「宮本さんのちょっとだけ怯えたその顔、すっごくそそられちゃいますよ」
宮本からの問いかけを小柄な男は無視して、瞳を細めながら微笑みかける。顔全体で笑っているのに、値踏みするような粘着質のある目つきで見つめられるせいで、身の危険をひしひしと感じた。
「そ、そそられても困ります……」
内心怯えながらも、相手のことをよく観察してみる。20代前半と思しき男は、年齢に相応しくない坊ちゃん刈りの髪形で、見るからに高そうなスーツを着ていた。まるで自分の中にあるものを隠そうとしているように感じるせいで、宮本の中に恐怖心が増していく。
「やっぱりその目がいいですよね。お兄さんと比べて、何も知らない感じの純粋さが、僕の欲望を引き出してくれる」
「まさか! 俺ってば、不純の塊みたいな男ですよ。ホントほんと!」
上擦りっぱなしの宮本の声が、駐車場内に虚しく響き渡った。
「へぇ。不純の塊の男って、気を失ったお兄さんのほっぺたにキスをしちゃうんですか。それ以上のコトもできたというのに、あれだけで終わらせちゃう人が不純の塊なんていう話を、僕としては素直に受け取れません」
「やっ、それはあのときは理性がそれ以上をしちゃいけないと止めに入ったから、何もできなかったんですけど……。そのうち手を出しちゃうかもしれないです」
「でもお兄さん、自分はタチだって言ってたよ。宮本さんが襲っちゃったら、どうなるわけ?」
いつもの宮本なら、告げられたセリフを妄想につなげて、頭の中でイメージすることができるのに、小柄な男が無邪気に笑いかける姿を目の当たりにして、嫌な予感がせり上がるせいでそれができない。
(明らかに体格差があるのに、この余裕はいったいどこから生まれるんだろう?)
宮本は周りに、素早く視線を飛ばしてみる。どこかに仲間が隠れている可能性を考え、目を凝らしてそれを探してみたのに――。
「宮本さん、何を見つけようとしているの? お兄さんなら、もうすぐ来るんじゃないかな。それと僕は、たったひとりで来ているよ」
「そんなっ、の……信用できない」
「本当だよ。だって僕ひとりで、宮本さんを捕まえることができちゃうしね。でも暴れたりしたら勢い余って、殺しちゃうかもしれないから、気をつけてねぇ?」
(勢い余って殺しちゃうかもって、何をどうしたらそんなことができるんだよ!? 道具を隠し持っているようには見えないけど、俺の想像を超える、何かすごいことができるのかもしれない)
車のバトルのときに感じる緊張感が、小柄な男から伝わってきて、握りしめている宮本の手の中に、しっとりと汗をかいた。
自分よりも大柄な宮本を見上げながら、微笑みを絶やさない小柄な男が何を考えているのか、次にどんな行動に出るかがさっぱりわからず、見えない恐怖で躰が震えそうになる。
「宮本さぁん、逃げないの? 逃げないなら、僕から手を出しちゃうけど」
男が言い終わらないうちに、ひとりでに宮本の足が動いた。自分に何かあったら悲しむのは橋本だ。
そう考えついたら逃げなければと、宮本は瞬間的に悟って、小柄な男の前から急いで走り出したのに、宮本の視界の隅に微笑んだ男の顔が入ったと同時に、躰がふわりと宙に浮く。まるで駆け出した勢いを使って、空中を飛んだ感じに近い。
何の抵抗もなく浮き上がり、目まぐるしく景色が変わったのを認識する前に、叩きつけられる強い痛みを背中に感じた。
「ぐはっ!」
肺に溜まっていた空気を全部吐き出すみたいに、口から言葉が漏れ出る。小柄な男が颯爽と跨り、宮本が来ていたブルゾンを使って、首を絞める感じで左右に交差させた。
「躰が大きいと、動きが緩慢になるよね。歩いて逃げてるように見えちゃった」
「何……をしたっ」
宮本はブルゾンを掴んでいる小柄な男の両腕を掴み、自分の首を締めている腕を引っ張ってみた。
「何って、ただぶん投げただけだよ。びっくりしたでしょ?」
「ぶん投げた? いつの間に――」
「僕ね、小さいころから柔道をやっていて、全国大会の強化選手にも選ばれるくらいに強かったんだよ。宮本さんよりも、躰の大きな相手と練習していたから、すっごく簡単に投げることができちゃうし」
腕を外そうとする宮本の力をものともせずに、容赦なく首を締めていく。そのせいでますます力が入らなくなり、頭がぼーっとしてきた。
