らしを逆に“脅かしている”。
彼は世界を照らしたのではない。
照らしてしまったのだ──“欲望の影”を。
開発者である私には大きな後悔しか残らなかった。
人生は、金では買い戻せない。
時を戻せない以上、私には絶望しか残らなかった。
事故で失った仲間の命。
背中を押してしまった少年の未来。
そして、世界そのものを揺るがした後悔。
失ったものの重さに、私は……強い失望感を覚えていた。
──それは、彼もきっと同じだっただろう。
たとえどれほど“純粋”であっても、世界は、その光に群がる無数の手によって、濁されてしまう。
正しさは、正しさだけでは届かない。
あの時、私は彼に伝えられなかった。
“光”があれば、“影”が生まれることを。
それでも、照らさなければならないことがあるのだと──
❅❅❅
──そして今、その爆弾を解除しなければ、世界は第三次世界大戦と突入する。
『月をとる為の』戦争が。
この光は、大聖堂ひとつを焼くだけでは終わらない。
世界中がそれを見てしまう。そして、世界中が恐怖するだろう。この金属が兵器になるなら、我々の手で制御しなければと。
「……政府は、おそらくこの事件を盾に、導線に使われた金属を回収するだろう」
「…………」
「そして、破棄するとは思えない。政府は回収した後、兵器に改造する。──実際、もう“作ろうとしている国”があるんだ」
誰よりも、その可能性に気づいていたのは彼だった。
彼が創った金属だから。
彼が信じた“夢”だったから。
「そんな……」
「……だから、止めなければならない。ここで──この爆弾を」
言葉が続かない。
手が、わずかに震えていた。
キリスは、俯いたまま動かない。
少年も、じっとワイミーを見つめていた。
「……………」
やがて、ワイミーはゆっくりと歩み寄る。
ライフルを地面に置き、両手を広げた。
「……フラッシュ、すまなかった」
その一言は、まるで風のように柔らかく──
けれど、凍りついた空気を溶かすには十分だった。
次の瞬間──ワイミーは、キリスを、抱きしめていた。
かつてワイミーの研究に惹かれ、共に未来を語った若き天才。
世界を変える“光”を信じていた、純粋な青年だった。
「私は……あの時、“世界の仕組み”を教えきれなかった。光を作る術は伝えても、光が何を照らし、何を生むか──その“影”まで見せることはできなかった」
「…………」
「私は、お前の父親にも、恩師にもなれなかった。……ただの、無責任な発明家だ」
そして──キリスはゆっくりと膝をつき、ワイミーの胸に額を押し当てる。
「……どうして、そんな風に……言うんだ……私は、あなたを誇りに思っている。……ずっと、ずっと──」
強く抱きしめたその腕には、過去の失敗も、世界への後悔も──そして、ローライトを巻き込んでしまった痛みも、すべてが込められていた。
「すみません、俺……臆病で──」
「臆病でいいんだ、フラッシュ」
その声は、父の光のようにあたたかかった。
「怖れを知る者だけが、本当の“光”を作れる──優しい人になれる」
キリスがゆっくりと顔を上げる。
涙の跡を残したまま、潤んだ瞳がまっすぐに前を向いた。
「……俺は……もう、逃げません」
キリスはそっとワイミーの腕の中から身を離し、爆弾へと視線を戻した。
「たとえ世界が、この金属を“兵器”と呼ぼうと──俺は、それを“希望”に戻してみせる」
彼の目には、かつて自らが夢見た“希望”が、最悪の形で息づいているのが見えた。
「……止めましょう。この爆弾を」
キリスは、落ち着いた声で答えた。
「あの爆弾には、ペルチェ素子が内蔵されています。あれは、金属内部の温度を自律制御するための冷却装置です」
「ああ」
「本来なら、“自己冷却”によって内部温度を28.7度以下に保つ設計だった。けれど、今はそれが追いついていない」
ワイミーは頷きながら問い返す。
「つまり、今からその“冷却構造”を活かせということか」
