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「…………」
灯火堂を抜けると、そこには網目の洞窟が広がっていた。どっちに行けばいいんだろう。闇雲に進むと迷ってしまいそう……。でも大丈夫。必ず何か手掛かりがあるわ。だってこの闇は私を招いているのだもの。
風の向きを追って迷路のような洞窟を抜けると、そこには大きな巨大な扉が聳えていた。
「…………」
大きな扉を開ける。
大聖堂は朽ちて尚、その威厳を保っていた。静謐な空気に、澱んだ水の臭いが混じっている。地下へ地下へと潜ってきた。ここは、地の底。月の光さえ差し込まない、真の闇が支配する場所。
「………」
ゆっくりと聖堂内に歩みを進める。背の高い燭台に火が灯っているのに、明るさはまるで感じなかった。光と闇の濃さを一層際立たせているだけ。
カツン、カツン……。靴の踵が床に当たって、硬い音を響かせる。立派な聖堂……。上にあった聖堂よりもずっと広い。どうしてこんな大きな建物が、地中深くにあるんだろう。
奥には階段があり、その上には祭壇が設えていた。堂内を確かめながら歩いていた私は、そこに横たわるものを見て息を呑む。
「お母さん!!」
壇上には、まるで悪魔に捧げられる生け贄のように、お母さんが横たえられていた。顔色は悪い。まさかーー。
「おかあさーー!」
駆け寄ろうとして、私は凍りついた。祭壇の裏から、『私』が顔を出す。血や泥でベタベタになった前髪の隙間から、赤い目で見下ろしていた。
「あ……」
「れな……」
“影”は、ぬるりと祭壇の奥から這い出してくる。
「れぇ……な……」
四つん這いのまま、のたりのたりと階段を下りてきた。全身に緊張が走ったものの、比較的落ち着いてそれを迎えいれる。出会う覚悟は、もうずっと前にできていた。ぺたり、ぺたり。
私たちの距離が、一歩ずつ近づいていく。
「れなあ……」
不明瞭な声で笑いながら、影はさらに一歩近づいた。右手に下げた銀の銃を握り直す。大丈夫、私、やれる。だってもう、どこにも逃げ場はないじゃない。
「ねえ……」
私の声に影が動きを止め、静かに対峙した。
「血って美味しい?」
影は、クキッと首を横に曲げた。まるで不思議がるように。その様子を見ながら呟く。
「私も……血が欲しくなるのかな……」
考えたくない、そんなこと。でも、きっと考えなくちゃいけない。リズが死んだ。マシューが死んだ。アーウィンはヒトじゃなかった。どんなに小さい脳みそだって振り絞って、私は私なりの道を探そう。例えそれが正しくなかったとしても。
「もう、おしまいよ」
宣言した。
「私を追いかけ回すのも、あなたに怯えるのも」
静かに銃を持ち上げて構える。
「これでおしまい」
そして、私かあなたのどちらかが終わる。
ずっと、悪夢だけを終わらせる方法を探していた。きっとあると思っていた。いつでも誰かが助けてくれたから。いつでも私は何不自由なく生きてきたから。この悪夢だって、いつかは優しい誰かとか時の流れとか、そういうものが終わらせてくれるのだと信じていた……。今思えば、それはおとぎ話。王子様がお姫様を助けて終わる、美しく整えられた物語。
揺れる銃口の向こう、影が不満気に唸った。アーウィンは屈服させろと言ったものの、私にはその方法がわからなかった。でも、そんなものはどうだっていいの。分からないなら、違う道を選ぶだけ。正しい方法なんて分からなくても、止まるわけにはいかない。
「私はあなたを野放しにできない。あなたを置いては終われない」
そう。それだけ分かっていれば、充分だ。例え、私も一緒に終わることになったとしてもーー。
「絶対に一人では逝かない!」
顔を上げ叫んだ。
「来なさい!終わらせてあげる!!」
「レナアァアア!!」
影が躍りかかるように立ち上がり、迷わず銃の引き金を引く。
「ギャアッ!」
影が体をひねってのけぞった。しまった!弾は影の肩をかすめただけだ。弾道が大きく逸れてしまう。反動があることは分かっていたのに、私の力じゃそう簡単に制御できない。
急いで銃を構え直そうとした。その隙にタックルして足を踏みつかれ、そのまま後ろに押し倒される。その拍子に銃が手から跳ね飛んだ。銀色の銃は石床の上を回転しながら、滑っていく。いけない!
素早く体を起こして銃を拾おうとした時。視界の端で、影の舌がズルッと伸びたのが見える。
「!」
私にしては奇跡的な反応で、その舌を掴んだ。
「くっ……」
くねる舌は今にも手から逃れそうだ。ウナギを掴もうとする人と同じく滑稽な動きを続けながら、必死に目で銃を探した。あった、あそこ!手を伸ばせば、きっと届く!でも銃を拾おうとすると、それよりこの舌が私を襲うだろう。そうしたら負ける!負けたら、死より恐ろしい現実が待っている。どうしよう。どうしよう!