「うう、っ……」
宮本の首を締めている小柄な男の横に、インプの車体があった。
何の考えもなしに、ここに来てしまった悔しさや、躰に与えられる苦しさで涙が溜まり、目の前が水の中にいるような視界になっても、ロイヤルブルーの鮮やかな青い色が宮本の目に入るたびに、橋本のことを思い出した。
このままやられてたまるかと、宮本は指先に力を入れて、小柄な男の腕を潰す勢いで握りしめ、必死になって最後の抵抗をしてみせる。
「さすがは、トラックの運転手をしてるだけのことはあるね。一般人よりも力があるみたいだけど」
「うぐっ、陽さ、んっ」
「早く落ちなよ。じゃないと、このまま死んじゃうかもしれない」
「ぜっ、絶対にっ、死なないっ!」
「だったら早く落ちて。この後のことを考えたら嬉しすぎて、力加減ができなくなっちゃう。柔道の寝技は苦手なんだけど、ベッドでの寝技は得意なんだ。宮本さんは、どんな顔してイってくれるのかな? すごく楽しみだ」
(マジでヤバい。意識が遠のきそう……)
両目をつぶりながら観念しかけた刹那に、宮本に跨っていた男の体重がいきなりなくなった。ズシャッという、何かが倒れた音が、駐車場内に反響する。
首元を解放されたお蔭で、新鮮な空気と血液が躰の中を巡っていくのがわかった。鼻と口の両方で意識的に呼吸をして、手っ取り早く回復を図る。
「柔道の強化選手なんだって? とっとと立ち上がって、かかってこいよ。相手をしてやる!」
宮本が聞き覚えのある声の方角に顔を向けたら、鬼のような形相の橋本が腰に手を当てて、倒れた男を見下ろしていた。
「……陽さん」
宮本の問いかけに橋本は怒った顔のまま、さらに眉間に深い皺を刻んだ。
「何でここに来やがった、クソガキ! 飛んで火に入る夏の虫を、自ら実践するんじゃねぇよ」
橋本が喋ってる間に、小柄な男がふらつきながら立ち上がる。間髪をいれず頭めがけて、橋本からハイキックが繰り出された。
「長い足から繰り出されるハイキックを頭に受けたら、相手は立っていられないだろうと、俺の男が言ってたから試しにやってみたが、想像以上に効いてるみたいだな」
「くそっ! 奇襲なんて、すっごく卑怯じゃないかぁ!」
余裕のある橋本の声をかき消す、小柄な男の声がおっかなくて、宮本は目をぎゅっとつぶって肩を竦めた。
「へぇ。自分は雅輝に堂々と奇襲をしかけたくせに、俺には文句を言うんだ」
「それは……」
「ふざねんじゃねぇ! 大事なヤツを傷つけられて、このまま黙って帰れると思うなよ」
宮本は躰の痺れが何とかとれたので、よろよろ起き上がり、背後で行われていることを立ち膝で眺める。仁王立ちしている橋本のすぐ傍に、例の男が額を押さえながら、無様な状態で転がっていた。
「おやおや元強化選手の風祭さん、たった二発の蹴りを食らったくらいでダウンですか」
「何で僕の名前を知った?」
「風祭さんご存知でしょ、俺があのお店の常連客だって。顔見知りが結構いるんですよ」
「どうせ、一夜限りの相手ばかりだろ」
「まぁね。だけど今はたったひとりに絞ったから、あの店に行く必要がなくなった」
駐車場内の反響で、ちょっとだけエコーのかかる橋本の口から告げられる言葉を、宮本は夢心地で聞いてしまった。自分の名前が出てこないところは、間違いなく橋本が意地悪している証拠で、困らせる気が満々なのが、言葉の端々に表れていた。
「雅輝、大丈夫か?」
渋い表情を崩さず、小柄な男に視線をロックオンしながら、橋本は宮本の躰をいたわるセリフをかけてくれる。
「大丈夫です。あの……」
「なんだ?」
「ごめんなさい」
助けてくれた礼を言う前に、先に謝罪の言葉を口にした。
「おまえが無事ならそれでいい。だが後でたっぷりとお仕置きだならな」
「わかりました」
「それよりも、さっきのハイキックは見ていたか?」
ちらりと、一瞬だけこちらを見ながら問いかけた橋本を不思議に思って、宮本は目を瞬かせた。
「はい。惚れ直しました」
宮本が即答した途端に、困った顔のまま愛想笑いを浮かべる。
「あれくらいで惚れ直すなよ。これじゃあいつまでたっても、おまえの好きに追いつくことができないじゃないか」
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!