「はい。爆弾の構造が“起爆トリガーが熱”である以上──電気を抜くよりも“熱を下げる”ほうが確実です」
「しかし……どうやって?」
キリスは、爆弾の底面に手を伸ばした。
「ここに“冷却制御系統の外部接点”があるはず」
カチ、と小さな音がした。
彼の指が金属の蓋をそっと持ち上げた。中には、薄い絶縁チューブと、わずかな冷却素子の出力端子が並んでいる。
「ここに電源を繋げば──内部のペルチェ層を逆作動させ、再度冷却を始められるはずです」
ワイミーは息を呑んだ。
「だが……それには微調整が要る。逆に一気に冷やしすぎれば、熱衝撃で金属格子が崩壊し──爆発する」
「……」
「わかってます。これが危険な綱渡りなのも──だから、俺がやります」
❅❅❅
ワイミーはバッグから、直流安定化装置(DCコンバータ)を取り出した。
軍用にも近い仕様のそれは、0.1V単位での出力制御が可能で、過電流防止機構も備えている。
「キリス、ここに接続しろ──冷却端子はこの位置で合っている。極性を確認して、慎重に進めてくれ」
「……はい」
キリスの手が、爆弾の下部パネルへと這う。ワイミーが指差した小さな冷却用端子に、コードを差した。
「、……」
金属の中で、ぴきり、と微かに音が鳴った。
ワイミーは即座に、計測用モニターを起動し、電流値・温度・振動・内部圧力──あらゆるデータを並列に走らせる。
29.0℃
表示は変わらない。
今、この金属は世界で最も危険な物体となっていた。
「──出力、0.4アンペアから。1.1ボルトで維持してくれ」
「はい」
キリスは頷き、安定装置のダイヤルをわずかに回す。
28.9℃
温度が、ほんのわずかに下がった。
ワイミーは息をひとつ、ゆっくり吐く。
「そのまま1℃ずつ下げていく。急冷は絶対にダメだ。格子構造が歪めば、内部のエネルギーが光に変換される」
「分かってます。……俺はあれを、二度と見たくない」
キリスの声は、まるで自分に言い聞かせるようだった。
ワイミーは一歩下がり、ふと、横にいるローライトに視線をやる。
ローライトは保冷袋に入ったドライアイスを手にじっとワイミーを見ていた。
「そのドライアイスは最終手段だ。私の合図があるまでは絶対に使わないでくれ」
「分かってます」
少年の目は、恐怖よりも“使命”の光を湛えていた。
8歳の瞳に、こんな強さが宿ることがあるのか──ワイミーは胸の奥でそう呟いた。
28.8℃
キリスの指が、わずかに震えている。
しかし、出力は安定していた。
28.7℃
28.7度──目標温度に到達した。
金属の外装に張り巡らされた細線が、うっすらと水滴を浮かせる。
冷却は成功。だが、まだ終わっていない。
「……ワイミーさん」
キリスが振り返る。
「ああ。確かに温度は下がったが──中に蓄積された電気が、まだ残ってる。このまま放っておけば、また温度が上昇して臨界点に戻るだろう」
「……はい」
ワイミーは、メガネを押し上げて立ち上がった。
「放電先を作ろう。──車を使う」
「車……?」
「嗚呼」
そう言って、ワイミーは教会の扉を
開け放った。
そこには、AとBが乗ったままのワイミーの車が止まっていた。
「君たち! 車から離れなさい!!今すぐだ!!」
ワイミーの怒鳴り声が響いたその瞬間──
「はっ、はいっ!!!」
Aはびっくりして肩を跳ねさせると、車のドアを勢いよく開けて飛び降りた。
「ちょっと!B、早く!!やばいって!ワイミーさん怒ってる!!」
「んー?」
Bは反対側のドアから、ぬっと身を乗り出して車の影から教会を見上げる。
目をきらきらさせていた。
「できるだけ遠くに逃げなさい。ここに居たら危険なんだ」
それだけ言い残してワイミーは車を教会を目掛けて真っ直ぐ進んで行った。
「逃げよう!B」
懸命なA。
しかし──
「……あ、いた」
Bがぽつりと呟いた。
「え?」
Aが振り向く間もなく、Bは教会の方を指差していた。