その時、銃の手前に立つ棒が見えた。これなら取れる!そう思った瞬間、ほとんど反射的にそれをかなぐり寄せる。
「ギャッ!」
影が私の上から飛び退いた。必死に掴んだそれは長い燭台で、その熱い蝋が彼女の皮膚を焼いたのだ。けれど、蝋の熱さなど微々たるもの。影が孕んだのは、ほんの一瞬だった。すぐに跳ね起きて、カッと口を開ける。だめ、防ぎきれない!!
そう思った瞬間、舌が矢のように飛んできた。思わず目を瞑って、手にしていた燭台を突き出す。ーーそこからは不思議な時間だった。
悲鳴が上がる。どちらの悲鳴だったのか、分からない。蝋燭の外れた燭台の先は尖っていた。その先が、影の腹を貫く。そして、影の舌が喉を貫く。
今まで経験したことのない痛みの最中でも、私の手には肉を貫く悍ましい感触が伝わってきた。喉を貫かせれたせいで、悲鳴はもう上げられない。刺された影が吠えて、激しく身をくねらせた。軽々と宙に浮いて、めちゃくちゃに床に叩きつける。
私の口からは、微かに声が漏れただけ。叫びたいのに、声が出ない。痛みと絶叫が体の中で膨れ上がって、頭と耳、全ての感覚が混乱する。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
脳と全身・世界が痛みと恐怖で埋め尽くされていく。
痛い痛い痛い痛い怖い痛い痛い怖い痛い痛い痛い怖い!!
背中に鈍い痛み。喉を突き抜けた舌の尖端がくねって、今度は背中に突き刺さった。どこが痛いのかとか、どっちが痛いのかなんてよくわからない。本当に痛いのかどうかさえ。
舌がズブズブと音を立てて、背中から体内に入り込んでくる。夢中で自分の喉に突き刺さる舌を掴んだ。どくんどくんと舌が脈打っているのを、手のひらで感じとる。私の血が吸われて、彼女に流れ込んでいるのだ。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛い痛イ痛い!
不意に違う声が思考に割り込んでいるのに気づいた。痛い怖い痛い痛イ怖い痛い怖イ痛い嬉シイ!これは……この声は……私と同じ……声。
痛い 痛イ
冷たい 冷タイ
苦しい 苦シイ
どくん、どくん。手のひらから伝わる鼓動と、私の胸の鼓動。次第に同期していく。
熱い 熱イ
冷たい 冷タイ
悲しい 悲シイ
嬉しい 嬉シイ
寂しい 寂シイ
暗い 暗イ
眩しい 眩シイ
分かんない!意識が薄れていった。血と一緒に私も彼女も飲み込まれていく。ああ、私は彼女になる。
だめ!だめ!だめ!私は必死で意識を繋ぎ止めた。諦めちゃだめ。私は私を無くさない。情けなくて、弱くて、ちっぽけで、くだらなくって、私なんだから。ヒトじゃなくたって、立派でなくったって、ここにいるのは、ここで苦しんでいるのは私なんだから!!
ーーワタシ?
頭の中で声が聞こえる。舌っ足らずな子供の声。同時に、脳の中の嵐が止んだ。もうほとんど見えないのに、視界がクリアになった気分。
ーーそれはあなただって同じ?
好きで”影”になったんじゃないよね。私たち、好きで吸血鬼に生まれたんじゃないよね。自分の好きなところなんてあんまり見つけられないのに、それでも自分を無くするのが怖いと思うのはどうして?
それは理屈じゃ割り切れない思い。私という存在の意地。どんなに迷ったって、諦めてしまいたくなったって、それは私の中で訴え続ける。譲れないわ。無くさない。手放すなんてできない。それなら、あなただってそう思うんだろう。
私は舌から手を離す。暗んでいく視界の中、精一杯両腕を伸ばしてもう一人の自分を求める。喉に刺さった舌がぐじゅと嫌な音を立てて、より深く私に沈み込んだ。もう体の全てが痛みと同化して、痛みが分からない。手が届いた。『私』は思ったよりずっと小さくて、痩せこけている。血でヌルヌルしたその体を抱きしめた。
れな
頭の中から……ううん、血管の奥から声がする。そうか。あなた、寂しかっただけなんだ。地下は暗くて心地よくて、血は美味しいよね。でも一人ぼっちで……寂しかったよね。
れな
全身に張り巡らされた私の血管から、誰かが私の名を呼んでいる。ようやく、夜、私を呼んだのが私自身の血だと気づいた。
れな
そう。私に触ってみたかったんだ。その舌で、肌で。あったかいって、不思議なんだもんね。
深く深く舌が喉に、背中に、体の中に染み込んでいく。もう感覚がない。本当に起きて、ここにいるのだろうか?
レナ……
ああ、あなたの声だけが聞こえる。私のものならなんでもあげる。大切なもの、楽しかった思い出、悲しかった出来事。何もかも全部。だから私にも分けて欲しい。力を!強さを!長く伸びた舌を!全部私たちのもの。ワタシタチノ?そう。いいことも悪いことも、全部二人ではんぶんこしよう。
舌が伸びる。目が赤くなる。力がみなぎる。私たちは私たちになる。