「いた、いた、ここにいた……!」
その声は風を切るように伸び、声より先に、Bの足が駆け出していた。
「ちょ、ちょっと!?どこ行くの!?Bっ!!」
Bは無邪気な顔で走っていく。
その目線の先、教会の奥にいる──白い服を着た、ひとりの少年。
「みぃつけた──」
Bは、教会の大扉の影に身を隠すようにしゃがみ込み、扉の隙間から中を覗きこんだ。
石造りの祭壇の手前──
爆弾の前に──
ワイミーの車が、まるで場違いに停められた。
その車のボンネットを開け、ワイミーが配線を懸命にいじっている。
重ねたコード、冷却端子、仮設のバイパス装置──すべてが一触即発の空気を帯びていた。
❅❅❅
ワイミーは、汗ばんだ額に袖を当てる間も惜しみ、車のボンネットから延びるケーブルを爆弾の根本へと這わせていた。
彼の視線は一点──爆弾の根部に刺さった2本の導線に集中している。
「……こっちは、既に通電していないな」
片方の焼け落ち、使い物にならないケーブル。
工具を握り直し、慎重にその根本の圧着端子を外していく。
キリスが冷却作業で1度ずつ温度を下げる横で、彼の作業もまた、緊張の綱渡りだった。
ガッ──!
「……外れた」
小さく呟き、ワイミーは新たな配線ケーブルを取り出す。
それは研究所から持ってきた専用の絶縁高圧ケーブルだった。
工業用の蓄電装置や実験設備に使用されるもので、放電耐性と電流処理能力は市販品とは比較にならない。
導線の末端には、車の電源との接続を可能にする変換アダプターを組み込んである。
ワイミーはそのケーブルを、爆弾本体の電極部に──カチッと、音を立てて接続した。
ワイミーは立ち上がり、車へ向かって歩き出す。
「今から放電処理に入る」
教会の天井に反響するように響いたその声に、頷いたのは──白い服の少年だった。
車のイグニッションキーを回す。
エンジンが唸りを上げ、電流計がじわりと針を動かす。
「……流れてる」
ワイミーの目が細められる。
新たなケーブルから爆弾内部へと通じる放電経路が形成され、内部に蓄積されていたルミライトの電気が、車を通じて徐々に外へと流れ出していく。
その結果──爆弾の温度表示が、28.7℃ → 28.6℃ → 28.5℃ と、わずかに下降を始めた。
「──抜けていく……!」
ワイミーはメガネ越しにモニターを凝視し、吐息を漏らした。
しかし──その安堵は、わずか数秒で砕かれる。
「ワイミーさん」
冷静な声だったが、声の主の顔は蒼白だった。
キリスが、爆弾の外殻──金属接合部のひとつを指差す。
「……金属が、耐えられそうにない。今の放電で、内部構造に“歪み”が出てる。もう限界だ!このまま抜き続けたら、亀裂が走る。下手すれば──」
「暴走する……」
言い終える前に、ワイミーの口を開いた。
「──少年!」
彼は即座に叫んだ。
「君はもう……逃げろ!!」
白い服の少年は、顔を上げる。
しかし、その目は、ただ一点──爆弾を見つめたまま、動かなかった。
「急冷はできない。だけど……放電を一気に終わらせれば、金属が割れても最小の被害で済む」
「そんなことしたら、車が──爆発するかもしれないッ!」
キリスが叫んだその瞬間、ワイミーはすでに動いていた。
車の運転席に飛び乗り、アクセルを踏み込む。
──ブォンッ!!
エンジンが、悲鳴のような唸りを上げる。
爆弾と繋がれた絶縁ケーブルがピンと張り詰める。
(中の電気さえ抜ければ)
車は、ゆっくりと──しかし確実に、教会の奥からバックで引き始めた。
ゴロゴロと床を擦るタイヤの音。
(恐らくこの車は爆発する。その前になるべく遠くへ──)
車が後退する。
──ケーブルが、引きずられる。
それでも、届く限界は──教会の入口までだった。
大きなステンドグラスの下、車はぎりぎりの距離で停止した。
キリスが叫ぶ。
「まだ、抜けてる! 28.1……28.0……!!」
しかしその瞬間──
パシンッ!
爆弾の表面、金属外殻に微細な音が響く。
小さなヒビだ。けれど、それは“終わりの前兆”でもあった。
ワイミーは、ハンドルを握りしめながら、車内でひとり、つぶやいた。
「……頼む。もう少しだけでいい。あと数ボルト……それだけ抜ければ……」
爆弾の温度表示は──
27.9℃
27.8℃
27.7℃
ギギ……
ケーブルが軋んだ。接合部から、火花が飛ぶ。
ギギ……
27.7℃──安定ラインを割ったはずの爆弾が、なおも光を孕み、鼓動のように脈打っている。
ワイミーの手が震えた。
(……これ以上は、無理かもしれない)
そのときだった──
ワイミーの視界の端──
サイドミラーに、ふたつの子供が映った。
「──ッ!」
扉の陰。
興味津々に中を覗く、あどけない顔。
AとB。
「……なんで、君たちが……ッ!」
迷いなどなかった。
ワイミーは車のドアを蹴り開け、駆け出した。
「伏せろッ!!」
間に合うのか──そんな思考を挟む暇もなく、彼は走りながら二人を強引に引き寄せ、両腕で抱き込むように、地面に伏せた。
──ドンッ!!!
爆風が、世界を裏返した。
爆弾そのものではない。
車だった。
放電を終えた後の過電流、電磁波の反動、内蔵バッテリーの過熱──限界に達した回路が崩壊したのだ。
炎と煙が教会の外で広がり、ステンドグラスが高く砕けて降ってくる。
柱が震え、石床が軋む。
建物全体が、まるで神の怒りを受けたかのように、呻いた。
爆風の余韻がまだ砕け散るガラス片に纏わりついている中──
──ジュウッ……!
焦げる音が空気を裂いた。
繋がっていたケーブルが、火花を噴きながら燃え上がる。
車からルミライト爆弾へ──逆流する熱。
もし温度が臨界に戻れば、今度こそ世界が終わる。
「……ッ!」
その時、迷わず動いたのはローライトだった。
抜いだコートを使い、ドライアイスを包むと、まだ火が走り続けるケーブルの中腹へ押し当てた。
白い蒸気が一気に噴きあがる。
二酸化炭素がもやとなり、ケーブルが霜を纏う。
「ッ!」
冷気が一瞬、熱を押し返した。
だがそれは、僅かな猶予に過ぎない。
──ピッ。
爆弾の温度表示が、一瞬で跳ね上がる。
27.7℃ → 28.3℃
間違いなく、熱が戻り始めていた。
その瞬間、少年の背を誰かが掴んだ。
フワッと浮き、何かに強く包まれる。
少年を覆うようにしてのしかかる影。
フラッシュ──
キリス・フラッシュハートが、腕で少年の頭を押さえつけた。
それは一瞬の出来事。
瞬きするよりも早く──
目の前が真っ白に光った───────
────世界そのものが光になったみたいで。
視界の端が、音もなく剥がれていく。
──白。
ただ──白。
白、白い。
真っ白な光。
存在のすべてを包み込む、“無垢の光”。
耳鳴りはなく、爆音もなく、爆風の圧も──痛みさえなかった。
あったのは、たったひとつ──ぬくもり。
背中を包む手のひら。
覆うように、庇うように。
(──あたたかい)
まるで、あの日。
誰かに、初めて抱きしめられたような。
愛という名のものに、初めて触れたような。
ああ、全てが白い。
空も、白い。
地も、白い。
手も、白い。
綺麗だ……
綺麗だ……
綺麗だ……
ああ……
ああ……
ああ……
──これが、
父の、光か──?
目を焼くほどのまばゆさではない。
魂を貫くほどの熱でもない。
でも、そこに在る。
誰かを守るためだけに灯った、ひとつの“光”。
あたたかい
あたたかい
あたたかい
そうか、
これが、正義か──
そうか、
これが、愛か──
やっと見つけた
そこに──
いたんだね。
お父さん。
お母さん。